第2部
その日は、いつも通り銀行のロビーにいた。
南は高齢のお客様の相談を受けていた。
「この保険、本当に必要なのか分からなくて……」
老人の不安そうな声。
南は優しく答えた。
「一緒に考えましょう。必要のないものまで契約する必要はありません」
その瞬間だった。
「桜井」
高野の声が響いた。
南が振り返る。
「今すぐ来い」
「申し訳ありません。今、お客様の対応中で……」
「いいから来いと言っている」
ロビー中の人が振り返る。
南は困った顔で老人へ頭を下げた。
「申し訳ありません。また改めてご説明します」
そして高野の前へ向かった。
高野は成績表を持っていた。
「まだ150万円か」
「4ヶ月連続で未達だぞ」
南は黙っていた。
「お前みたいな人間は銀行員失格だ」
「老人相手に時間を使って何になる」
私は拳を握った。
しかし、まだ動かなかった。
証拠が必要だった。
決定的な証拠が。
そして次の瞬間。
高野は机の上にあった水の入ったコップを手に取った。
「目を覚ませ」
パシャン。
冷たい水が南の顔にかかった。
ロビーが静まり返った。
南の髪から水滴が落ちる。
誰も声を出せない。
高野は言った。
「お前みたいな無能は明日から来なくていい」
その瞬間。
私の中で何かが切れた。
私はゆっくり立ち上がった。
そして南のそばへ歩いた。
「大丈夫か」
南は私を見る。
「……おじいちゃん」
涙がこぼれた。
私は南の肩に手を置いた。
「お前は何も悪くない」
そして、高野を見た。
「孫に何をしている」
高野は鼻で笑った。
「誰だ、お前」
私はバッグから通帳を取り出した。
「まず、これを見てもらおう」
窓口へ向かう。
「全額解約したい」
銀行員たちが固まった。
「全額……ですか?」
私は通帳を並べた。

1冊。
2冊。
3冊。
合計28冊。
画面に数字が表示される。
67億円。
89億円。
112億円。
そして合計――。
523億2800万円。
銀行内が静まり返った。
高野の顔色が変わる。
「……何者なんだ」
私は静かに答えた。
「長年、この銀行を信じてきた客だ」
「そして、桜井南の祖父だ」
その瞬間、南の目が大きく開いた。
「おじいちゃん……」
私は続けた。
「この銀行に預けてきたのは金だけじゃない」
「信頼も預けていた」
「しかし今日、それは壊された」
高野は慌て始めた。
「ま、待ってください」
「これは指導の一環で……」
その時、若林君が前へ出た。
彼は派遣社員だった。
でも、勇気ある青年だった。
「嘘です」
「高野支店長には不正があります」
彼はUSBメモリを差し出した。
「高齢者への強引な投資販売」
「契約内容の操作」
「全て記録しています」
銀行員たちは息を飲んだ。
私は頷いた。

「よくやった」
若林君は震えていた。
でも、もう逃げなかった。
その後、調査が始まった。
高野の不正は次々と明らかになった。
数字だけを追った結果、多くの高齢者が傷ついていた。
彼は処分を受けた。
そして私は南と若林君へ提案した。
「本当に人を大切にする金融を作らないか」
「お金ではなく、人を見る場所を」
数ヶ月後。
私たちは小さな会社を始めた。
名前は――。
株式会社 心の金融。
南は相談員として働いた。
「無理な投資は勧めません」
「お客様が理解できるまで何度でも説明します」
それが彼女の信念だった。
若林君も隣で頑張った。
そして私は、娘の写真へ報告した。
「恵美」
「南は立派になったぞ」
「人を助ける仕事をしている」
春の日。
桜の木の下で、私は南と並んで座った。
「おじいちゃん」
「私、今の仕事が本当に好き」
私は笑った。
「それでいい」
「お金は道具じゃ」
「大切なのは、人を思う心じゃ」
桜の花びらが静かに舞う。
私は思った。
人生で本当に価値があるものは、財産でも地位でもない。
誰かを大切にする心。
それだけだ。
そして、その心は次の世代へ受け継がれていく。
娘との約束は、ようやく果たされたのだった。



