リビングに沈黙が広がったのは、竜一が突然、箸を置いたからだ。テレビの音だけが間抜けに流れていた。
「もうお前には愛情がない。若い人と一緒に暮らしたい」
冷たい声だった。25年間、家族として積み重ねてきたものが、その一言で音を立てて崩れ落ちるのが分かった。私はその場に立ち尽くし、何も言えなかった。息子たちは呆然と父親を見つめていた。
彼が若い愛人と10年も関係を続けていたことを知ったのは、偶然だった。ある日、充電器を探して彼のスマホに手を伸ばした時、画面に浮かんだ見知らぬ女性からのメッセージ。
「愛してる。今日も早く会いたいな」
心臓が止まるかと思った。長い間、夫を信じて支えてきた。これが現実なのか。怒りと裏切り感で胸がいっぱいになった。
竜一は、その愛人・あみ美との新しい生活を始めるつもりだった。息子たちには、あっさりと言った。
「お前たちは残っていい。ただし、金を稼げるやつだけが価値がある。ミカはどうでもいい。どこにでも行け」
その言葉に、息子たちの目が変わった。
父を激しく憎むようになった。
そして、ある夜、リビングで息子たちと話し合っていると、長男が静かに言った。
「これは制裁決定だ」
彼らはそれから、家への生活費を一切入れなくなった。竜一が何を言おうとも、耳を貸さなかった。原稿の収入が絶たれ、家計はあっという間に火の車になった。
私は家を出なければならなかった。あみ美が堂々と家に乗り込み、彼女の荷物を運び入れ始めたからだ。かつて家族が過ごした場所が、あっという間に他人のものになった。
息子たちは毎日、私に連絡をくれた。
「俺たちは母さんの味方だよ。毎日連絡するからね。大丈夫だよ」
その言葉が、何よりの支えだった。
あみ美が家に入ってから、竜一のギャンブル癖と多額の隠し借金が次々と明るみに出た。彼女が期待していた裕福な生活なんて、どこにもなかった。現実は借金地獄だった。
取り立て屋が家に来るようになった。最初は一人や二人だったのが、ある日、五人で玄関を蹴り、窓を叩きながら叫んだ。
「早く金を返せ! お前らのせいでこっちは困ってるんだぞ」
あみ美はリビングの隅で縮こまり、震えていたらしい。彼女には夢の生活が崩れ去った。
「もうこれ以上耐えられない」
そう言って、彼女は竜一を見捨てて家を出て行った。
竜一は完全に孤立した。息子たちは冷たい目を向けるだけだった。取り立て屋は今度は会社にまで押しかけた。同僚たちの前で恥をかかされ、評判は地に落ち、彼は職場でも居場所をなくした。
さらに、息子たちも家を出る決意をした。最初は、父親が自分の非を認めて謝罪するなら助けようとも思っていたらしい。しかし、竜一は謝るどころか、息子たちを罵倒した。
「俺たち、もうここにいる意味もないし、居心地も最悪だ」
次男は無言で頷き、荷物をまとめ始めた。竜一は何も言えず、その背中を見送るしかなかった。
追い詰められた竜一は、会社の金に手を出した。しかしそれはすぐに発覚し、解雇された。会社は彼に対して訴訟まで起こした。
弁護士であり、大学時代からの親友である田中智が、その後どうなったかを教えてくれた。
「竜一は結局、家も手放して、今は路上生活をしているらしい」
私は言葉を失った。家族を裏切り、欲望だけを追い続けた男の末路だった。怒りも悲しみもあったが、それ以上に、彼が選んだ道の果てに驚いた。
しかし、私は前を向くことにした。智と共に法的な手続きを進めて財産を守り、息子たちと新しい生活の計画を立てた。息子たちは私を支えることを約束してくれた。
数ヶ月後、私は地元のコミュニティセンターでボランティアを始めた。自分自身を再発見する時間になった。息子たちもそれぞれ幸せな家庭を築き始め、今年の春から、私はおばあちゃんと呼ばれることになった。



