スーパーから帰ってレシートを見ながら、思わず笑ってしまった。また卵が値上がりしている。お米も野菜も、最近は本当に何もかも高くなった。リビングでソファに座ってテレビを眺める夫、高志に声をかけた。「ねえ、また何もかも値上がりしてるよ。」高志はテレビを見たまま「そうか」とだけ言った。「あなたは買い物に行かないから、実感がないんでしょうね。」この時はまだ、私も笑っていられた。けれど、月に八万円ほどのパート代だけで、二人分の食費に光熱費、日用品まで賄う生活は、とうに限界を超えていた。
夕食をテーブルに並べながら、私は思い切って切り出した。「ねえ、高志さん。来月からでいいから、少しだけ生活費を出してもらえない?全部じゃなくていいの。電気代とか、お米代だけでも。あと、年金も入ってくるんでしょう?」すると、夫の表情がぴくりと動いた。「ああ、つまり俺の年金を当てにしているのか?」「そういう意味じゃなくて……」「俺が四十年間働いて稼いだ金だぞ。」そして、彼は吐き捨てるように言った。「俺の年金は、一円もやらん。」
私は何も言えなかった。でも、不思議と涙は出なかった。その代わり、四十年間ずっと動かなかった何かが、胸の奥で静かに、しかし確かに動き始めるのを感じた。この人にお願いするのは、もうやめよう。そう心に決めた瞬間だった。
私は秋子、六十五歳。高志と結婚して四十年になる。一人娘の晴香は三十八歳で、今は結婚して遠方で暮らしている。二十三歳で結婚した当時、私は会社の事務員だった。しかし結婚して半年ほど経った頃、高志にこう言われた。「仕事はやめろ。男が稼いで、女が家を守る。その方が家庭はうまくいく。」少し古い考え方かもしれないけれど、あの頃の私はそれが結婚生活の当たり前だと思っていた。私は仕事を辞め、晴香を育て、姑が倒れてからは十年間、介護もした。一度だけ、「少しだけでも変わってもらえないか」と頼んだこともあった。けれど高志は「俺は外で働いているんだぞ。家のことまで男にやらせたら、何のための妻だ」と言った。私は気持ちを飲み込んで、納得することにしていた。
高志は昔から冷たい人だったわけではない。結婚して間もない頃、私が高熱を出した時は、慣れない手つきでお粥を作ってくれた。一口食べた私が「焦げてるかも」と言うと、高志も食べて「本当だ」と笑い合った。あの頃の高志なら、いつか戻ってくれる。私は長い間、そんな期待を捨てきれずにいた。
五年前に姑を見送った後、高志には仕事をやめろと言われていたけれど、時間ができたので、私は近所の花屋でパートを始めた。月の給料は八万円ほど。高志には「花を並べるだけで金がもらえるんだから、楽だよな」と笑われた。それでも、そこは私にとって大切な居場所だった。「秋子さん、今日の花束をお願いできる?」店長の水希さんが笑顔で声をかけてくれる。常連のお客様にも「あなたが作る花束は、優しい感じがして好き」と言ってもらえる。家では文句ばかり言われる私を、ここでは誰かが必要としてくれていた。
高志が定年退職した時、私は少しだけ楽しみにしていた。これからは二人でゆっくり朝ご飯を食べたり、近くの温泉に行ったりできるのだと。退職した日の夜は、少し奮発して高志の好きなすき焼きを作った。「四十年間、お疲れ様。」高志は「これからは俺も少し楽させてもらうよ」と言って、一緒に笑った。でも、その「楽をする」の意味を、私はまだ分かっていなかった。
退職から二週間ほど経った頃、高志は突然、生活費を渡さなくなった。「来月からは、お前のパート代で全部やれ。」「でも八万円じゃ、二人分は無理よ。」高志は鼻で笑った。「夫婦を四十年もやってるんだろ。節約くらい、女の腕の見せどころじゃないか。」高志は自分には高い釣り竿やゴルフ用品を買い、私は特売の肉と豆腐やもやしでやり繰りした。ある日の夕食、私が作った節約料理を見た高志が箸を置いた。「またこんな飯か。」「今月は少し厳しくて……」「ならもっと働けよ。俺は四十年も働いたんだぞ。今度は妻が俺を養う番だろ。」私は黙って、冷めていく料理を見つめた。
翌日、花屋で作業をしていると、店長の水希さんが私の顔をき込んだ。「秋子さん、最近ちゃんと食べてる?」その優しい声がきっかけで、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。私は初めて、家のことを話した。生活費を渡してもらえないこと、八万円で全部やれと言われていること、「俺の年金は一円もやらん」と言われたこと。水希さんはしばらく黙ってから、こう言った。「一度、自分にどんな権利があるのか、調べてみたら?」「私にも権利なんてあるの?」「四十年、夫婦として暮らしたんでしょ。」その言葉が、胸に深く残った。
数日後、高志が釣りに出かけた日、私は迷いながら相談窓口を訪ねた。そこで初めて知った。離婚した場合、婚姻期間中の厚生年金の記録を分ける制度があること。夫婦で築いた財産についても、確認する権利があるということ。「私、ずっと専業主婦だったんです。それでも大丈夫ですか?」担当の方は穏やかに答えた。「家庭を支えてきた時間が、何もなかったことにはなりませんから、大丈夫ですよ。」その瞬間、涙があふれ出た。私にも、あったんだ。何も知らなかった。高志には「家にいただけ」と言われた四十年。でも、娘を育てた時間も、姑を介護した十年も、毎日家を守ってきた日々も、本当に何もなかったわけではなかった。
帰り道、私は花屋に寄った。水希さんが私の顔を見て、笑顔で迎えてくれた。「今日は何の花?」私は少し考えて、「ガーベラを一本ください。」「誰かへのプレゼント?」私は首を横に振った。「今日は、私に。」水希さんは微笑み、太陽のようなオレンジ色のガーベラを選んでくれた。家に帰って小さな花瓶に飾ると、たった一本なのに、部屋も私の気持ちも少し明るく見えた。
ところが数日後、高志に年金のパンフレットを見つけられてしまった。「なんだこれは?」「年金の……」「分骨?」次の瞬間、彼は怒鳴った。「お前、俺の年金を横取りする気か?」「横取りじゃないわ。」「誰に余計な知恵をつけられた?」高志は私を睨みつけた。「勘違いするなよ。お前みたいな女が、一人で生きていけるわけないんだからな。」そして付け加えた。「月八万円しか稼げないくせに、あんまり図に乗るなよ。」以前の私なら、謝っていたかもしれない。でも、その日は違った。私は、しっかりと彼の目を見返した。
翌日、高志は花屋にまでやってきた。「秋子、いるんだろう。」店内に響く大声。「今日で、ここをやめろ。」水希さんが一歩前に出た。「営業中ですので、お静かにお願いします。」しかし高志は聞く耳を持たない。「こんなところで働くから、女が生意気になるんだ。おい、家にいろ。」私は震えながらも、はっきりと言った。「私は、やめません。」「俺の言うことが聞けないなら……!」高志は吐き捨てた。「家から、出ていけ。」その瞬間、不思議なくらい頭の中が静かになった。「出ていけ」という言葉が、最後に残っていた迷いまでも、きれいに消し去ってくれた。
その夜、私は娘の晴香に電話した。これまでのことも、今日のことも、全部話した。すると、電話の向こうで晴香の声が震えた。「お母さん……なんで、今まで我慢したの?」「あなたに、心配かけたくなかったから。」すると晴香は、泣きながら笑った。「もう十分だよ。四十年も頑張ったんでしょ。これからは、お母さんのために生きてよ。それに、私はお母さんの味方なんだから。何かあったら、いつでも電話して。すぐに飛んでいくから。」私は電話を握ったまま、声を上げて泣いた。その日は、夜遅くまで娘と話した。
数週間後、私は必要なことを調べ、これからの生活の見通しを立てた。晴香にも来てもらい、一緒に確認した。そして、高志と向き合った。「高志さん、私、離婚します。」高志は鼻で笑った。「お前、一人で暮らせるわけないだろう。」私は頷いた。「私も、ずっとそう思ってた。だから、調べてきたの。」私は静かに、テーブルの上へ準備していた書類を置いた。「年金のことも、財産のことも、そして一人で暮らすために必要な、お金のことも。」高志の顔から、少しずつ余裕が消えていく。「そ、その年金ってのは、俺の年金だぞ。」「そうね。」私は高志を見た。「あなた、言ったでしょ。『俺の年金は一円もやらん』って。」高志は黙った。「だから、あなたにお願いするのを、やめたの。」「な、何?」「だから、これからは法律にお願いするわ。」高志の顔色が変わった。「おい、待て。法律って何だよ。生活費なら、出す。年金だって、少しぐらい使っていいぞ。そういうのは、先に相談してくれよ。」私は首を横に振った。「違うの。私が欲しかったのは、あなたのお金じゃない。四十年間、一度でいいから『ありがとう』の一言が欲しかっただけ。でも、あなたがくれたのは『養ってやった』『女は家にいろ』……最後には『俺の年金は一円もやらん』。それだけだった。」「四十年間、本当に、それだけだった。」高志は、うつむいた。しばらくして、小さな声で言った。「……悪かった。」四十年間、待っていた言葉だった。けれど、もう心は動かなかった。「今更、言ってもらわなくても大丈夫。私の四十年間は、これから私自身が認めてあげるから。」私は、隣に座る晴香の手を握った。
その後、必要な話し合いと手続きを経て、私たちは離婚した。勝ち取ったのは、豪華な暮らしではなかった。でも、自分のお金で自分の食べたいものを買える。疲れた日は、夕飯を簡単なもので済ませられる。朝、誰かに怒鳴られることもない。ある日、晴香が花屋に遊びに来た。「お母さん、今日はどの花にする?」私は店先を見回し、オレンジ色のガーベラを一本手に取った。「また、自分に?」「そうかもね。」二人で笑った。
四十年間、私は家族という名の花に水をあげ続けてきた。でも、自分自身に水をあげることを、ずっと忘れていた。六十五歳になって、少し遅かったかもしれない。それでも、花を咲かせるのに遅すぎることはない。私は今、ようやく自分の人生を育て始めている。



