「娘が社長なんだから、私たちは無料で入れるんでしょ。」
40年近く会っていなかった母は、夫が経営する介護施設の見学で、当然のようにそう言いました。父も応接室の椅子に深く腰を下ろし、室内を見回します。
「できれば一番広い部屋がいいな。食事も他の老人と同じものでは困る。身内なんだから、そのくらい融通してくれるだろう。」
私は二人の向かいに座り、黙って話を聞いていました。母が私の手を取ろうとします。
「優香、私たち、ずっとあなたに会いたかったのよ。」
私は静かに手を引きました。
「違いますよね。会いたかったのではなく、無料で介護してくれる人を探していたんでしょ。」
母の笑顔が消えました。
私は成田優香、52歳。この二人は、私が15歳の時、高校へ行かずに働いて兄の大学費用を稼ぎなさいと言った人たちです。
私には二歳上の兄がいます。兄は幼い頃から容姿も成績も優れていました。明るく人付き合いが上手で、両親にとって自慢の息子でした。一方の私は人見知りで、少し太っていました。兄には新しい服や靴が与えられましたが、私が着るのは兄のお下がり。サイズの合わない靴で転んでも、母は助けてくれません。
「また転んだの。本当にどん臭いぽっちゃり娘ね。」
兄にだけおやつが出て、私には家事が与えられました。それでも私は両親に愛されたかったのです。洗濯物を丁寧に畳めば褒めてもらえるかもしれない。夕食を上手に作れば、家族の一員として見てもらえるかもしれない。そう思いながら、言われたことを懸命にこなしました。
兄だけは、そんな私を気遣ってくれました。自分のおやつを半分くれたり、母に内緒で宿題を教えてくれたりしました。
「優香にばかり家事をさせるのはおかしいよ。」
兄が両親へ言ってくれたこともあります。けれど父は「お前は勉強だけしていればいい」と兄を部屋へ戻し、私には食器を洗うよう命じました。
中学生になっても、両親の態度は変わりませんでした。三者面談の日、他の生徒が親と並んで座る中、私の隣だけが空席でした。母は専業主婦でした。それでも「あなたのために学校まで行くほど暇ではないの」と言われました。
中学三年生になり、私は高校進学を希望しました。成績は決して悪くありません。担任からも「頑張れば地元の進学校を目指せる」と言われました。けれど、進路希望の用紙を見た父は鼻で笑いました。
「高校へ行く必要はない。春から働け。」
突然の言葉に、私は何も答えられませんでした。母も当然のように続けます。
「お兄ちゃんは大学へ行くのよ。二人分の学費なんて払えないでしょう。家族なんだから、少しくらい協力しなさい。」
少しくらいではありません。両親は兄の未来を守るために、私の未来を最初から奪うつもりだったのです。
兄は激しく反対しました。
「俺の学費のために優香を働かせるなら、大学へは行かない。」
しかし両親は「これは親が決めたことだ」と聞き入れませんでした。
その年の大晦日、両親は兄だけを連れ、母の実家へ帰省しました。私は「受験もしないんだから家で留守番をしていなさい」と言われ、一人で年を越しました。除夜の鐘の音だけが響くリビングで、私はテレビを眺めていました。新しい年になっても、私の人生は何も変わらない。そう思うと、涙が止まりませんでした。
翌朝、何度もインターフォンが鳴りました。玄関の外にいたのは、母の弟である叔父とその妻でした。叔母は私の顔を見るなり、強く抱きしめてくれました。
「優香ちゃん、一緒にこの家を出ましょう。」
叔父が私の目を見つめます。
「君を高校へ行かせず働かせるつもりだと聞いた。そんなことは絶対に認められない。」
叔父夫婦には子供がいませんでした。幼い頃から私を気にかけ、服や本を買ってくれた人たちです。叔母は涙を流しながら言いました。
「私たちでよければ、優香ちゃんの親になりたいの。本当の子供のように大切にしたい。」
私はその場に座り込んでしまいました。両親からは、一度も「あなたが必要だ」と言われたことがありません。生まれて初めて、誰かから「娘になってほしい」と求めてもらったのです。
その後、必要な手続きが行われ、私は叔父夫婦に引き取られました。叔母は初めての買い物で私に言いました。
「好きな服を選んで。」
私は選び方が分からず、店の中で立ち尽くしました。これまでは兄のお下がりを着るのが当然だったからです。叔母はせかすことなく、一緒に店内を回ってくれました。
高校の合格発表の日には、叔父が私より先に泣きました。
「よく頑張ったな。」
たったその一言で、それまでの苦しさが少しずつ溶けていく気がしました。
二人の支えのおかげで、私は大学まで進学しました。卒業後は、地域で介護施設や訪問介護を運営する小さな会社に就職しました。そこで出会ったのが、現在の夫です。夫は会社の創業者の息子でしたが、威張ることのない人でした。現場の職員と同じ制服を着て利用者の話に耳を傾け、人手が足りなければ自分も送迎へ出ました。
結婚後、私は会社を退職しました。現在は専業主婦ですが、忙しい時には書類を手伝い、地域の介護相談会にも顔を出しています。
数年前、夫は父親から会社を引き継ぎ、社長になりました。それでも会社の規模は、地域に根付いた中小企業です。夫は今も「会社は利用者と職員のためにある」と言い続けています。
私が育ての両親である叔父夫婦を日常的に支えるようになったのは、二人が70代になってからです。通院の日に車を出したり、重いものの買い出しを手伝ったり、時々一緒に旅行へ出かけたりします。二人はいつも「優香には有価の家庭がある。私たちのことは気にしなくていいんだよ」と言います。その度に私は答えます。
「私がやりたいからやっているの。二人の顔を見に来るのが私の楽しみなのよ。」
そんなある日、夫の会社が地域向けの介護相談会を開きました。地元の広報誌には夫と私の写真が掲載されました。記事には、私が高齢の両親を支えながら、介護する家族の相談にも乗っていると簡単に紹介されていました。
その記事を、実の両親の知人が見つけたそうです。
数日後、突然母から手紙が届きました。そこには「ずっとあなたに謝りたかった。親子としてやり直したい」と書かれていました。
私は迷いました。幼い頃、何度も欲しいと思った言葉です。あの人たちも年を取り、本当に後悔しているのかもしれない。一度だけ会って話を聞こうと思いました。
実の両親は、私たちの自宅へやってきました。母は涙を浮かべ、「苦労をかけてごめんなさい」と言いました。父も「昔は私たちも余裕がなかった」と頭を下げました。
ところが、10分も経たないうちに本題が出てきました。
「お前の旦那さん、介護施設をいくつも持っているそうだな。私たちもそろそろ老後が心配でね。」
母も身を乗り出します。
「身内なら入居金は必要ないわよね。あなたも専業主婦なら、毎日私たちの世話に来られるでしょう。」
謝罪の言葉は、その要求を口にするための前置きでした。
さらに母は、私の育ての両親について言いました。
「おじさんたちには、もう十分恩返ししたでしょう。これからは実の親を優先するのが普通よ。」
私は一瞬で迷いが消えました。この人たちは何も変わっていない。兄のために私の人生を使おうとした昔と同じ。今度は自分たちの老後のために私を使おうとしているだけです。
それでも私は、夫の会社の入居審査について説明しました。
「身内でも無料にはなりません。身体の状態や必要な介護、共同生活が可能かどうかを確認した上で、正式な審査があります。」
すると父は不満そうに眉を潜めました。
「社長の嫁の親なのに、審査を受けろというのか。」
「当たり前でしょ。」
私がそう答えても、二人は聞く耳を持ちませんでした。
数日後、実の両親は施設見学に来ました。案内を担当した施設に、父は最初から横柄な態度を取りました。
「一番広い部屋を見せろ。私たちは社長の身内よ。」
母は食堂を見て「こんな人たちと同じテーブルで食べるの?」と、入居者の前で口にしました。職員が「皆様に同じ基準でサービスを提供しています」と説明すると、「私たちは特別でしょ」と声を荒げました。
見学中、車椅子の利用者が前を横切ると、父は舌打ちしました。母も職員に「入居したら、選択も買い物も全部あなたたちがするのよね。頼めば私たちだけ外出を増やすこともできるでしょう」と要求を続けました。施設長が規則を説明しても、「娘の旦那に言えば、そんな規則は変えられる」と聞き入れません。最後には、自分たちの要求を断った若い職員に「客に口応えするな」と怒鳴りました。
その日のうちに、施設長から夫へ報告がありました。
後日、私たちは再び実の両親と面談しました。夫は社長として冷静に告げました。
「申し訳ありませんが、当社の施設ではお引き受けできません。」
父が机を叩きました。
「どういうことだ?」
夫は譲りません。
「当施設は入居者の皆様が共同で生活する場所です。職員への威圧的な言動や他の利用者を見下す発言が続き、施設の規則にも従えないと判断しました。この状態では、他の利用者様と職員の安全、そして穏やかな生活を守れません。」
母は私を睨みました。
「優香が断れと言ったのね。」
夫が首を横に振ります。
「妻との関係に関わらず、会社としての判断です。」
父は私に向かって叫びました。
「身内を見捨てる気か。お前を育てたのは俺たちだぞ。」
私は静かに父を見ました。
「私を育てたのは、あなたたちではありません。私が病気の夜に眠らず看病してくれた人、高校へ行きたいという願いを叶えてくれた人、大学の合格を自分のことのように喜んでくれた人。私の結婚式で泣き、今も私の幸せだけを願ってくれる人。叔父と叔母が私の両親です。」
母の顔が歪みました。
「私はあなたを産んだのよ。」
「産んだことと、育てたことは同じではありません。あなたたちは私が15歳の時に、親であることを辞めました。私を高校へ行かせず、兄の学費を稼がせようとした。今度は自分たちの介護を無料でさせようとした。私を娘でなく、都合よく使える道具としてしか見ていなかったんでしょう。」
父が言葉に詰まりました。母は泣きながら「血の繋がった親子でしょう」と繰り返します。
「血が繋がっていれば、何をしても許されると思わないでください。私にとってあなたたちは、もう親でも何でもありません。二度と私や夫の会社に特別扱いを求めないでください。」
私は最後に、地域支援センターや公的な介護相談窓口が書かれた資料を渡しました。
「必要な制度についてはこちらで相談できます。けれど、私が娘として引き取ることも、夫の施設へ無料で入れることもありません。これからのことは、ご自分たちで相談してください。」
二人は何も言えず、資料を持って帰って行きました。
その日の夕方、私は育ての家を尋ねました。叔母は私の顔を見ると、何も聞かずにお茶を入れてくれました。事情を話すと、叔父は心配そうに尋ねました。
「本当に良かったのか?」
私は笑って答えました。
「うん。私の両親は、おじさんとおばさんしかいないから。」
叔母が私の手を握りました。叔母の手のぬくもりは、何も変わっていませんでした。私は立ち上がり、持ってきた食材を台所へ運びました。
「今日は二人の好きな炊き込みご飯を作るね。」
叔父が笑います。
「無理をしなくていいぞ。」
「私が作りたいの。お父さんとお母さんだから、作りたいの。」
私は二人を見て答えました。
家族とは、血の繋がりだけで決まるものではありません。苦しい時に手を差し伸べ、相手の人生を尊重し、幸せを心から願える人。私にとって家族とは、そんな人たちのことなのです。



