「母さん、沙梨奈に嫌がらせしてるって聞いたぞ」…

「母さん、沙梨奈に嫌がらせしてるって聞いたぞ」...

「嫁いびりとか文字で引くわ。いい年して恥ずかしくないの。」

二階から聞こえてきた息子の怒鳴り声に、私は手にしていた包丁を止めた。夕食の準備をしていた静かなキッチンに、その言葉が鋭く突き刺さる。私が嫁いびり? 一体何のことなのか、まったく理解できなかった。

隣で新聞を読んでいた夫の清も、驚いた表情で私を見つめている。階段を降りてくる足音が響き、息子の大志と嫁の沙梨奈がリビングに入ってきた。沙梨奈は涙目で私を見つめ、大志は怒りをあらわにしていた。

「母さん、沙梨奈に嫌がらせしてるって聞いたぞ」

大志の言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。

「そんなこと、一度もしていないわよ」

私の声は震えていた。しかし大志は信じようとしない。

「嘘つくな。沙梨奈がそう言ってるんだ」

その瞬間、私の胸に冷たいものが広がっていく。家に一円も入れていない息子夫婦が、今度は私に濡れ衣を着せようとしているのだ。

私は原田洋子、今年六十六歳になる。病院で栄養士として三十六年間働き続けてきた。患者さんの健康を支える仕事に、ずっと誇りを持ち続けている。息子の大志を育てるため、夫の清と二人で必死に働いた。教育費は大学卒業までで総額八百五十万円。決して楽な金額ではなかった。それでも息子の幸せを願って支え続けてきたのだ。

大志が結婚する時、私たちは結婚式の費用として三百万円を援助した。新しい家庭を築く息子を心から応援したい気持ちでいっぱいだった。そして一年前、大志夫婦から同居の申し出があった。家賃が高くて生活が苦しい。同居させてほしい。困っている息子を見て、私たちは心よく受け入れた。

月に五万円だけ生活費を入れるという約束だった。しかしその約束は、最初の一ヶ月も守られなかった。一年が経った今も、一円も入れていない。食費も光熱費も、全て私たち夫婦が負担している。

嫁の沙梨奈は専業主婦だが、家事は一切手伝わない。朝五時に起きて弁当を作るのも、夕食の準備をするのも、全て私だ。沙梨奈は昼まで寝て、起きればスマートフォンを眺めている。それでも私は我慢してきた。家族だからと自分に言い聞かせながら。

最初は小さな違和感から始まった。ある日の夕食、沙梨奈が料理を一口食べて眉をひそめた。

「お母さん、この料理、味が濃すぎます」

私が作った肉じゃがを見つめながら、沙梨奈は不満そうな表情を浮かべた。翌日は別の料理に文句をつける。

「昨日は濃いって言ったから薄味にしたのに、今度は薄すぎるって言うの」

私の問いかけに、沙梨奈は肩をすくめるだけだった。掃除についても同じだった。拭き掃除をすれば細かいゴミが残っていると指摘される。

「お母さん、ここ見てください。全然綺麗になってないじゃないですか」

何をしても文句を言われる日々が続いた。夫の清は私を気遣ってくれる。

「気にするな。嫁姑なんてそんなものだ」

清の言葉に支えられながら、私は耐え続けた。しかし沙梨奈の態度は日に日にエスカレートしていく。

それから数ヶ月が過ぎた頃、沙梨奈の言葉は私の人格そのものを否定するようになった。

「お母さんって時代遅れですよね」

拭き掃除をしていた時、沙梨奈が突然暴言を放つ。私が着ている服を見て笑いをこらえているようだった。

「その服装、正直恥ずかしいです。今風のものを着たらどうですか?」

三十六年間栄養士として働いてきた私の誇りまで踏みにじる。

「病院食なんて誰でもできるじゃないですか。レシピ通りに作るだけでしょう」

患者さんの健康を考え、バランスを計算し、食べやすさまで工夫してきた仕事だ。それを誰でもできると言われ、私の心は深く傷ついた。

さらに辛かったのは、息子の大志までも沙梨奈の言葉に同調し始めたことだ。

「母さん、もうちょっと考えて行動してよ」

大志の冷たい言葉に、私は何も言えなくなっていく。八百五十万円をかけて大学まで出した息子が、目の前で私をないがしろにする。教育費だけじゃない。これまで愛情を注ぎ、育ててきたすべてが否定されたような気持ちだった。

私はその日、食器を洗いながら涙をこぼした。清は何も言わず、そっと私の肩を抱いてくれた。それでも心の傷は癒えない。息子夫婦と同じ屋根の下で、毎日顔を合わせながら生きていく。それがどれほど辛いことか、誰にもわからないだろう。

そして今、息子の大志が私に「嫁いびり」という濡れ衣を着せている。沙梨奈が言ったことだと信じ込んでいる。

「母さん、沙梨奈が可哀想だろ。ちゃんと謝れよ」

大志の言葉に、私は悲しみよりも怒りが湧いてきた。

「謝る? 何を謝るの? 私は何もしていないわ」

「俺が聞いたんだ。沙梨奈が『お母さんにいじめられてる』って泣いてたんだよ」

沙梨奈が泣いていた? 私は毎日、食費も光熱費も負担し、家事もすべて一人でこなしている。それなのに嫁いびり?

「沙梨奈さん、私があなたに何をしたっていうの?」

私は震える声で沙梨奈に尋ねた。しかし沙梨奈は私の目を見ずに、大志の後ろに隠れるようにしていた。

「お母さんの言うこと、全部嫌なんです。私のやり方を否定ばかりするから…」

私のやり方を否定? 私は一度だって沙梨奈のやり方を否定したことはない。逆に、何か手伝えることはないかと何度も聞いた。しかし沙梨奈はいつも「大丈夫です」と言うだけで、何も手伝ってはくれなかった。

「私が何を否定したっていうの?」

「だって…お母さん、私が作った料理も食べてくれないじゃないですか」

そう言われて思い出した。確かに沙梨奈が料理を作ったことが一度だけあった。しかし、その時に私は食べなかった。なぜなら、その日は私が当番で、病院で遅くなる予定だったからだ。私は清に「沙梨奈さんが作った料理を食べてね」と伝え、清は食べたはずだ。しかし沙梨奈は、私が食べなかったことを根に持っていたのだ。

「あの日は仕事で遅くなるって言ったでしょ? だから私は食べられなかったの」

「でも…お母さんは私の料理なんて食べる気がないんだと思いました」

沙梨奈の言葉は、もはや理屈になっていなかった。何を言っても、沙梨奈は自分が被害者だと言い張る。そして大志も、沙梨奈の言い分を信じている。

「母さん、もういい。沙梨奈を泣かせるようなこと、もう二度とするな」

大志は冷たく言い放ち、沙梨奈を連れて二階へ上がっていった。残された私は、キッチンに立ち尽くすことしかできなかった。

その夜、清がそっと私の手を握った。

「洋子、辛かったな」

「清…私は何もしていないのよ。本当に」

「わかってる。俺が一番知ってる」

清の言葉に、私は涙が止まらなかった。この人は私のことを信じてくれている。それだけが救いだった。

しかし、事態はさらに悪化する。数日後、沙梨奈が突然実家に帰ってしまったのだ。大志は私に怒鳴った。

「母さんのせいだ。沙梨奈が家出したぞ!」

「何を言ってるの? 私は何もしてないわ」

「沙梨奈からラインが来たんだ。『お母さんが怖いから実家に帰る』って。母さん、沙梨奈に何か言ったんだろ!」

私は何も言っていない。ただ、いつものように家事をこなし、静かに暮らしていただけだ。

「母さん、俺は沙梨奈を選ぶ。もう俺たちの家庭に干渉しないでくれ」

大志のその言葉を聞いた瞬間、私は夫の清と顔を見合わせた。清も信じられない表情をしていた。

「大志…それは、何を言ってるの?」

「俺たち夫婦は、二人でやっていく。母さんにはもう関わらないでほしい。同居は解消する」

大志はそう言い放ち、家を出ていった。私はその場に座り込んでしまった。息子にここまで言われるとは、思ってもみなかった。私はただ、息子を支えてきただけなのに。

清は黙って私を抱きしめてくれた。

「洋子、俺はずっと横にいる。大志が何を言おうと、俺はお前の味方だ」

しかし、それでも心の傷は深いままだった。私は何のために、これまで働いてきたのか。何のために、息子を育ててきたのか。すべてが無駄だったのだろうか。

そして、その夜のこと。私のスマートフォンに、見知らぬ番号から着信があった。出てみると、それは沙梨奈の姉だという女性だった。

「あの…原田洋子さんですか? 沙梨奈の姉の美穂です。ちょっと、話がしたいことがあります」

美穂は緊張した声でそう言った。

「沙梨奈から聞きました。母であるあなたにいじめられているって。でも、あの子の言い分だけを信じるのはちょっと違うと思って。直接、お会いしてお話しできませんか?」

沙梨奈の姉が、わざわざ私に会いたいと言ってきている。それはなぜだろう。沙梨奈の味方をするわけでもなく、私の話を聞きたいだなんて。

私は翌日、美穂とカフェで会うことにした。何が待っているのか、わからなかった。しかし、もしかしたら、何か事実が明らかになるかもしれない。

美穂はカフェに現れると、私に深く頭を下げた。

「申し訳ありません。妹がご迷惑をおかけして」

「いえ…そんな」

「実は、沙梨奈は昔からそうなんです。自分の非を認めず、他人のせいにする癖があって。今回も、きっとあの子が悪いんでしょう?」

美穂の言葉は、私が信じていた通りだった。沙梨奈は自分の思い通りにならないと、周りを責める癖がある。私が嫁いびりをしていると言われたのは、まったくの濡れ衣だった。

「でも、それなら何故、大志は沙梨奈の言葉を信じるんでしょう?」

「大志さんは沙梨奈に弱みを握られているのかもしれませんね。あの子は、相手の弱点を突くのが上手なんです」

弱み。私には何も知らされていないが、大志には何か、沙梨奈に握られているものがあるのだろうか。

私は翌朝、大志に電話をかけた。しかし、大志は出ない。何度かけても、不通のまま。私は再び、大志との関係を修復することを諦めかけていた。しかし、その時、珍しく大志から電話がかかってきた。

「母さん…話がある。会ってくれないか?」

大志の声は、以前よりも沈んでいた。私はすぐに、大志の指定した場所に向かった。

大志は私の顔を見るなり、涙を流しながら土下座した。

「母さん…ごめん。俺が間違ってた」

「大志…どうしたの?」

「俺、沙梨奈に騙されてたんだ。あいつ、俺の金を全部奪って実家に帰ったんだ。多額の借金まで残して」

大志の話によると、沙梨奈は結婚当初から大志の給料を自分の口座に移し、私には内緒で借金を重ねていたという。そして、その借金を私のせいにするために、嫁いびりされていたという嘘を作り上げたのだ。

「沙梨奈に『お母さんが嫌だ』って言われて、俺も頭が真っ白になって…気づいたら、あいつに言われるまま、母さんを責めてた」

大志は泣きながら詫び続けた。

「母さん、今までごめん。母さんは何も悪くない。俺がバカだったんだ」

私は大志の姿を見て、怒りよりも悲しみを感じた。だが、それ以上に、ほっとした気持ちもあった。彼は、私のことを理解してくれたのかもしれない。

しかし、問題は終わっていなかった。大志は沙梨奈と離婚するために、沙梨奈と連絡を取ろうとしているが、沙梨奈は行方不明になっているのだ。借金を残されて、大志は途方に暮れている。

「母さん、もう一度だけ…俺を支えてくれないか?」

大志の懇願に、私はどう答えるべきか悩んだ。しかし、私は大志の母だ。何があっても、見捨てるわけにはいかない。

「いいわよ。ただし、もう嘘はやめて。本当のことだけを話して」

「ありがとう、母さん」

大志は再び涙を流した。私は心の中で、これからのことを考え始めていた。しかし、このままでは済まないだろう。沙梨奈は借金を残したまま行方不明。もしかしたら、私にまで何かしてくるかもしれない。

それから数日後、私は突然、銀行から電話を受けた。

「原田洋子さんの口座から、不正な引き出しがありました。至急、ご確認ください」

不正な引き出し? 私は慌てて銀行に向かった。確認すると、私の口座から三百万円が引き出されていた。沙梨奈が、私の通帳と印鑑を盗んで引き出したのだ。私はすぐに警察に届けた。しかし、沙梨奈の行方は依然としてつかめない。

大志は沙梨奈を探して奔走し、私は夫の清と共に、静かに暮らしながら日々を過ごしていた。しかし、このまま逃げ続けるわけにはいかない。私は決意を固めた。

「沙梨奈さん。あなたのやったことは許されないわ。責任を取っていただきます」

私はやがて、沙梨奈を法的に追及することを決めた。しかし、その決意の先に何があるのか、私にはまだ想像もつかなかった。大志に再び悲しみが訪れるかもしれない。それでも、私は真実を明らかにするつもりだった。

だが、思わぬ事実が私を待っていた。沙梨奈が私の通帳と印鑑を盗んだという証拠を見つけたとき、その裏に、もっと大きな闇が潜んでいることがわかったのだ。沙梨奈は一人で動いていたわけではない。何者かが、彼女を操っている可能性がある。

私はその夜、清にそのことを話した。

「清、沙梨奈には共犯者がいるかもしれない」

「共犯者? まさか…」

「確証はないけど、あの娘一人でできることではないわ。もしかしたら、誰かが沙梨奈を使って、私たちから金を搾取しようとしているのかもしれない」

清は深くため息をついた。この闇の果てに、何が待っているのか。私は立ち上がり、再び調査を始めることにした。

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