今日は空気読んで帰ってくれない。そう息子に言われた瞬間、全身の血が引いていくのがわかった。玄関先には親戚20人。手には心を込めて作った料理の重箱がある。私は68歳で、夫を亡くしてから女手ひとつで息子を育て上げた。大学費用も、結婚式も、新居も、孫の教育費も、すべて捧げてきた。それなのに、いま息子の嫁の実家の前で「家族だけ」と追い出されたのです。周りの親戚は二つに分かれて、誰も本気で守ってはくれ…

今日は空気読んで帰ってくれない。そう息子に言われた瞬間、全身の血が引いていくのがわかった。玄関先には親戚20人。手には心を込めて作った料理の重箱がある。私は68歳で、夫を亡くしてから女手ひとつで息子を育て上げた。大学費用も、結婚式も、新居も、孫の教育費も、すべて捧げてきた。それなのに、いま息子の嫁の実家の前で「家族だけ」と追い出されたのです。周りの親戚は二つに分かれて、誰も本気で守ってはくれ...

「今日は空気読んで帰ってくれない?」

その言葉を聞いた瞬間、全身の血が引いていくのがわかった。目の前には息子の琢磨と嫁の里香が、まるで私を嘲笑うかのような笑顔を浮かべて立っている。後ろには親戚20人の視線が、一斉に私へ突き刺さっていた。

「家族だけで楽しみたいので」

そう言って琢磨は、私の手に握られたお重をちらりと見やった。朝から心を込めて作った料理が詰まっている。新しく買ったワンピースに袖を通し、いつもの何倍も時間をかけて支度をした。この日のために、私はすべてを準備してきたのだ。でも、息子の目には冷たい光しかない。

「母さん、わかんない?」

震える声で「親戚の方も大勢いるじゃない」と問いかけると、里香が顔をしかめて言い放った。「すみません、今日は私達家族だけで」その横で、里香の母親がわざと聞こえるように囁く。「正解よ。お嫁さんは距離が大事。今時、同居なんてありえないわよね」親戚たちは二つに分かれて、一部は私をかばおうと口を挟むが、琢磨が遮る。「おじさんは関係ないですから」

私は68歳。郵便局で30年間働き、地域で最も信頼される配達員として表彰されたこともあった。夫を早くに亡くし、女手ひとつで琢磨を育て上げた。大学の学費も、結婚式の500万円も、新居の資金も、孫の教育費も、総額数千万円をこの子のために捧げてきた。それなのに、私はいま玄関先で誰も味方のいない公開処刑を受けている。

「琢磨、あなた本気なの?」声が涙で震える。でも、息子はただ冷たく「母さん、わかんないよ」とだけ言った。里香の母親が「帰れ」と言わんばかりに目配せをする。私の足は動かなかった。いや、動けなかった。息子はかつて、私が膝に抱きながら絵本を読んでやったあの子のはずだ。公園で手を繋いで歩いた日々が、走馬灯のように甦る。それなのに、いま目の前にいるのは見知らぬ他人のような男だった。

「お母さん、もう帰ってくれる?」

里香が笑顔のまま、二階の窓を指さした。私はお重箱を胸に抱き直すと、ゆっくりと深呼吸をした。涙を堪えて、震える手をポケットに滑り込ませる。そこには、スマホの録音ボタンが押しっぱなしになっている。私はまだ何も言っていない。でも、この声は確かに記録されている。裏切りの瞬間が、データとしてここに刻まれたのだ。私はゆっくりと背を向けて、車へ向かう。ただ、まだ終わってはいない。

「ありがとう、琢磨。恩を忘れなければ、もしかしたら許してあげられるかもしれない」

そう囁いて、私は車のエンジンをかけた。後部座席に置かれた通帳には、この何年かで息子の結婚相手の実家が購入した土地の記録がある。私はその取引に気づいていた。でも、まだ何も行動には移していない。

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