結婚40周年の夕食で、夫が私に言いました。「今日中にこの家から出て行ってくれ。」40年間、私はこの家のためにすべてを捧げてきました。子供を育て、義理の両親を看取り、家計も家事もすべて私が担ってきました。でも夫が記念日にくれたのは、感謝でも花束でもなく、古い旅行鞄でした。私は何も言わず、黙って荷物を詰めました。夫は私が泣いてすがると思っていたのでしょう。でも、私はもう決めていました。夫が私に隠…

結婚40周年の夕食で、夫が私に言いました。「今日中にこの家から出て行ってくれ。」40年間、私はこの家のためにすべてを捧げてきました。子供を育て、義理の両親を看取り、家計も家事もすべて私が担ってきました。でも夫が記念日にくれたのは、感謝でも花束でもなく、古い旅行鞄でした。私は何も言わず、黙って荷物を詰めました。夫は私が泣いてすがると思っていたのでしょう。でも、私はもう決めていました。夫が私に隠...

結婚40周年の夕食の席で、夫の正仁は箸を置くことさえせずに言った。「今日中にこの家から出て行ってくれ。」私は手に持っていた茶碗をそっと置いた。今なんと聞こえたのだろう。正仁は私が朝から何時間もかけて用意した料理を食べながら、平然と続けた。「この家は俺の親から継いだ家だ。つまり俺のものだ。お前には出ていってもらう。」

私はその言葉を聞いても、泣きもせず、反論もしなかった。ただ、静かに立ち上がった。正仁は私がすがると思ったのだろう。あるいは泣き喚くと思ったのだろう。でも私は違った。私は寝室へ行き、必要な服だけを古びた茶色い旅行鞄に詰めた。それは40年前、新婚旅行で使った鞄だった。結婚40周年の記念日に、夫から渡されたのは感謝の言葉でも花束でもなく、この古い鞄だった。

玄関で靴を履くと、正仁が腕を組んで立っていた。「今更謝っても遅いからな。」私は振り返り、深く頭を下げた。「40年間、お世話になりました。」正仁は少し戸惑ったように「それだけか」と尋ねた。私は頷いた。「はい、それだけです。」そして、私はその家を出た。正仁は私が何を調べていたのか、まったく知らなかった。

私は65歳の専業主婦だった。正仁は5歳年上の70歳。結婚して40年、2人の子供を育て、正仁の両親の介護も見送りも、すべて私がやってきた。家事も家計もほとんど私が担ってきた。正仁は昔から厳しかった。「俺が働いてるからこの家が成り立ってるんだぞ」と言うのが口癖だった。私はそれに反論しなかった。専業主婦の私にとって、外で働く正仁への感謝も確かにあったからだ。でも、いつからだろう。感謝はいつしか遠慮になり、遠慮はいつしか我慢になっていた。

私が初めて異変に気づいたのは、半年ほど前のことだ。役所に出す書留に使おうとした印鑑が、引き出しから消えていた。「正仁さん、私の印鑑知らない?」「知らない。」新聞から顔も上げずにそう言われた。3日後、その印鑑は何事もなかったかのように元の引き出しに戻っていた。私の勘違いだったのか。そう思った。でも、翌月、銀行からの封筒が届いた。私が見るより先に、正仁がそれを取り上げた。「それ、何?」「俺のだ。」「でも私の名前も…」「お前には関係ない。」

その夜、台所で洗い物をしていると、正仁が電話で話す声が聞こえてきた。「家なら俺名義だ。担保にしても問題ない。妻の保証もつけてある。」私は手を止めた。でも水は止めなかった。気づかれたくなかったからだ。翌朝から、私は日付とその日の会話をノートに残し始めた。見つけた書類はすべて写真に撮った。自分が過去に署名した書類も確認した。そしてある日、正仁の机の引き出しから1冊のパンフレットを見つけた。表紙には「海を望む豪華な高齢者向け施設」とあり、大きな文字で「老後の資産を増やしながら優雅な第二の人生を」と書かれていた。投資すれば高い配当金が入るらしい。

私は会社名を調べた。でも、その建設予定地にはまだ何も建っていなかった。会社もできたばかりだった。私は一度だけ正仁に尋ねた。「その投資、本当に大丈夫なの?」正仁は嘲笑した。「女が余計な口を出すな。俺はお前より世間を知ってる。黙ってればいい。」その瞬間、私は決めた。もう一度だけ、きちんと調べよう。それで何もなければ、私の思い過ごしだったと笑えばいい。でも、それは思い過ごしではなかった。結婚記念日の1週間前、私は自分名義で駅前の小さな部屋を借りた。6畳の和室、狭い台所、窓から見えるのは向かいの屋根だけ。それでも、誰にも「出ていけ」と言われない部屋だった。

そして結婚40周年の日、正仁から本当に「出ていけ」と言われた。だから私は、予定より少し早くその部屋へ移っただけだった。翌朝、早くに正仁から電話があった。「はる子、お前、何か知ってるのか。」その声は、昨夜までの威圧的なものとは違っていた。少し震えていた。

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