義母の誕生日会。高級フレンチの店内は、柔らかな照明と上品な雰囲気に包まれていた。私は夫のハルト、義母と共に、運ばれてくる美しい料理を楽しんでいた。そんな穏やかな時間を、義姉の一言が切り裂いた。
「うちには出さないでね。きっちり割り勘だから」
義姉は勝手に私たちを貧乏夫婦だと決めつけ、いつも見下すような物言いをする。今回もまた、私たちを困らせてやろうという魂胆なのだろう。しかし、この日の義姉は、自分がこれから思いもしない地獄に足を踏み入れることになるとは、想像もしていなかったはずだ。
私は王野とか、二十七歳。三年前に高校の同級生だったハルトと結婚した。彼とは大学生の頃から長く付き合い、結婚後も私は仕事を続けている共働き夫婦だ。長い付き合いだからか、私たちは親友のような関係で、互いの仕事を尊重しながら支え合ってきた。周りと比べて早くに結婚したこともあり、しばらくは仕事に専念しようと決め、子供はいなかった。しかし、お互いの仕事が落ち着いてきた一年前くらいから、そろそろ子供について考えるようになっていた。
そんな矢先、夫の父が他界した。元々持病があったため覚悟はしていたが、やはり悲しく辛い出来事だった。そして、父が亡くなってから、私たちはある決断を下した。義母が一人で暮らすのは心配だと考え、私たち夫婦が義実家に引っ越すことにしたのだ。ハルトと相談して決めたことで、私ももちろん大賛成だった。
もともと私は義母と本当の親子のように仲が良かった。学生の頃から優しくしてもらい、結婚を決めた時も涙を流して喜んでくれた。実の両親をすでに亡くしている私にとって、義母の存在は何より大切で、同居は私にとって嬉しいことでもあった。義母は最初こそ申し訳ないと遠慮していたが、最終的には「同居してくれたら私も安心だ」と喜んでくれた。
義母との生活は、とても楽しく幸せなものだった。仕事で疲れて帰ると、義母が温かいご飯を用意して優しく迎えてくれる。じっとしていられないと、洗濯や掃除まで進んでやってくれた。「甘えてばかりで申し訳ない」と言うと、義母はいつも決まって「家族なんだから甘えなさい」と言ってくれる。仕事で疲れ切っていた私たち夫婦も、同居を始めてから笑顔が増えた気がした。休みの日には三人で遠出をしたり、義母と二人で買い物に出かけたりもした。両親のいない私にとって、そんな時間は何にも代えがたい幸せなひとときだった。
しかし、そんな生活の中で、気になることが一つだけあった。夫の姉、義姉のことだ。義姉は二年前に結婚して実家を出ていたが、それまでは大学卒業後からフリーターをし、バイトをしながら実家で暮らしていた。私が知っているだけでも何度もバイトを辞めており、あまりいい印象はない。夫も昔から義姉のことを快く思っておらず、仲も良くなかった。私も正直なところ、義姉は好きになれなかった。
義姉はいつも上から目線で、人を見下すようなことばかり言っていた。私も散々、嫌な思いをさせられてきた。義姉は派手な服装やメイクを好むのに、私がシンプルな服を着ていると「地味だ」と言い、「いい服を買うお金もないんだろう」と馬鹿にしてきた。見た目のことだけではない。結婚してからも仕事を続ける私を見て、義姉は「ハルトに十分な稼ぎがないからだ」と決めつけて馬鹿にするのだ。
そもそも義姉は、実家にお金を入れるどころか、バイト代だけでは足りずに実家のお金を使っていた。義両親もそれには困っていて、何度か私たちに愚痴をこぼしていたこともある。義姉がまともに働かないことに関しては、私が口を出すことではないと思い、何とも思わないようにしていた。しかし、そんな人に金銭感覚や稼ぎについて馬鹿にされるのは、決して気持ちのいいものではない。
そんな義姉が突然、結婚すると言い出した。相手は大手企業の社員で「将来有望」「お金に困ってないから専業主婦でいられる」と散々自慢された。色々と思うところはあったが、結婚したら義姉の浪費癖も少しは良くなるかと、私たちは密かにほっとしていたのだ。
義姉が結婚して家を出てからは、会う機会も減り、嫌みを言われることもなくなっていた。ところが、私たちが義母と同居し始めたのをきっかけに、義姉がまた頻繁に顔を出すようになった。そして、相変わらずの嫌みをぶつけてくる。
「お金のない夫婦は、母親にお金を頼るのね。ここに住むようになるなんて。お母さん、かわいそうに」
義姉は、私たちが生活費を浮かせるために義母と同居を始めたと思い込んでいるようだ。義母も腹を立て、なぜ同居することになったのかを説明したが、義姉は聞く耳を持たない。最初は私も腹立たしかったが、何を言っても無駄だと分かると、もう気にしないようにしていた。夫も同じ気持ちなのか、好きに言わせておけばいいと特に反論もせず、そのうち義姉も気が済んで顔を出さなくなるだろうと考えていた。
しかし、反論しないことが逆効果だったようで、義姉の嫌みはどんどんエスカレートしていった。
そして迎えた、義母の誕生日会の準備の日。私たちは夫と義母と三人で、プレゼントを買いに街へ出かけた。ボーナスも出たこともあり、夫も私も奮発して、義母へのプレゼントを購入した。帰宅して三人で開封していると、そこに義姉がやってきた。
「何それ? 貧乏夫婦がブランド物なんて似合わないわよ。無理してこんなの買っちゃって。ああ、買えないんだ。これもお母さんが買ったんでしょ」
義姉は一人で勝手に決めつけて話を進めていく。私も夫もまたか、と流していたが、義母はどうやら怒りが抑えられない様子だった。
「いつもいつも勝手なことばっか言わないで。二人がもうすぐ私の誕生日だからって、買ってくれたのよ」
義母の強い口調に、義姉はたじろいだ様子で「そうなんだ」と言った。しかし、その大人しくなったのも一瞬だけだった。
「まあでも、ここで生活してお金も浮いてるんだしたら、それくらいしないとね」
そう言って、また嫌みが始まる。義母の顔はますます真っ赤に染まっていく。
すると、義母を落ち着かせようとしたのか、夫が提案をした。
「母さんの誕生日、どこか食事に行こうか」
私は即座に賛成し、義母も嬉しそうに頷いた。そんな私たちを見た義姉が、予想外の言葉を口にした。
「私たちも行くわ」
義姉夫婦も一緒に行くと言い出したのだ。私たちは少し驚いたが、せっかくなのでみんなで行くことにした。
「お母さんの誕生日なんだから、ちゃんと高級なお店にしてよね」
義姉は「高級」という言葉を何度も強調して言ってくる。私たちは分かったと了承した。義姉は満足したのか、不気味な笑みをこぼしながら帰っていった。何か企んでいるようだったが、またいつものように勝手に決めつけて悪口を言うのだろうと、あまり気にしないでいた。
しかし、私が食事をするお店を調べ始めた頃、義姉からLINEが届いた。内容は義母の誕生日会についてで、なんと「一人五万円くらいのお店にして」と言ってきたのだ。さすがに奮発しすぎではないかと思ったが、年に一度の義母の誕生日だ。いつも家のことを色々とやってもらっているし、どうせならいい誕生日にしたいとも思う。夫と相談した結果、私の友人が経営する高級フレンチに行くことにした。前々から行ってみたいと思っていたお店で、私もとても楽しみになった。
そして義母の誕生日当日。私たちは三人でお店に向かった。到着すると義姉夫婦も来ており、義姉はいつもより派手な格好をしている。私たちも高級店にふさわしい服装で来たが、また何か言われるのではないかと身構える。しかし、今日は義姉も機嫌がいいのか、私たちには見向きもせず、何も言わずに店内へ入っていった。さすがの義姉も、この日まで悪口を言う気はないのかと、私は少し安心した。
席につくと、次々と美しく盛り付けられた料理が運ばれてきた。どれも見た目が美しく、味も非常に美味しい。義母も目を輝かせて喜んでおり、そんな義母を見て私も夫も嬉しい気持ちになった。メイン料理を食べ終え、コースも残すところデザートのみとなった。どんなデザートが来るのかと期待している義母の元に、綺麗なケーキが運ばれてくる。
「お母さん、お誕生日おめでとう。別にケーキを出してもらえるように頼んでおいたんだ」
実はサプライズをしようと夫と計画し、友人に頼んでいたのだ。義母は目を潤ませながら、私と夫を交互に見てお礼を言ってくれる。私もお祝いの言葉を伝えようと口を開いた、まさにその時だった。私の声を遮るように、義姉が話し始めた。
「まともにお金も出せないくせに、何言ってんの?」
何を言うのかと思ったら、突然の義姉の言葉。さすがの夫も黙っていられなかったようで、険しい顔をしながら義姉に言う。
「おい、まだ食事も終わってないんだぞ。しかも席でこんな話はやめよう」
「都合が悪いからって話を止めないでよ。どうせ今日も、お母さんに払ってもらえると思ってるんでしょ」
そう言いながら、義姉はケラケラと笑っている。義姉の夫も止めようとしているが、義姉は話し続ける。
「お母さん、私の言った通り、財布は持ってきてないわよね」
義姉は義母を見ながら、強い口調でそう尋ねた。
「うん。お姉ちゃんが絶対持ってくるなって強く言うから、置いてきたけど」
義母の返事を聞いた義姉は、どうだと言わんばかりの顔で私たちを見てくる。
「どうせ支払いもできないくせに、調子乗っちゃって。人に甘えて生きてるあんたたちに分からせてあげようと思って」
最初は何が言いたいのか分からなかったが、徐々に理解できた。義姉は、私たちがこんな高級店でのお会計などできるはずがないと決めつけ、私たちを困らせるために、全て計画していたのだ。わざと高い金額を指定し、義母が払うこともできないように財布を持ってこないよう言ったのだろう。どうしてこんな時までそんなことをするのかと、私もだんだん腹が立ってきた。
「あんたたちには出さないでね。きっちり割り勘よ」
義姉は最後に、満足そうに言い放った。
私はそんな義姉に答えるように、笑顔で口を開いた。
「え、いいんですか? 分かりました。お母さんの分もこちらで払うので、大丈夫ですよ」
義姉は、私たちが困って泣きついてくるとでも思っていたのだろう。予想外の返事に、義姉の顔は歪んだ。
「何? 友達にどうにかしてって頼むつもり?」
私たちの困った顔が相当見たかったのか、まだ義姉は嫌味を続けている。せっかくの義母の誕生日会が台無しになってしまうと、私も夫も呆れ果てていた。
すると、その時だった。険しい顔で黙っていた義母が、口を開いた。
「割り勘にして困るのは、お姉ちゃんの方じゃないかしら」
義母の言葉に、店内がシンと静まり返る。義姉は何を言っているのかと驚いて目を見開き、義母を見つめた。
「何言ってるの? お母さん。私の夫を誰だと思ってるの? 夫は大企業で働いてるのよ。こんな会計くらい、なんてことないわ」
義姉はそう言ってまたケラケラと笑い出したが、今度は義姉の夫が驚いた顔をしている。
「え? ここは君が用意してるんじゃないのか。会計は気にしなくていいって言ったじゃないか」
義姉の夫は驚きながら、少し興奮したように義姉に訴えかけた。そんな姿を見て、義姉は戸惑っている。
「何言ってるの? それは弟夫婦の会計は気にしなくていいって意味よ」
どうやら義姉の言葉は、夫に勘違いして受け取られていたようだ。二人はその場でギャーギャーと言い争いを始めてしまった。そんな姿に、私も夫も、そして義母も呆れてため息が出る。
「もう、正直に話すべきなんじゃないかしら」
そんな二人を制するように、義母は義姉の夫に言った。義姉の夫は義母の言葉を聞いて、困ったように顔を俯かせながら、ぼそぼそと話し始めた。
「実は……もう会社を退職しているんだ。今は転職活動中だよ」
突然のカミングアウトに、義姉は驚いて固まってしまった。実は義姉の夫は、少し前に大手企業を退職していたのだ。仕事が合わず、ストレスを抱えていたようだ。そして退職してすぐに、義姉の夫は私たちにそのことを伝えに来ていた。義姉に話したら騒ぐから、精神的に落ち着くまで黙っていてほしいとお願いされていたのだ。その時の義姉の夫は疲れ果てており、私たちもそっとしておこうと了承したのだった。
最初は信じられない様子だった義姉も、真剣に話す夫の姿を見て、本当なのだと理解したようだ。
「う……でも、退職金とか色々あるでしょ。今までの貯金もあるし、少しくらい働かなくたって困らないでしょう」
そんな義姉の態度に、義姉の夫は深いため息をついた。
「君が注意しても浪費をやめないから、貯金なんてないよ。それに、ハルト君にお金を借りているんだ」
実は先日、義姉の夫に頼み込まれ、夫はお金を貸していたのだ。義姉の夫は、毎月膨大なカードの支払いに追われ、困り果てていたようだ。
「そんなの、この夫婦にそんなお金があるはずないじゃない」
散々私たちを貧乏夫婦と馬鹿にしてきた義姉は、この事実を受け入れられないようだ。
「いい加減にしなさい。人に甘えて生きてるのは、お姉ちゃんの方じゃない。私の生活費も、ハルトと花さんが負担してくれてるのよ」
義母に言い放たれた言葉に、義姉は何も言い返せなくなっていた。お金がないから共働きをしなければいけないと決めつけていた義姉には、信じられないのだろう。実際、私と夫は仕事が好きで成果もあげており、同世代の世帯と比べて収入はいい方だと思う。今後子供が生まれたら今より余裕はなくなるし、義母にも世話をかけると思い、できるうちはと義母の生活費も負担していたのだ。自分の両親にも夫にも散々注意されていた義姉だったが、最終的にはいつもなんとかなっており、気にしていなかったのだろう。
「支払いは、あんたで済ませればいいじゃない。もう気分が悪いわ。行きましょう」
義姉は義姉の夫にそう言って立ち上がり、帰ろうとしている。しかし、義姉の夫は席から立とうとしない。
「君が浪費しないように、カードの上限額も下げてある。だから、もう上限いっぱいで使えないと思うよ」
冷静にそう伝えられた義姉は、顔を真っ赤にして怒り始めた。
「何なのよ。大企業に勤めてたから結婚してあげたのに、騙したのね」
義姉の夫はそんな言葉を聞いて、とても悲しそうな顔をしていた。きっとこうなることを予想して、義姉の夫は本当のことを言うのを避けていたのだろう。黙っていたことも良くないことだが、いくら何でもそんな言葉を自分の夫にかけるなんて、最低だ。見かねた夫は、夫婦で話し合いをするべきだと言って、お会計を済ませ、私たちは帰宅することにした。
その後、義姉夫婦は離婚したようだ。あんなことを言われて、一緒にいられるはずもないだろう。義姉が浪費することもなくなったことで、義姉の夫はすぐに夫にお金を返してくれた。今は新しい職場で、バリバリ働いているようだ。そして、義母の誕生日会から、義姉には一度も会っていない。散々私たちを馬鹿にしていたこともあり、今更実家には帰って来られないのだろう。バイトをしながら一人暮らしをしているようだが、浪費癖がすぐ治るはずもない。それに、三十歳を過ぎるまでまともに働いていなかった義姉が、仕事を続けられるとは到底思えない。今まで周りの人に甘えていた義姉にとって、とても辛い暮らしをしているのだろう。何度か義母に泣きついて電話をしてきたらしいが、義母はもう甘やかすつもりはないと、きっぱり断っていた。
義姉が来なくなったことで、私たちは再び平和な暮らしを取り戻した。そして、私は子供を授かったのだ。夫も義母も生まれてくる子供を楽しみにしているようで、私もとても嬉しい。これからも夫と義母と、そして生まれてくる子供と支え合いながら、幸せに暮らしていきたいと思う。



