稀代の名器で50億を荒稼ぎ!三越女帝・竹久みちの末路【ゆっくり解説】

三越を揺るがした「女帝」竹久みち ― 巨額不正事件の真相

1980年代初頭、日本を代表する老舗百貨店・三越を舞台にした大規模な不正事件が社会を震撼させた。その中心人物として注目を集めたのが、「三越の女帝」と呼ばれた竹久みち(本名・小島道子)である。

竹久みちは1930年に東京都で生まれ、裕福な家庭環境の中で育った。若い頃から華やかな世界に憧れ、デザインやアクセサリー制作の分野で活動を始めた。1958年、当時三越の宣伝部長だった岡田茂と出会ったことが、彼女の人生を大きく変える転機となる。

二人は次第に親密な関係となり、岡田は竹久の事業を積極的に支援した。竹久のアクセサリーは三越で販売されるようになり、その後も彼女の影響力は急速に拡大していった。1972年に岡田が三越社長へ就任すると、竹久は社員でも役員でもないにもかかわらず、人事や商品仕入れにまで口を出す存在となった。

問題となったのは、竹久が設立した関連会社を経由した不透明な取引だった。海外から仕入れた商品を複数の会社を通して三越へ納入し、その過程で高額な手数料を得ていたのである。さらに、売れ残ることが予想される商品を大量に仕入れさせた結果、三越は莫大な在庫を抱えることになった。

また、高級婦人服ブランドの運営では、「フランス製」と宣伝しながら実際には香港で製造された商品が販売されていたことも発覚した。こうした取引によって得た利益の一部は海外のペーパーカンパニーを利用して隠され、脱税にも利用されたとされる。

この東京女子医大の元理事長もやってる事から「女帝」と呼ぶに相応しいけど、女帝で思い出すのは「三越の女帝」と呼ばれた竹久みち 。子供心に「愛人」と言う言葉を初めて聞いたニュースだった。竹久と言う名前は竹久夢治から拝借したようだ。友達に「みち」という子がいて ...

1982年10月、東京地検特捜部は竹久を脱税容疑で逮捕。その後、会社に損害を与えたとして特別背任罪でも追及された。社員ですらない竹久が特別背任罪に問われたことは当時大きな話題となったが、検察は岡田元社長との共謀を立証した。

長年にわたる裁判の末、1997年に最高裁で懲役2年6か月、罰金6000万円の判決が確定した。この事件は企業統治の欠如や権力の集中が招いた典型例として、現在でも企業コンプライアンスを語る上で重要な事例として取り上げられている。

三越事件は、一人の経営者とその側近による私物化が、いかに巨大企業を危機に陥れるかを示した歴史的な教訓となった。