「立てたばかりの家に、汚い人を呼びたくないんです」——電話口で義理の娘にそう言われた時、私は言葉を失った。その「汚い人」とは、私の夫、正雄のことだった。介護が必要になった夫を、息子夫婦は「汚れる」と言ったのだ。「お金払うなら、ここに済ませてもらった意味ないじゃん」と笑いながら言われた日、私は息子の顔を見た。何も言わない息子。私はその時、決心した。誰かに見捨てられた夫と、私はどう生きるべきか。…
「立てたばかりの家に、汚い人を呼びたくないんです」 電話口で、息子の嫁のみさはそう言った。 「汚い人って、誰のこと?」 「お父さんですよ」 あまりにも簡単に言うので、言葉が出なかった。 「食べこぼししたり、身の回りのことだって、一人で何もできないじゃないですか。せっかくの新築なのに、汚されたら困りますから」 その言葉を残し、電話は息子の工事に変わった。 「工事も同じ考えなの?」 工事は何も答えなかった。もしかしたら、息子は違うかもしれない。 「聞こえてるの?」 でも、帰ってきたのは「うん」だった。 「みさの言うことも分かるし、俺たちには俺たちの生活があるから」 その瞬間、私の中に残っていた何かが、すっと消えた。 「分かったわ」 私は静かに言った。 今となれば、この電話が今の幸せな生活のきっかけだった。 私の名前は智子。65歳。夫の正雄は70歳。 正雄は昭和一桁生まれで、とにかく元気な人だった。「俺に任せとけばなんとかなる」それが口癖だった。定年後も朝早く起きて畑を手入れし、壊れた棚があれば自分で直す。私はそんな夫に感化され、退職後も友人の店で週に何日か働いていた。 私たちには年金がある。少し古いけれどローンがない一軒家もある。贅沢はできなくても、老後に大きな不安はなかった。 そんな私たちには、一人息子の工事がいる。今年で30歳。工事は遅くに授かった子だったので、少し甘やかしてしまったかもしれない。それでも大手企業に入り、隣の県で一人暮らしを始め、5歳年下のみささんと結婚した。 初めて会ったみささんは、いつも笑顔で「お母さん、これからよろしくお願いします」と頭を下げる、礼儀正しく可愛らしい女性だった。私も娘ができたみたいと喜んでいた。 まさか、あの笑顔の奥にあるものを見ることになるとは思わなかった。 二人の結婚から1年ほど経った頃、工事から電話があった。 「母さん、ちょっと頼みがあるんだけど」 住んでいるアパートが立て替えで取り壊されることになったそうだ。ちょうどそれを機に家を建てることにしたらしい。ただ、新居が完成するまで数ヶ月、済む場所がない。 「その間だけ実家に済ませてもらえない?」 部屋は余っている。久しぶりに息子と暮らせることも、少し嬉しく思った。 「いいわよ」 そう答えた数週間後、私たちの生活を大きく変える出来事が起きた。 夫が散歩中に、階段から転落したのだ。 命は助かった。でも、頭を強く打った影響で、以前と同じ生活には戻れなくなった。注意が続かない。感情が急に高ぶる。食事をこぼす。慣れた家の中でも、何かにぶつかったり転びそうになったりする。医者にも「今後はご家族の見守りが必要です」と言われた。 私は迷いながらも、工事へ電話した。 「同居の話なんだけど、お父さんの介護が必要になったから、今回は別の場所を探してくれない?」 ところが、みさが言った。 「私たちは気にしませんよ。介護しながら同居してる家庭なんて、たくさんあるじゃないですか」 「工事も、俺は仕事あるけど、みさは家にいるし、なんとかなると思う」 その言葉を、私は信じてしまった。 夫が退院した直後、工事夫婦も大量の荷物と一緒にやってきた。でも「地元の友達と約束してるから」と言って、荷物も開けずに二人で外出してしまった。 まあ、初日くらいはそう思った。が、翌日も、その次の日も、工事は「リモートだから」と部屋に閉じこもる。みさも「新居の家具を調べてるので」と出てこない。 「ご飯できたわよ」と呼んだ時だけ、二人揃って現れる。食べる、置く、戻る。食器すら流しに運ばない。 私は夫の着替えや食事、入浴から通院まで、その全部を抱えながら、さらに大人二人分の食事と洗濯まで増えた。一週間で体が重くなった。職場もやめた。夫から目を離せなかったからだ。 ある日、夫が食事中に少し味噌汁をこぼした。 「何するんだ」 突然、夫が大きな声を出した。 「ごめんね、正雄さん」 私はすぐに拭いた。 「ほら、もう綺麗よ」 「うん」 正雄はまた静かに食事を始めた。すると、みさが露骨に顔をしかめた。 「私、もういいです。今ので色々飛んだし、私潔癖症なんで」 まだほとんど手をつけていない料理を残し、立ち上がった。 「工事、外で食べようよ」 「工事も仕方ないな」 二人はそのまま出ていった。食卓には手つかずの料理。 しばらくして、夫がぽつりと言った。 … Read more