「ばあばはATMだなって、パパが言ってたよ。」…

「ばあばはATMだなって、パパが言ってたよ。」...

夫の介護を終え、ようやく心にぽっかり開いた穴がふさがり始めた頃、息子の優太が言った。「母さん、子供たちを週末だけ預かってくれないか。」嫁のかな子もフルタイムで働いているらしい。孫たちの世話は大変かもしれないけれど、家族の役に立てるのなら。そう思った私は、笑顔で引き受けた。

最初は家族全員で遊びに来ていた。ところが、いつからか優太だけになり、やがて玄関先に孫たちだけが下ろされるようになった。着替えを多めに持ってきてとLINEしても、既読はつくのに返事はない。泥だらけの靴下、おしっこで濡れたズボン、ぐっしょりの服。私が買い足すのが当たり前になった。気づけば私は「ばあば」ではなく、便利な保育士になっていた。

小学校1年生の亮はやんちゃで、5歳の妹の美結は甘えん坊。二人が駆け寄ってくるたびに私は微笑んだが、半年が過ぎる頃には、我が家は週末だけの保育園状態だった。

「ばあば、ゲームの充電切れた。」
「お腹空いた。カレーやだ。ハンバーグがいい。」

朝から晩まで、食べて、散らかして、喧嘩して、泣いて、叫んで。買い物に連れて行けば、亮が1500円のくじ引きをねだり、「ばあば、ケチ」と叫ばれ、美結は1500円の風船を欲しがった。気づけば、その日だけで1万円以上の出費になっていた。それでも私は「家族のためにできること」と自分に言い聞かせていた。

財布を開いた時、目に飛び込んできた残高に、わたしは固まってしまった。年金暮らしの私にとって、月8万円を超える出費は重すぎる。なのに、子供たちは「ありがとう」の一言も言わない。思い切って優太に電話した。

「あのね、お小遣いとか、服とか、少しだけでも費用を分担してもらえたら…」

言い終わる前に、冷たい声が返ってきた。
「頼んでないよ。母さんが勝手にやってることでしょ。」

その直後、かな子からも追い打ちのメッセージが届いた。
「自分でしたことに責任を持つのが大人ですよね。」

私はスマホを置き、しばらく何も考えられなくなった。夜、眠れなかった。私は甘かったのだろうか。家族のことを思って行動したつもりが、いつの間にか「都合のいい人」になっていた。無償で孫の世話をして、文句も言わずにやってきたことが、当たり前になっていたのかもしれない。

その週末も、何もなかったかのように孫たちがやってきた。かな子は車の中でスマホをいじりながら「お願いします」とだけ言って、手も振らずに去っていった。私の胸の奥が、ジクジクと痛んだ。

その後も亮がアイスを落とし、ゲームコーナーのくじ引きをねだる。結局、お菓子にガチャガチャ、キャラクターの風船まで買わされた。夜はパジャマがないと泣き出した美結に、私のTシャツを着せて寝かせた。朝、私の財布は空に近く、足腰は重く、気持ちはすさんでいた。ため息とともに、つぶやいた。「これって、私じゃなくてもいいんじゃないかしら。」

次の週、息子に電話した。
「ごめんね。やっぱり、私もちょっと疲れてきちゃって。毎週じゃなくて、たまには私も自分の時間が欲しいのよ。」

すると息子は言った。
「自分の時間って、何時間くらいあったら足りるの?」

「何時間とか、そういうことじゃないの。何も予定のない日を作りたいの。例えば、計画なく心のままに旅行に出かけたいのよ。」

電話口で、息子は鼻で笑った。
「母さん、何言ってるの?俺たちだって決まった時間に合わせて生活してるんだよ。会社とか幼稚園とか、みんなそうだよ。それが自由に旅行?夢見すぎだよ、母さん。」

その横で、嫁の声が割って入る。
「ねえ、家族から逃げないでくださいよ。大人の勝手で子供を振り回すのって、最低だと思います。」

私は言葉を失った。

翌週、亮と美結がまたやってきた。ドアの前に立っていたのは、かな子の車から下ろされた二人だけ。亮はふてくされ、美結は泣きそうな顔をしていた。
「ママが怒ったの。」美結がしょんぼりとつぶやいた。

私は何も言えず、二人の手を引いて家に入れた。冷蔵庫には孫の好きなゼリーや、キャラクターのお弁当セットまで用意してあった。それを見て、私は自分が情けなくなった。ここまでして、何になっているのだろう?

リビングに座った亮が、スマホをいじりながらぽつりと言った。
「ねえ、ばあば。パパが言ってたよ。ばあばはATMだなって。」

血の気が引いた。それでも笑ってごまかそうとした私に、今度は美結がトドメを刺した。
「ママがね、言ってた。あのお金くれる人、また騙されてるって。」

小さな唇から放たれた言葉が、私の胸に突き刺さった。騙されてる。私がこれまでやってきたことは、騙された末のことだったのか。お金を出すことで家族の一員でいられると思っていた。孫にとって欠かせない存在になれると思っていた。その幻想は、7歳と5歳の口から、あっさりと崩された。

その晩、眠れなかった。枕を濡らしながら、心の中で繰り返していた。「もうやめよう。このままじゃ壊れてしまう。」

ふとスマホの連絡先をスクロールし、ある名前で指を止めた。あやさん。半年前、陶芸教室で一緒になった女性だ。同じく夫を亡くし、全国を旅しながら土と向き合っている。震える指で通話を押すと、懐かしい声が返ってきた。

「あら、久しぶり。まりさん、嬉しい。どうしてる?もしかして、吹っ切れた?」

私は思わず笑った。
「あやさん、私、実は少し色々あって。あなたのことを思い出したの。なんか私も旅に出たくなっちゃって。」

「やっとその気になった。待ってたのよ。来週から空いてる。」
「計画とか、まだ何も考えてなくて。」
「それがいいのよ。計画ゼロで行きましょう。人生なんとかなるってこと、見せてあげる。」

電話を切った後、私は久しぶりに深く息を吐いた。窓の外には月が登っていた。その光は、私のこれからを照らしているように見えた。私はすぐに優太にLINEをした。「来週は所用があるため、子供たちのお預かりはできません。」夜に既読はついたが、連絡は来なかった。

あの日、あやさんに出会った時、なんて気持ちのいい人なんだろうと思った。好きなことだけを選択する人生に切り替えたという彼女の話に、当時の私は「そんな夢のようなこと、私には無理」と思い込んでいた。連絡先を交換しても、同じ土俵で話ができないと感じ、一度も連絡をしなかった。その結果が、今回の孫の世話として自分に振りかかっている。嫌なことばかりが起きるのは、自分で巻いた藁なのだと受け止めた。

朝焼けに染まる空の下、小さなキャリーケースを引いて私は家を出た。スニーカーの紐を結び直す。まるで学生時代の修学旅行の朝のようだ。新幹線の窓から見える景色が、あっという間に変わっていく。東京の重たい空気から、自分がどんどん解放されていくようだった。

あやさんとの待ち合わせ場所は、長野の小さな温泉町。行き先も日程もほとんど決めていない。ただただ心のままに移動する。そんな旅がしたかった。薪の香りと優しい湯に満ちた宿で、あやさんは変わらずさっぱりとした笑顔で迎えてくれた。

朝は鳥の声で目覚め、昼は陶芸体験。夜は囲炉裏で煮込んだ野菜と酒。スマホも時計も見ない。気づけば、胸の奥に凝っていた何かが、ポロポロ崩れていた。ああ、私、ちゃんと生きてる。心が温かくなって、涙が出そうになった。

囲炉裏の火がパチパチとなる静かな夜。湯上がりの地酒を片手に、あやさんと茶ぶ台を挟んで座っていた。
「ここ、落ち着くわね。時間がゆっくり流れてるみたい。」私がつぶやくと、あやさんは微笑んだ。

「まりさん、ようやく自分のための時間を持てたのね。ずっと家族のために生きてきたんでしょう。」

私は思わず頷いていた。夫の介護、息子の進学、嫁との関係。ひとつひとつ口にはしなかったけれど、胸の中で何度も反芻してきた。
「子育ても介護も後悔はないけど、でも、私、自分をどこかに置いてきちゃった気がするの。気づいたら顔が笑ってるだけで、心がどこにもいなかった。」

「わかるよ。私もそうだった。離婚してから、好きなことって何だっけって考えて陶芸を始めたのに、最初は土の匂いすら怖かった。でもね、手を動かしてると、自分に触れてる気がしたの。」

私はコップの中の酒を一口含むと、ふっと長く息をついた。
「もう誰かの期待に答えるために生きるのはやめようかなって。息子にどう思われてもいい。嫁に嫌われてもいい。私は私の人生を生きてみたい。」

あやさんは静かに頷いた。
「それが生きるってことよ。遅くなんてないわ。これからよ。」

私が旅先で心を解きほぐしていた、まさにその時。自宅ではとんでもない騒動が起きていた。

週末の朝、優太とかな子は何の連絡もなく、亮と美結を私の家に連れてきたのだ。しかし、ドアを何度ノックしても応答はない。カーテンは閉じたまま。LINEも既読がつかない。そりゃそうだ。その時、私は早朝のアクティビティでロープウェイに乗り、山頂へと向かっていたのだから。

かな子は苛立った様子で言った。
「ここに置いて行けば、起きたら面倒見るでしょ。うち予定あるんだから。」

そう言い残し、二人の子を玄関前に残して立ち去った。亮は美結の手を握りながら「ママ、どこ行ったの」と小さな声でつぶやいた。気温はどんどん上がり、南向きの玄関には日陰がなくなっていた。

しばらくして、近所に住む大原夫妻が玄関先で佇む子供たちに気づいた。
「どうしたの?おばあちゃんは?」

二人は顔を見合わせ、泣きそうな声で「いないの」と答えた。異変を察知した大原さんはすぐに警察に通報。ほどなくしてパトカーがやってきた。警察官が子供たちに話を聞き、保護する形で一時的に児童相談所に引き渡される事態になった。ニュースにはならなかったものの、地域では「まりさんのところに警察が来ていた」と噂になり、学校関係者にも知られ、夫婦は呼び出しを受けるはめになった。

数日後、旅から戻った私は、隣人の話から全てを知ることになった。呆然としながらも、心には罪悪感と同時に「これでようやく気づいたかもしれない」と思ってしまった。

旅から帰った翌朝。まだスーツケースも片付けていないうちに、玄関のチャイムが何度も鳴り響いた。
「おい、開けろよ。ふざけるなよ。」

インターホン越しに聞こえるのは、優太の声だった。ドアを開けると、優太とかな子が腕を組み、無表情で立っていた。

「あなた、どこ行ってたんですか?子供たち、警察に保護されたんですよ。ご近所の手前、恥ずかしい思いしたんですけど。」
「しかも、俺たち学校から呼び出し食らったんだぞ。母さんのせいで。」

私のせい。その言葉が胸にグサリと突き刺さる。
「私は先週、LINEしましたよね。お預かりできないって。」
「責任だけ押し付けて。私は子育てしましたよ。」かな子は鼻で笑った。
「自由とか夢とか、言い年して何言ってんの?家族から逃げないでよ。うちら、あなたしか頼れないんだから。」

私は唇を噛んだ。これまでの沈黙が、まるで了承のサインのように扱われていたのだ。

「俺たちは働いてるんだ。母さんは何もやってないだろう。だったら、子供の世話くらい見れるだろう。旅行だか知らないけど、遊ぶことばっかり考えて、勝手なことするなよ。」

優太の声が焦りで滲んでいた。でも、私は静かに言い返した。
「勝ってどの口がそういうの?私はようやく自分の人生を取り戻そうとしてるの。」

沈黙が流れた。
「私はあなたたちの都合の良い便利屋使いじゃない。愛してるからこそ、これ以上はやらせないの。子育ては、夫婦であるあなたたち二人が責任を持ってやりなさい。当たり前にもほどが過ぎるわ。何でも家族という言葉を使えば思い通りになると思わないで。家にいるのが当たり前。早起きが当たり前。世話をするのが当たり前。その当たり前が、今回の事件を招いたのよ。反省するのは、そちらよ。」

涙が頬を伝った。止まらなかった。でも、それは悲しみではなく、決別の覚悟だった。声を荒げてしまったので、隣のご夫婦が心配そうに見つめていたことに気づいた。でも、恥ずかしくなんかない。これが私の本心なのだから。優太とかな子は、黙って帰っていった。

嵐のような訪問から数日が経った。私は静かに自分の部屋の棚や引き出しを整理し始めた。必要なものだけを残し、過去の執着を手放す作業だった。

あやから届いた葉書には、こんな言葉が書かれていた。「まりさんは笑った顔が一番魅力的。遠慮せず、もっと笑って。」手が震えた。私は私を生きていい。それが、どんなに誰かにとって不便でも。

その日の午後、児童相談所から電話が来た。今回の件は、親から置き去りにされたとして、息子夫婦には厳重注意がされたらしい。しばらくは経過観察として、児童相談所の担当者が息子夫婦の家を訪問して様子を見るとのこと。私が一番気がかりだったのは、二人の孫のことだ。あの二人は「ばあばに捨てられた」と思っていないだろうか。深く傷つけてしまったのではないか。

すると、児童相談所の担当者がこう言った。「今回の件は、不在であるのに置き去りにしていった母親に対してのショックが強いとのことです。その後の調査で、どうやらかな子さんは家で子供たちと遊ぶことはなく、会話も業務連絡程度だったらしいのです。」

あの子たちにとっても、私の家は心のよりどころだったのだ。寂しかったのだ。だけど、今回第三者が入ってくれたことで、かな子も気持ちを入れ替えたらしい。他人にどうこう言われることではない。結局、本人が気づいて心を入れ替えない限り、解決することはないのだから。

翌日、自治体の暮らしサポート窓口に電話を入れた。あやに聞いた、短期滞在施設への問い合わせだった。場所も人も変えて、新しい空気を吸いたかった。

「しばらく家を離れます。」送ると、優太から既読だけがついた。夜、亮と美結の写真を眺めた。二人とも愛しくて仕方がない。でも、だからこそ、私は「依存される祖母」にはならないと決めた。私は誰かの犠牲ではなく、喜びとして関われる存在でありたい。決めた日の夜、久しぶりに深く長く眠れた。

荷物をまとめて短期滞在施設へ移る日。私は鍵をかけて、家の前に立った。数時間後、優太から短いメッセージが届いた。「母さんがしてくれてたこと、今やっと分かった気がする。」その言葉に胸が熱くなったけれど、私はもう元には戻らない。新しい生活が、今ここから始まるのだから。

「おはようございます。今日もいい天気ですね。」

声をかけてくれたのは、同じ施設にいる峰野さん。元中学校の美術教師というだけあって、いつも色とりどりのスカーフを首に巻いている。今日は鮮やかなオレンジ色のスカーフが朝日に映えて、美しかった。

「おはようございます。昨日の陶芸の作品、すごく素敵でしたね。」

そう返すと、彼は少し照れたように笑った。滞在先のこの施設は、想像以上に自由で活気があった。最初は不安だった私の心配は、すっかり消えていた。朝の食堂では、住人たちが新聞を読みながら穏やかに談笑し、日中は思い思いの時間を過ごしている。

「まりさんも、よかったら明日の読書会、一緒にどうですか?」

突然の誘いに、私は自然と頷いた。彼女は元図書館司書で、いつも興味深い本を紹介してくれる。今度取り上げるのは、現代の女性作家の短編集だという。

「うん、行ってみたいな。」

人と話すのも久しぶりで、その言葉を口にした瞬間、自分の中に残っていた寂しさや緊張が、ふっと解けていくのを感じた。

夕方、部屋の窓を開けると、遠くで子供たちの笑い声が聞こえた。近くの公園で遊んでいるのだろう。その声を聞きながら、遠くで暮らす孫たちのことを思った。亮、美結。あなたたちのことは、今でも大切。血の繋がった家族への愛情は変わらないけれど、私は祖母という枠だけで生きていくつもりはない。私にもまだまだ知らない自分がいて、これから出会う人たちがいる。新しい趣味や興味を見つけて、自分らしい毎日を築いていきたい。年齢を重ねることは終わりではなく、むしろ新たな始まりなのかもしれない。そんな思いを胸に、私は微笑んだ。

今日の読書会では、主人公が家族との関係に悩む物語を扱った。私が参加すると、あやも参加してくれた。そして、何かを感じ取ったのだろう。

「ねえ、まりさん。寂しいって思うことある?」

その問いかけは、まっすぐに私の心に響いた。正直に答えるべきか、少し迷った。でも、彼女の真摯な眼差しを見て、素直な気持ちを伝えることにした。

「あるわ。」言った瞬間に、亮や美結の声が耳に残っていたりして、心配になるの。でも、亮の笑い声や、美結が私の膝の上で絵本を読んでもらっていた時のぬくもり。そんな記憶が急に蘇って、胸が締め付けられることがある。孫たちは元気にしているだろうか?学校で困ったことはないだろうか?そんな思いが頭をよぎる夜もある。

私は小さく首を振った。
「でも、あのままじゃ私、壊れてたと思うの。誰にも何も言えずに、ただ都合のいい存在として置いていくだけだった。だからこれで良かったんだと思いたい。あの日々を思い返すと、今でも胸が苦しくなる。」

家事の後に私の時間は完全に家族のものになっていた。自分の意見を言えば「我がまま」と言われ、疲れを口にすれば「年のせい」と片付けられた。私という人間の存在が、どんどん薄くなっていくような感覚だった。

あやは優しく微笑み、「うん、よく頑張ったね」と肩にそっと手を置いた。その手の温もりが、私の心に深く染みた。誰かに認めてもらえるということが、こんなにも救いになるとは思わなかった。

「私も同じような経験があるの。夫を亡くしてから、子供たちは私を『守るべき存在』として扱うようになったの。優しさのつもりだったんでしょうけど、私の自立心を奪っていたのよね。」

その言葉に、私は深く頷いた。家族の愛情と束縛は、時として表裏一体なのかもしれない。

その夜、久しぶりに優太から電話が鳴った。着信音が響いた時、一瞬躊躇した。でも、逃げ続けるわけにはいかない。深呼吸をして、受話器を取った。

「母さん、会って話せないかな?子供たちも会いたがってて。」

声の向こうの優太は、以前より少し疲れているように聞こえた。きっと私がいなくなってから、家事や育児の大変さを実感しているのだろう。でも、それを理由に戻るわけにはいかない。私は少し迷った。孫の顔が浮かんで、会いたい気持ちが込み上げてくる。でも、以前と同じ関係に戻ってしまっては、何も変わらない。

「今のままじゃ無理よ。でも、あなたたちが私を人として尊重する準備ができたなら、考えてもいい。」

自分でも驚くほど、はっきりとした口調だった。これまでの私なら、きっと曖昧に答えて、結局家族の都合に合わせてしまっただろう。電話を切ると、不思議と涙がこぼれた。悲しさではなかった。張り詰めていた緊張が解け、心が少し軽くなったからだろう。長い間言えずにいた本音を伝えることができた。それは小さな一歩だったけれど、確実に前に進んでいる実感があった。

私はまだ母親で祖母でもある。その事実は変わらないし、家族への愛情が失われることもない。でも、それ以前に、一人の人間。「まり」という名前を持った、感情も意思もある存在なのだ。

あれから季節が一つ巡った。私はこの町の生活にも慣れ、週に一度の陶芸教室と、月に一度のワークショップで子供たちと触れ合っている。小さな手で土をこねる姿を見ていると、心が温かくなる。

「おばあちゃん、また来てね。」そう言ってくれた女の子の笑顔が、どこか美結に似ていて、胸が少しキュッとした。

ふと、ポケットの中のスマホが震えた。優太からだった。
「母さん、ありがとう。全部、知らせてたんだって、今になってやっとわかった。いつかまた話せたら嬉しいです。」

私は長い間、返事ができずにいた。でも、今なら答えられる。
「私も同じくらい自分を大事にできていなかった。だから今はそうしてるの。元気でいてね。」

それだけを送って、私はスマホを胸にしまった。日が傾き、空がオレンジに染まる。あやがベンチから手を振っている。

「まりさん、こっちこっち。」

私はゆっくりと歩き出す。心に何の後悔もない。過去の自分にそっと微笑みかけながら、そして未来へ。

Thumbnail