「お母さん、これで手切れ金です」
突然差し出された茶封筒を見て、私は言葉を失いました。中には一万円札が十枚。嫁のゆりさんが冷たい目で私を見下ろしています。
「今すぐこの家から出て行ってください。もう限界なんです」
私は原千子、六十八歳です。三十八年間、この家で暮らしてきました。息子夫婦ともずっと同じ屋根の下で暮らしてきました。
しかし、ゆりさんは信じられない言葉を続けます。
「他人の介護なんて真っ平ごめんです。お母さんには申し訳ないけど、私にも限界があるんです」
他人。
その言葉が胸に突き刺さります。家族だと思っていたのは、私だけだったのでしょうか。
「でもゆりさん、私はまだ元気ですし、介護なんて……今はまだ必要ないでしょう」
「今は元気でも、いずれは必要になるでしょう。その時になってからでは遅いんです。年金六万円あるなら、どこか安い施設でも探してください」
震える手で茶封筒を受け取りながら、私は亡き夫の顔を思い出していました。この家で一緒に過ごした思い出が、音を立てて崩れていくような気がしたのです。
思い返せば、私がこの家に嫁いできたのは三十歳の時でした。夫の実家を継いで暮らすことになり、舅姑との同居生活が始まりました。そして息子の年也が結婚した時、今度は私が姑としてゆりさんを迎えたのです。あの頃のゆりさんは初々しくて可愛らしい花嫁でした。私は自分が経験した苦労を繰り返させまいと、できる限り優しく接してきたつもりです。
孫が生まれてからは、毎日が戦場のようでした。三人の孫たちの世話に、朝五時起きでの朝食作り、洗濯、掃除。ゆりさんが仕事に復帰してからは、保育園の送り迎えも私の役目でした。
「お母さんがいてくれて本当に助かります」
そう言ってくれたゆりさんの笑顔を信じて、私は少ない生活費をやりくりしながら家族のために尽くしてきました。自分の年金の大半は家計に入れ、残りのわずかなお金で質素に暮らしていたのです。
五年前、夫が亡くなる直前、私の手を握ってこう言いました。
「千代子、この家と土地は俺たちが汗水流して手に入れたものだ。必ず守ってくれよ」
その言葉を胸に、私はこの家を守り続けてきました。まさか追い出される日が来るなんて、あの時は想像もしていませんでした。
ゆりさんの態度が変わり始めたのは、三年前ほどからでした。最初は些細なことでした。
「お母さん、この煮物、また薄いですね。もっとしっかり味付けしてもらえませんか?」
三十八年間作り続けてきた煮物を否定され、戸惑いました。でも若い人の好みに合わせようと、味を変えてみました。すると今度は、
「塩分取りすぎは体に悪いですよ。お母さんの料理、全体的に時代遅れなんですよ」
何を作っても文句を言われるようになりました。和食は古い、洋食は脂っこい、中華は濃すぎる。私の料理が全て否定されていきました。
ある日、孫の浩輝が私の作ったおにぎりを美味しそうに食べていると、ゆりさんが割って入ってきました。
「浩輝、それ捨てなさい。おばあちゃんの手は汚いから」
「でも美味しいよ」
「だめ。おばあちゃんはいろんなところ触ってるから、バイキンがついてるの。もう食べちゃだめよ」
目の前で私の作ったおにぎりがゴミ箱に捨てられました。浩輝の悲しそうな顔と、ゆりさんの冷たい視線。私は何も言えませんでした。
それから孫たちは私を避けるようになりました。
「おばあちゃん臭い。近寄らないで」
ゆりさんが吹き込んだ言葉を無邪気に繰り返す孫たち。一番下の美結だけはこっそり私に寄り添ってくれましたが、それもゆりさんに見つかると、
「美結、何度言ったら分かるの? おばあちゃんには近づかないでって言ったでしょう」
まるで私が病原菌のような扱いでした。
さらに辛かったのは、息子の年也の態度でした。
「母さん、ゆりの言うことも一理あるよ。確かに母さんの料理は今の時代には合わないかもしれない。でも年也や私は一生懸命分かってるよ。でもゆりも疲れてるんだ。少しゆりの言うことも聞いてあげて」
息子は完全にゆりさんの味方でした。三十七年間、家族のために尽くしてきた私より、嫁の方を持つのです。
家の中での私の居場所は、どんどん狭くなっていきました。リビングにいると「お母さん、ここは私たちがくつろぐ場所なので」と追い出され、台所にいると「お母さんがいると邪魔で料理ができません」と言われ、結局私は自分の部屋に閉じこもるしかありませんでした。
ある時、ゆりさんの実母が遊びに来ました。私とは正反対の扱いでした。
「お母さん、ゆっくりしていってね。好きなもの作るから」
「ゆりちゃん、相変わらず料理上手ね」
「お母さんに教えてもらったおかげよ」
楽しそうに話す親子を見ながら、私は透明人間になったような気持ちでした。
「あら、千代子さんもいらしたの」
ゆりさんの母親が私に気づいて声をかけてくれましたが、ゆりさんがすぐに遮りました。
「お母さん、気にしないで。千代子さんはお部屋で休んでてもらえますか?」
まるで私がいないかのような扱い。でも一番ショックだったのは、その後の会話でした。
「ゆりちゃんも大変ね。他人の面倒を見るのは骨が折れるでしょ」
「本当よ。実のお母さんとは違って気を使うし、正直もう限界」
またその言葉でした。
「年也も愛想を尽かしてるのよ。やっぱり実の親子とは違いますから」
私は震える手で襖を閉め、布団に潜り込みました。涙が止まりませんでした。この家のローンを払い、年也の教育費を捻出し、孫たちの世話をし、家事をこなしてきた私は、彼らにとって何だったのでしょうか。
夜、一人で食事をしていると、ゆりさんがやってきました。
「お母さん、来月から家賃として月八万円いただきますね」
「え、でも……私の年金は六万円しか……」
「足りない分は何か仕事でも探してください。ただで済ませるわけにはいきませんから」
追い打ちをかけるように年也も言いました。
「母さん、僕たちの負担も考えて欲しいんだ」
負担。息子の口から出た言葉に、心臓を掴みにされたような痛みを感じました。
翌日から、ゆりさんの嫌がらせはエスカレートしていきました。
「お母さん、また電気つけっぱなし。認知症じゃないですか?」
「トイレの後ちゃんと手を洗ってます? 汚いんですけど」
「その服、何年着てるんですか? 三世代もないから捨ててください」
毎日毎日、人格を否定されるような言葉を浴びせられ、私の心は限界に近づいていました。
そしてついに、あの日が来たのです。
十万円を渡され、この家から出ていけと言われた、あの屈辱の日が。
あの日は、ゆりさんの母親が泊まりに来ていました。朝食の席で、ゆりさんの母親が何気なく言いました。
「ゆりちゃん、千代子さんと一緒に暮らすのは大変でしょう。私とは違って他人だから気を使うわよね」
その言葉に、ゆりさんが大きく頷きました。
「本当にそうなの。お母さん、実の親子じゃないから何を考えているか分からないし」
私は台所で、震える手で茶碗を洗いながら聞いていました。
「こう言ってはなんだけど、千代子さんって昔の人だから価値観も違うでしょう」
「そうなのよ。何でも節約節約でケチ臭いの。私たちがお金を使うといちいち文句を言うし」
それは事実と違います。私は自分の年金のほとんどを家計に入れ、必死でやりくりしていたのです。文句など一度も言ったことはありません。
驚いたことに、年也まで話に加わってきました。
「そうなんですよ、お母さん。やっぱり実の親子とは違いますから。ゆりの方が気を使って大変なんです」
「年也君も優しいわね。でもはっきり言った方がいいわよ。このままじゃゆりちゃんが倒れちゃう」
私はもう限界でした。台所から出ていきました。
「私のどこがそんなにいけないんでしょうか?」
三人は罰が悪そうな顔をしました。でもゆりさんはすぐに開き直りました。
「お母さん、聞いてたんですか? 盗み聞きなんて品がないですね」
「盗み聞きではありません。こんなに近くで話されていては、自然に聞こえてきます。それに、ここは私の家でもあるんです」
すると年也が信じられない言葉を口にしました。
「母さん、勘違いしないで。ここは僕とゆりの家だよ。お母さんはたまたま一緒に住んでるだけなんです」
「年也、何を言ってるの? この家はお父さんと私が……」
「お父さんと私が建てたこの家が、どうしてあなたたちのものになるんですか?」
ゆりさんの母親が口を挟みました。
「まあまあ、千代子さん、そんなに興奮なさらないで。でも現実を見た方がいいですよ。もう若くないんだから、施設とか考えた方が」
「私はまだ六十八歳です。元気です」
「今はね。でもいずれ介護が必要になるでしょう。その時ゆりちゃんに負担をかけるつもり?」
ゆりさんが畳みかけるように言いました。
「正直に言います。お母さんの介護なんて私にはできません。他人の下の世話なんて、考えただけでぞっとします」
「ゆりさん……私はずっと家族のために……」
「それは過去の話でしょう。私には私の人生があるんです」
年也も調子を合わせました。
「母さん、ゆりの気持ちも分かってあげて。実の親でも介護は大変なのに、義理の親なんて」
義理の親。その言葉が鎖のように胸に刺さりました。
「お母さん、はっきり言いますね」
ゆりさんが立ち上がり、私を見下ろしました。
「もう限界なんです。これ以上一緒に暮らすのは無理。出ていってください」
そして引き出しから茶封筒を取り出し、無造作に突きつけてきました。
「これ、手切れ金です。十万円あります。これで縁を切らせていただきます」
手切れ金。そうです。もう二度と会わなくていいように、これで清算しましょう。
「お母さんの荷物は後で送ります」
年也も冷たく言いました。
「母さん、これが最善の方法なんだ。お互いのためだよ」
ゆりさんの母親も追い打ちをかけます。
「そうですよ。無理に一緒にいても、みんなが不幸になるだけ。潔く身を引いた方がいいですよ」
私は三人の冷たい視線に囲まれ、逃げ場を失っていました。家族だと信じていた人たちから、まるでゴミのように扱われている。その現実があまりにも残酷でした。
手切れ金十万円を握りしめ、私は実家に戻りました。両親は三年前に他界し、誰もいない古い家でしたが、ここしか行く場所がありませんでした。埃をかぶった仏壇に手を合わせ、両親に報告しました。
「お父さん、お母さん、情けない姿で帰ってきました。三十八年間守ってきた家から追い出されてしまって」
涙が止まりません。夫との思い出が詰まった家から、まるで犯罪者のように追い出された屈辱。息子にまで裏切られた悲しみ。私の人生は一体何だったのでしょうか。
その後の数週間、私は抜け殻のように過ごしました。朝は遅くまで布団にくるまり、まともに食事を取る気力もなく、ただ仏壇の前で涙を流すだけの日々。さびれた実家の静けさが、私の孤独を一層際立たせました。
しかし三週間ほど経ったある朝、鏡に映った自分のやつれた顔を見て、はっとしました。このままでは本当に生きていけない。そう思い、ようやく思い腰を上げ、実家の片付けを始めたのです。
古びた家具を動かし、埃まみれのダンボールを整理していくうちに、父の書斎で古い金庫を見つけました。ダイヤルは父の誕生日。カチャリと音がして扉が開きました。中には父の遺品である古い書類の束が入っていました。その中に「千代子へ」と書かれた封筒を見つけました。
父の字です。開けてみると、そこには父からの手紙と別の封筒が入っていました。
「千代子、お前が困った時のために、都市さんから預かったものを入れておく。大切に保管しておいた。いつか必要になる時が来るかもしれない」
震える手で別の封筒を開けると、夫が生前に用意していた書類でした。遺言書と、もう一つ重要な書類がありました。土地の権利書です。
目を疑いました。土地の名義は確かに「原千子」になっています。そして建物の権利書も、私の名前でした。
どういうこと? 書類を詳しく見ると、夫が亡くなる直前に名義を私に変更していたことがわかりました。そこには夫の走り書きのメモが挟まっていました。
「千代子へ。もしもの時のために、土地と家の名義を君に変えておいた。年也はまだ若い。何かあった時はこの権利書を使って自分を守ってくれ。信頼できる君の父にこれを預けておく」
涙が溢れました。夫はこんな日が来ることを予想していたのでしょうか。そして父も、夫の思いを受け止め、大切に保管してくれていたのです。
翌日、私は司法書士の今井先生を訪ねました。今井先生は父の代からお世話になっている方です。
「お久しぶりです、千代子さん」
事情を説明すると、今井先生の表情が険しくなりました。
「なるほど。では、この書類を確認させていただきますね」
先生は慎重に書類を調べ始めました。登記簿をコンピューターで確認し、何度も書類と照らし合わせています。
「千代子さん、これは間違いありません。この土地と建物の所有者は、完全にあなたです」
「本当ですか?」
「はい。ご主人が亡くなる三ヶ月前に名義変更されています。これは正式な手続きをもので、法的に完全に有効です」
さらに驚くべきことを教えてくれました。
「この辺りの地価を調べてみましたが、土地だけで二千五百万円の価値があります。建物を含めると三千万円は下らないでしょう」
三千万円。そして重要なのは、息子さんご夫婦にはこの家に住む法的権利が一切ないということです。
今井先生はさらに続けました。
「今は無償で住ませている使用貸借の状態に近いでしょう。明渡しの通知を出し、相当期間を経ても明け渡さない場合は、不法占拠に該当します」
私の心に希望の光が差し込んできました。でも同時に、複雑な気持ちもありました。
「でも……息子たちを追い出すなんて……」
「千代子さん、よく考えてください。追い出したのは、息子さんの方でしょう」
確かにそうです。手切れ金十万円で私を追い出したのは、向こうです。今井先生は優しく、でもはっきりと言いました。
「あなたは三十八年間家を守ってきた。そして法的な所有者でもある。堂々と権利を主張していいんです」
「先生、私はどうすれば?」
「まず正式に内容証明郵便で通知しましょう。円満に話し合いで解決できればいいですが、相手の出方次第では法的措置も考えましょう」
今井先生は明渡し請求は弁護士案件だと説明し、外崎弁護士を紹介してくれました。内容証明は外崎先生の名で送ってもらうことになりました。
私は深く息を吸い、決意を固めました。
「先生、お願いします。私の権利を正式に主張したいです」
これは復讐ではありません。ただ正当な権利を行使するだけです。三十八年間守ってきた家を、これからも私が守っていく。夫との約束を果たすために。
内容証明郵便を送ってからちょうど一週間。私が家を追い出されてから一ヶ月が経ったその日、静かな実家に突然携帯電話の着信音が鳴り響きました。画面を見ると、ゆりさんからです。
着信拒否にしようかと思いましたが、一度だけ聞いてみることにしました。
「もしもし」
「お母さん、一体どういうことですか?」
ゆりさんの声は明らかに動揺していました。
「何のことでしょうか?」
「とぼけないでください。弁護士から変な手紙が来たんです。三十日以内に家を出ていけって」
「ああ、それは正式な通知です。あの家と土地は私の所有物ですから」
「はあ? 何を言ってるんですか? あの家は年也のものでしょう」
「いいえ、違います。登記簿を確認してください。所有者は原千子。つまり私です」
電話の向こうで、ゆりさんが喘ぐような叫んでいる声が聞こえました。
「年也! お母さんがわけの分からないこと言ってるわよ!」
年の慌てた声も聞こえてきました。そして電話を代わったようです。
「母さん、これは一体どういうことなんだ?」
「年也、あなたは私に言いましたね。あの家は自分たちのものだと。でもそれは間違いでした」
「そんなまさか」
「お父さんが亡くなる前に、名義を私に変更していたんです。つまりあなたたちは今、私の家に私の許可なく住んでいることになります」
電話の向こうで、ゆりさんが叫んでいます。
「詐欺よ! これは詐欺だわ!」
私は冷静に答えました。
「詐欺ではありません。正当な権利です。それより、あなたこそ私を詐欺みたいに追い出したじゃないですか。手切れ金十万円で親子の関係を清算しようとしたのは、どちらでしょうか?」
ゆりさんが電話を奪い取ったようです。
「お母さん、話し合いましょう。誤解があるんです」
「誤解? 『他人の介護は嫌』『もう二度と会わなくていい』と言ったのは、誤解だったんですか?」
「そ、それは……」
「ゆりさん、あなたは私を他人扱いしました。他人に家を貸す義務はありません」
まさに、ゆりさんが使った論理をそのまま返したのです。
「お願いです。もう一度話し合いを」
「話し合いの余地はありません。三十日以内に出て行ってください。それが嫌なら、法的手段を取ります」
私は電話を切りました。すぐにまた着信がありましたが、今度こそ着信拒否にしました。
その後、年也とゆりさんが実家まで押しかけてきました。
「母さん、開けてくれ!」
「お母さん、お願いします!」
私はインターホンに向かって言いました。
「お引き取りください。話すことはありません。連絡は全て弁護士を通してください」
「母さん、血も涙もないのか?」
「血も涙もない? 私に今すぐ出ていけと言ったのは誰ですか? その言葉そっくりそのままお返しします」
数日後、外崎先生から連絡がありました。
「千代子さん、向こうも弁護士を立ててきました。和解を申し入れています」
「和解ですか?」
「はい。家賃を払うから居させて欲しいそうです。月十五万円を提示してきています」
私は鼻で笑ってしまいました。私に月八万円を要求していた人たちが、今度は十五万円ですか? 皮肉なものですね。
私は少し考えて、外崎先生に言いました。
「それなら、先生からお伝えいただけますか? 住み続けたいのなら、これまでの三十八年分の家賃を払っていただけますか?」
電話口の外崎先生が一瞬黙り、それから苦笑しました。
「痛烈ですね。わかりました。趣旨は先方に伝えます」
私は静かに首を振りました。
「もちろん、彼らにそんな支払い能力はありません。ですから、お断りします。私はあの家に戻ります」
実は当初は、あの家を売却して小さなマンションに移る案も考えていました。けれど今は、まず私が家に戻る。それから最適な活用方法を決めればいい。そう思い直しました。
二週間後、ゆりさんの実母まで現れました。
「千代子さん、お願いです。ゆりも反省しています」
「反省? あなたこそ『他人だから大変』と言っていましたよね。あれは嘘だったんですか?」
「あれは……もう、遅いんです。私はずっと我慢してきました。もう十分です」
期限の三〇日が近づくにつれ、向こうの態度はどんどん必死になっていきました。
「月に十万円払います。土下座でも何でもします。お母さん、お願いです」
でも、私の心は決まっていました。
ついに期限の日、年也から最後の電話がありました。泣いているような声でした。
「母さん、本当にごめん。ゆりも心から反省してる。もう一度だけチャンスをくれないか」
「年也、あなたは私に言いましたね。『僕たちの負担も考えて欲しい』って。あれから、私は十分考えました。あなたたちの負担にならないよう、縁を切ることにしました。それがお望みだったんでしょう」
「違う! そういう意味じゃ……」
「手切れ金までいただきましたし。ああ、そういえばあの十万円はそちらでお使いください。引っ越しの足しにでも」
完全な逆転でした。追い出した側が追い出される。手切れ金を渡した側が、それを引っ越し費用として使うことになる。これほど皮肉なことがあるでしょうか。
結局、年也たちは家を出ていきました。後で聞いた話では、狭いアパートに引っ越したそうです。
私は久しぶりに、自分の家として戻ってきました。玄関に立った時、夫の声が聞こえたような気がしました。
「千代子、よく頑張ったな」
と。私は頑張りました。そして、勝ち取ったのです。
家に戻って三ヶ月が経ちました。私は今、人生で最も自由で幸せな時間を過ごしています。朝は自分のペースで起き、好きな味付けのおかずを作ります。薄味でも濃い味でも、誰にも文句を言われません。庭の手入れをしながら、亡き夫との思い出に浸ることもできます。
「あなた、見ていますか? 私、この家を守り抜きましたよ」
仏壇に手を合わせると、夫が微笑んでいるような気がしました。
そして、私はこの家の活用方法を見つけました。二階の年也たちが使っていた部屋を、シェアハウスとして貸し出すことにしたのです。同じ年代の女性たちが入居してくれて、月十五万円の収入になっています。皆さん、とても良い方たちで、時々一緒にお茶を飲んだり、料理を作ったりしています。
「千代子さんの味噌汁、本当に美味しいわ」
「この煮物の味付け、教えてくださらない?」
私の料理を褒めてくれる人たちがいる。それだけで心が温かくなります。
さらに週三回、近所の和菓子店でパートも始めました。実家が菓子屋だった私の腕を、店主が高く評価してくれたのです。
「原さんの作る練り切り、芸術品ですね。おかげで売上が伸びています」
月六万円の年金に加えて、シェアハウスの収入とパート代。経済的にも精神的にも充実した毎日を送っています。
ある日、偶然息子家族を見かけました。小さなアパートの前で、ゆりさんが洗濯物を干していました。年也は疲れた顔をしていました。以前より痩せて、白髪も増えたようです。私を見つけると一瞬立ち止まりましたが、ゆりさんに手を引かれ、そそくさと立ち去りました。
後で聞いた話ですが、家賃十万円のアパートでかなり生活が苦しいようです。ゆりさんの実母も、狭いアパートには寄りつかなくなったとか。
「他人だから」と切り捨てた私が、今は三千万円の資産を持つ大家。「実の親子だ」と言っていたゆりさんの母親は、娘の窮状に知らんぷり。皮肉なものです。
でも、私は彼らを恨んではいません。むしろ感謝しています。その屈辱的な追い出しがなければ、私は一生、使用人のような生活を続けていたでしょう。手切れ金という最大の侮辱が、私を目覚めさせてくれました。自分の権利を主張することの大切さ、自分を守ることの重要性を教えてくれたのです。
シェアハウスの住人の一人、元教師の本田さんが言いました。
「千代子さんの話、本当に勇気をもらいました。私も離婚した時、財産分与で泣き寝入りしそうになったけど、千代子さんを見習って戦ったんです」
そうなんです。私の体験は、同じような境遇の女性たちに勇気を与えているようです。月に一度、私は「シニア女性の権利を守る会」という集まりをこの家で開いています。弁護士の外崎先生や司法書士の今井先生もボランティアで参加してくれます。
「皆さん、我慢する必要はありません。正当な権利は堂々と主張していいんです」
参加者の中には、息子夫婦に虐げられている人、財産を狙われている人、様々な悩みを抱えた方がいます。
「私も原さんのように強くなりたい」
「三十八年我慢した後の逆転劇、本当に痛快でした」
皆さんの言葉が、私に新しい生きがいを与えてくれました。
思えば、理不尽な扱いを受けているシニア女性はたくさんいます。長年尽くしてきたのに、用が済んだら用済み扱い。でも、多くの人は我慢してしまう。波風を立てたくないから、家族だからと。でも我慢には限界があります。そして、自分を守る権利は誰にでもあるのです。
あの時夫が残してくれた権利書。それは単なる紙切れではありませんでした。私の尊厳を守る、最強の武器だったのです。
「他人の介護は嫌」と言ったゆりさん。今彼女は狭いアパートで、将来の自分の介護について考えているでしょうか?
「荷物」と言った年也。今彼は、自分が母親に対して何をしたか、理解しているでしょうか?
因果応報という言葉があります。人にしたことは、必ず自分に帰ってくる。良いことも、悪いことも。
私は今、心から幸せです。自由で、誇りを持って生きています。誰にも遠慮することなく、自分の家で自分の人生を謳歌しています。
もしこの物語を聞いて、同じような境遇で苦しんでいる方がいたら、伝えたいことがあります。
あなたには価値があります。あなたには権利があります。あなたには幸せになる資格があります。理不尽な扱いに黙って耐える必要はありません。正当な方法で自分を守ることは、決して悪いことではないのです。
最後に、孫の美結から手紙が届きました。こっそり送ってきたようです。
「おばあちゃんへ。お母さんがしたこと、ひどいと思います。おばあちゃんの作ったおにぎり、本当は大好きでした。大きくなったら会いに行きます。待っててね」
涙が出ました。でも、悲しい涙ではありません。希望の涙です。いつか美結が大人になって、真実を理解してくれる日が来るでしょう。その時は、温かく迎えてあげたいと思います。
今日も私は、自分の家で自分の人生を生きています。勝利の味は、本当に素晴らしいものです。
皆さんも、自分の人生の主人公として、堂々と生きてください。



