「兄嫁が俺の子供を妊娠したから、離婚してくれ。」
夫の言葉に、私はしばらく固まっていた。何を言われたのか、一瞬理解が追いつかなかった。
「……意味がわからない。ちゃんと説明して」
「そのまんまの意味だよ。俺はあの人とそういう関係だったんだ」
あの人、というのは夫の兄嫁、よう子さんのことだ。つまり、夫は兄の妻と浮気をし、その相手が妊娠したと言う。開いた口がふさがらない思いで、私は夫を見つめた。
「運命だったんだ。俺は責任を取る男だし、ほうっておけないだろう。だから離婚してくれ」
あっけらかんとそんなことを言う夫に、怒りよりも先に呆れが来た。私は三人の子供を産み、家庭を支えてきた。それなのに、この人は何を言っているのだろう。
「じゃあ、お兄さんはこのことを知ってるの?」
「今から話しに行くところだ」
「うちの子供たちはどうなるの?」
「それはお前に任せた」
「三人もいるのよ。その責任はないの?」
「だからそれはお前がやってくれ」
私は目の前の男が別人のように見えた。どこでどう間違えて、こんなふうに育ってしまったのか。浮気をして、相手を妊娠させて、その責任を取るという。それならば、今までの家族への責任はどうなるというのか。
「とにかく、三人分の養育費は払ってもらうから」
「はあ。1. 5人分にしろよ」
「そんなことも考えずに浮気して子供を作ったの?」
「お前は人と愛し合う時に、そんなこと考えるか?」
「そもそもそんなことはしない。本物の愛ってものを知らないんだな。哀れなやつだよ」
勝手に言っていなさい。私は絶対に逃がさないから。
その二時間後、私は義兄のもとを訪れた。夫がすでに来ているはずだった。しかし、義兄は言った。
「夫?弟なら楽しく飲んで、さっき帰ったところだよ」
「……え?」
「うちの妻が妊娠してさ、そのお祝いに来てくれたんだよ」
妊娠、という言葉に私は反応した。義兄は続ける。
「ああ、もう知ってたんだ。まあ、あみちゃんは三人も産んでるからね。実は妻がそれで結構焦ってたんだよ。俺は比べる必要はないって言ってたんだけど、女性ってなかなかそうはいかないらしくて。不妊治療を頑張った甲斐があって、無事父親になれそうだよ」
「……おめでとうございます」
「ありがとう。今日はちょっと飲みすぎちゃったから、また落ち着いたら遊びに来てよ」
何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。夫は自分の子だと言った。しかし義兄は、自分の子だと喜んでいる。夫は義兄に本当のことを言っていない。
「おい、何がどうなってるのよ。お兄さんと話したら、全然違うこと言ってるんだけど」
「なんで兄貴に連絡するんだよ。余計なことすんな」
「裏切られた直後に、話を聞きに行くのは当然でしょ。なんでお兄さんに本当のことを言ってないの?私には堂々と言ったくせに」
「俺だって驚いたんだよ。本当のことを言おうと思ったのに、兄貴が自分の子が生まれるって喜んでて、適当に話を合わせるしかなかったんだ」
「お姉さんは何を考えてるの?」
「分からない。あみから聞いてくれないか?」
「は?なんで私が間に入らないといけないわけ?しかも、私を裏切った相手だよね」
「まあそうなんだけど、怖いじゃん。俺との子ができたって喜んでたのに、いざ蓋を開けてみたら兄貴との子だってことになってて。頼む。こっちは慰謝料も払う覚悟はあるんだ。それほど本気なんだよ」
「なんで私があなたの不倫のお手伝いをしないといけないのよ」
「お前だって真相が知りたいだろ。お姉さんに文句の一つも言ってやりたいだろ」
それは確かにそうだった。私は夫のために動くのではなく、自分と義兄のために動くことにした。
翌日、私はよう子さんに会いに行った。妊娠おめでとうございます、と伝えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。やっと授かれたわ」
「……誰の子なんですか?」
「夫に決まってるじゃない。ちょっと、いきなり失礼よ」
「まさは自分の子だと言っています」
「はあ?どうしてそうなるの?」
「運命の人だから責任を取るって、随分張り切ってましたよ」
「ちょっと待ってよ。絶対にありえないわ」
よう子さんは、確かに以前から夫の視線や態度には気づいていたが、それに応じるようなことはなかったと言う。
「それしか考えられない。私は夫を愛してるし、裏切ることはないもの」
「でもおかしいと思いませんか?義理の姉を好きになったとかならまだ分かります。でも妊娠させたって言ったんですよ」
「私に言われても困るわ。身に覚えがないのに」
「昨日、まさがそちらにお邪魔したのはなぜですか?私には二人でお兄さんに打ち明けるためだって言ってましたけど」
「突然来たのよ。夫はすでに妊娠のことを知っててワインを開けてたから、結構酔ってたわね。まさ君の顔を見るなり『俺もパパになるぞ』って一緒に乾杯し始めたの」
どちらかが嘘をついている。私はDNA鑑定を提案した。
「私の子供たちのためにも、はっきりさせたいんです」
「分かったわ。DNA鑑定に応じるわ。でも夫に心配をかけたくないから、私とまさ君の鑑定のみで納得してくれる?」
「え、お兄さんとの鑑定をしないと意味がなくないですか?」
「どうして夫の子であることは間違いないのよ。それを証明するための鑑定じゃない。正君との親子関係が否定されれば、必然的に夫の子ってことになるでしょう。他に浮気をしていなければね」
「……するわけがないでしょ。私も大事な時期よ。余計なストレスは避けたいの。分かったわ。まさ君だけで構いません」
数週間後、結果が出た。よう子さんと夫の親子関係は否定された。つまり、お腹の子は夫の子ではなかった。
「本当ですか?」
「うん。一応メールは送っておいたけど、原本が見たいならいつでもうちに来て」
「疑ってすみません。ただ、肉体関係がなかったという証明にはなりませんよね」
「まだ疑うの?まさがあんな熱量でLINEしてきたんですよ。こういうことを言いたくないけど、彼は何か思い込みに取り憑かれてるだけじゃないかな」
確かに夫は思い込みの激しいところがある。しかし、嘘をつくような人ではない。
「誠に申し訳ありません。私もちょっと興奮しすぎてしまいました」
「三人のお子さんを抱えて離婚するなんて、不安で仕方ないわよね。でも私にとっても大事な命なの」
「はい。もう一度まさと話し合ってみます」
夫に結果を伝えても、彼は信じなかった。
「そんなはずない。何度もホテルに行ったんだ。俺は嘘はついてない」
「お姉さんは全否定されたわ。DNA鑑定の結果も出た。あなたの子じゃなかった」
「何がどうなってるんだよ」
「よう子さんに連絡してるけど、繋がらないんだ」
「私ね、まさには当然腹を立ててるけど、嘘をつける人じゃないと思ってるの。お姉さんは何かを隠してる気がする」
夫はついに、義兄に直接真実を話すと決めた。
「やめた方がいいと思う。ショックが大きいよ」
「お前が言うよりも俺の方が説得力があるだろう。何もかも失っていいのね?」
「仕方ない。何かを得ようとすると、必ず何かを失うのさ」
「浮気しただけの奴が格好つけんな」
翌日、夫は義兄に全てを打ち明けた。自分はよう子さんが好きだと。そして、よう子さんの背中の火傷の跡のことを話した。
「なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」
「俺は見た。その状況がどういうことか分かるよな」
「てめえ、本当に手を出したのか?」
「そうだ。兄貴に殴られる覚悟はできてる。でも、兄貴とよ子さんの子だと分かれば、俺は潔く身を引くよ」
「待ってくれよ。俺を裏切った女とは一緒にいたくない。でも俺の子だったら、だからこそはっきりさせるべきだよ」
義兄はDNA鑑定をすることにした。そして、夫は両親にも話すと言った。
「父さんと母さんにも言うからな」
「分かってる。その覚悟で彼女を愛したんだ」
翌日、義兄はよう子さんにDNA鑑定を求めた。よう子さんは最初は拒んだが、夫から全て聞いたと言われると、仕方なく応じた。
「私は絶対にあなたを裏切ったりしない。信じて」
「いい結果が出ることを祈るよ」
一ヶ月後、結果が出た。義兄の子でもなかった。
「え、嘘だろ。俺の子じゃなかった」
「ちょっと待ってください。夫の子でもなく、お兄さんの子でもないなら、一体誰の子なんですか?」
「それがありえない結果が出たんだ。俺は子供の性別が知りたくて、Y染色体の検査を一緒に申し込んだんだ」
「Y染色体……男性から男性に受け継がれる遺伝子ですね。つまり、お腹の赤ちゃんにY染色体があったということは、男の子だってことですね」
「問題は、そのY染色体が俺と一致したことだ」
「意味が分からないです」
「じいちゃん、親父、俺、正はY染色体を持ってる。そして、お腹の子も男の子なんだ。でも、俺と正の親子関係は否定された。つまり、俺たちと同じY染色体を持つ誰かが父親だってことになる」
「……まさか、お父さん?」
「可能性としては、親父かおじさんだ。でも叔父は北海道に移住してるし、よう子も結婚式で一度会ったきりで面識はほぼない。となると……」
「お父さん、ですね。考えたくないですが」
義兄は呆然としていた。義父が息子の嫁に手を出していた。しかも、夫であるまさも関係していた。よう子は三人の男を相手にしていたのだ。
「お兄さん、ごめんなさい。言わせてもらいます。キモいです」
「うん。俺もそう思ってるから大丈夫だよ」
よう子を問い詰めることにした。彼女はついに認めた。
「ごめん。強く言い寄られて断れなかったの。不妊治療の効果もないし、このままでは切れるわけないと思ってた。でも妊娠しちゃって驚いたわ」
「まさの子だっていうのか」
「うん。でも、鑑定結果は違ったんだよな。あれはあみちゃんに嘘をついたの。お義父さんの子よ」
「嘘つけ」
「本当だって。まさ君の鑑定を出す時に、お義父さんのも一緒に出したんだ。簡易的な鑑定よ。あなたが提出したのは法的な証拠として使えるものだけど、私が出したのは違ったの」
「つまり、お前は親父との関係を隠すために、正を隠れ蓑にしたんだな」
「違う。……分かった。正直に言うわ。不妊治療が辛くて、自暴自棄になってたの。その時にネットで知り合った人と一度だけそういう関係になった。でも、その人は赤の他人よ」
「じゃあ、ますますおかしい。子供にはY染色体がある。つまり男の子だ。Y染色体は受け継がれる。親父と俺と正。そして、お腹の中にいる男の子は同じY染色体を持ってることになる。おかしいだろ?俺と正は父親じゃない」
「あなた、自分が何を言ってるか分かる?」
「分かるよ。だから怒りで震えてるんじゃないか」
「……私とお父さんがって言いたいの?」
「そうじゃないと説明がつかない」
「話にならないわ」
「お前は親父との関係を確信するため、正を隠れ蓑に使ったんだ」
よう子はついに真実を話した。
「子供が欲しかっただけよ。あなたたち三人、顔もよく似てるし血液型も同じよね。授かれば、そのうち誰かの子だって思えると思ったの。どのみちDNA鑑定なんてしなければ、一生分からないと思ってた」
「恐ろしい女だな。お前のせいで俺たち家族は崩壊だ」
「どうして?今まで通りでいいじゃない。夜の相手を断ったお母さんにも責任はあるし、あみちゃんも私の誘惑にまんまと引っかかっただけよ。お父さんと正君は極悪人ね。私はただ、妊娠できなかっただけよ」
義兄はよう子に離婚を告げた。よう子は平然としていた。
「構わないわ。種さえもらえれば、私の願いは達成したから。あとはあの女の泣き顔が見れたら最高ね」
「誰のことだ?」
「あみよ。……直接話すわ。じゃあさようなら」
よう子はそう言い残して去っていった。
数時間後、義父から連絡があった。彼はよう子から全てを聞かされていた。
「よくも息子の嫁に手を出せたもんだな」
「まさか。俺はもう六十過ぎてんだぞ」
「その年になって分別がつかないんですと自白してるようなもんだぞ」
「悪かった。迫られて、誘惑に勝てなかったんだ」
「父さんには黙っててくれないか」
「とっくに今頃荷物をまとめてるよ。そんなこんな年で一人になってどうする?」
義父は絶望していた。しかし、私は何の同情もしなかった。義父はよう子だけでなく、まさとも関係があったことを認めた。
「ちなみに、よう子は正とも関係があったぞ」
「はあ……だからあみちゃんも離婚して出ていくのか」
「あんたはもう孫には会えない。あんたの子が生まれるけどな。ここから二十年、養育費しっかり払えよ」
「今まで偉そうに人生とか常識とか説教してくれたけど、マジで無駄だったわ。二度と連絡してくんな」
義父は土下座して謝ったが、私は受け入れなかった。最後に義理の息子として、今生の別れを告げた。
「葬式もないから、今のうちに言っとくわ。お世話になりました」
まさは全てがバレた後、私のもとに戻ってきたいと懇願してきた。
「好きな女ができた途端、簡単に家族を捨てて養育費の責任も放棄するような父親はいらないわ」
私はそう言って、彼を突き放した。それぞれがしっかりと慰謝料請求した結果、よう子は総額五百万円、まさと義父はそれぞれ三百万円となった。
私は子供を連れて実家へ戻り、義母も一緒に生活することになった。義母は夫に騙され、義父に裏切られた被害者だ。二人で力を合わせて子供を育てていくことにした。
このまま四人で生きていくものだと思ってたのに、という思いはまだ消えない。家庭を壊された怒りも、まだ消えていない。それでも、笑っている母の姿を子供たちの記憶に刻めるように、毎日を明るく生きていきたいと思う。それが、私にできる精一杯の復讐なのだから。



