「お母さん、どうしよう」
「どうかしたの?何か忘れ物?今から私が取りに行こうか?」
「違うの。さっき広から連絡が来て、結婚式をやめるって言ってきたのよ」
私は式場の控室で、スマホを握りしめたまま震えていた。今日のために何ヶ月もかけて準備してきたのに、今になって突然、彼は来ないと言ってきたのだ。
「はあ?やめる?」
「もう結婚したくなくなったとか言い出してさ」
「どうして急にそんなことに?ひのりさんはどこにいるの?場には来てるの?」
「う、来てない。遅いから私が連絡したのよ。そしたら行かないって言ってきて」
母はすぐに彼の両親へ連絡を取り、事情を聞こうとした。きっと何か誤解があるはずだと思ったから。喧嘩した覚えもないし、むしろずっと仲良くやってきた。でも、彼の母から返ってきた言葉は、私たちの想像をはるかに超えるものだった。
「ひのりの意思は硬いということです。私たち家族はその辺りのことはしっかりと話し合いができてますから。ひのりの気持ちが変わることはありません。ですので、あんたの娘との結婚はキャンセルということで」
母が電話越しに絶句しているのが分かった。私は隣で聞いていて、頭が真っ白になった。キャンセル?そんな簡単に?今日が結婚式の日なのに?
「そんな軽いのりで済む話ではないと分かりませんか?」
「まああんたたちからしたら、足活問題だろうな。私は大手グループ企業の系列会社で本部長をしていて、息子も同じ会社の出世頭だ。そんな人間とコネクションを作れるチャンスだったもんな。だからそれだけ必死になるんだろう」
私は怒りで体が熱くなった。この人は何を言っているんだ?私たちは決してコネクションなんて求めていなかった。ただ、愛する人と結婚したかっただけだ。
「私はそんなことは全く考えていませんよ」
「口ではそうやって強気になれるよな」
「こんな一方的なやり方で婚約解消なんて納得できるわけないでしょ」
「理由ならちゃんとあるんだよ」
「何ですか?」
「貧乏人と一緒になるなんてありえねえんだよ」
その言葉に、私は息を飲んだ。貧乏人?私たち家族は確かに裕福ではないけど、一生懸命働いて、自分の家を持つために必死で頑張ってきた。それを、そんな風に言われるなんて。
「ひのりがあんたの家に結婚の挨拶に行ったことがあっただろう」
「ありましたね」
「その時にあんたらが住んでる家がボロボロでひどかったって笑ってたんだ。あんな奴らが親になるなんて最悪だってね」
私は頭を殴られたような衝撃を受けた。あの日、彼は私たちの家を笑っていたの?あの日、彼は私たちの家族を嘲っていたの?私は何も知らなかった。彼がそんなことを思っていたなんて、夢にも思わなかった。
「私たちが買った家をそんな風に…」
「当たり前だろ。うちがどれだけいいところに住んでるかは知ってるだろう。つまり、あんたの娘はひのりと結婚するにはふさわしくないってことだ」
私は唇を噛みしめた。悔しさで涙が滲んだけど、絶対に泣かない。この人たちに弱みは見せられない。
「私たちがそうだとしても、あやは関係ないでしょ」
「あるんだよ。貧乏は遺伝するんだ」
「え?」
「貧乏な奴の子供は必ず貧乏になるって決まってる。そうなったら、俺の大事な孫が貧乏になるだろう。それは防がないといけないんだ」
私は自分の耳を疑った。貧乏は遺伝する?そんな非科学的なことを、この大人が本気で言っているの?呆れすぎて、逆に笑えてきた。
「そんなわけがないでしょ」
「最低です。結婚はもう終わりだ。それに、俺とこんなやり取りをしてていいのか?お前たちの結婚式の時間、もうとっくに過ぎてるぞ」
その言葉で、私は現実を思い知らされた。そうだ、招待したゲストたちはもう式場に来ている。なのに、新郎は来ない。私は何て説明すればいいんだろう。みんなに、新郎の家族に「貧乏人」と蔑まれて結婚をキャンセルされたって言うの?
「終わったんですか…私の結婚…」
母が私の肩を抱き寄せた。何も言わなくても、母の温かさに私は涙が止まらなくなった。
後日、私たちは真相を知ることになった。彼は最初から結婚するつもりなどなかったのだ。ただ、私たちがどんな表情をするのか見たかっただけだと言った。
「当日に解消を伝えた方がドラマチックで面白いなって思ったんですよ。その時にあんたらがどんな反応するかって考えたら、ちょっと面白そうだなって」
私はその言葉を聞いて、全身の力が抜けた。私たちの結婚は、彼の「遊び」だったのだ。私たちの人生が、彼のおもちゃにされたのだ。
「よくも…そんな…」
私は何か言おうとしたけど、言葉が出てこなかった。怒りよりも、悲しみよりも、ただただ虚しさが込み上げてきた。
私は深く深呼吸をして、彼の顔を見つめた。もう二度と、この人に振り回されることはないと決めた。私は家族を守るために、今度は自分が立ち上がる番だ。



