「ああ、あそこに置いてあったやつですか。邪魔だと思って処分しましたよ」…

「ああ、あそこに置いてあったやつですか。邪魔だと思って処分しましたよ」...

「ああ、あそこに置いてあったやつですか。邪魔だと思って処分しましたよ。古い写真と髪しか入ってなかったので、もしかして大事なものでした?」

私はしばらく意味が分からなかった。古い写真、髪。確かに、もう黄ばんでいた。胸の奥がすっと冷たくなった。

「みささん、その箱ね…」

震える声で言った。

「正さんが亡くなる3日前に私へ書いてくれた手紙だったのよ。」

みさの表情が止まった。長男の浩司も黙ってこちらを見ている。でももう遅い。夫が最後に書いてくれた「ありがとう」というたった5文字の手紙は、もうどこにもなかった。

全てを失ったと言ってもいい。その夜、私は決めた。息子夫婦の家を出よう、と。

私の名前はさち子。65歳。夫の正を亡くしたのは5年前のこと。大きな病気が見つかってから入退院を繰り返し、最後の半年はほとんど病院で過ごした。夫が亡くなった後も、私は2人で暮らした家に1人で住み続けていた。朝は庭の花に水をやり、近所の友人と散歩する。夕方には仏壇の正に「今日はこんなことがあったのよ」と話しかける。年金は多くないけれど、贅沢さえしなければ十分だった。寂しくないと言えば嘘になる。それでも私は私なりに穏やかに暮らしていた。

そんな生活が変わったのは2年前。浩司から電話があった。「母さん、相談があるんだけど」転勤をきっかけに、浩司一家が地元へ戻ってくることになったという。住宅ローンに仕事、小学2年生の娘・ゆい奈の子育て。全部を夫婦2人でこなす生活が思った以上に大変だと言った。

「そして母さん、俺たちと一緒に暮らさない? 1人より安心だろ。もちろん母さんに無理させるつもりはないから。」

私は迷った。夫との思い出が詰まった家を離れたくなかったから。でも家族の役に立てるなら、と思い、自宅は売らずに貸し出し、長男夫婦の家へ移ることにした。

同居を始めた頃、みさは本当に優しかった。「お母さんが来てくださって助かります。ゆい奈も喜んでるんですよ」その言葉通り、ゆい奈は毎朝「おばあちゃん、おはよう」と抱きついてきた。可愛くて可愛くて、私は家族と暮らせることが嬉しかった。

朝は5時半に起きる。朝食を作る。浩司のお弁当を詰める。洗濯をして部屋を掃除する。夕方には孫を迎え、宿題を見てあげる。夕食を作り、片付けまで済ませる。気づけば私は1日のほとんどを家族のために使っていた。でも苦ではなかった。「お母さん、ありがとうございます」「さち子さん、本当助かるよ」その一言があれば十分だったから。

ところが1年ほど経った頃から、その言葉が少しずつ消えていった。ある朝、味噌汁を出すとみさが言った。「お母さん、今日ちょっと薄くないですか?」「あら、ごめんなさい。次は気をつけるわね」別の日には洗濯物の畳み方について。「この畳み方だとしまいにくいです」また別の日には買い物について。「もう少し安い店を見てください」最初は笑って受け流していた。私も年だから、若い人には若い人のやり方がある、そう思っていた。

でもある日、ふと気づいた。以前は「ありがとう」の後にお願いされていたことが、いつの間にか「こうしてください」に変わっていた。手伝いだったはずの家事が、いつの間にか私の仕事になっていた。そして浩司は何も言わない。新聞を読み、スマホを見る。聞こえていないふりをする。私は自分に言い聞かせた。家族なんだから、これくらい。その言葉でずっと飲み込んでいた。

そんなある日、病院から定期検査のお知らせが届いた。夫と同じ病気を早く見つけるために、私は半年に1度検査を受けている。「来週の火曜日、朝から病院へ行ってくるわね」そう伝えると、みさは言った。「その日、私も仕事が忙しいので、できれば早く戻ってきてもらえます? ゆい奈のお迎えがあるので」「分かったわ。検査だけだから、お昼には戻れると思う」

でも当日、病院は混んでいて検査は予定より長引いた。「今のところ大きな異常はありません」と言われ、ほっとして病院を出た頃には午後1時を過ぎていた。急いで帰らなくちゃ。そう思いながら家へ向かった。

玄関を開けて自分の部屋へ入った瞬間、え、部屋が変わっていた。窓際に置いていた夫の古い椅子がない。本棚の位置まで変わっている。押入れを開けると、中の衣装ケースまで並び替えられていた。誰かが私のいない間に私の部屋へ入った。それだけで胸がざわついた。

しばらくするとみさが帰宅した。「あら、お母さん、もう帰ってたんですね」私は訪ねた。「みささん、私の部屋どうしたの?」「ああ、なんでもないことにさ」とみさは答えた。「片付けておきました」「片付けた?」「はい。古いものが多かったので、使ってなさそうなものは整理しました」私は耳を疑った。私に聞かずに? みさは少し眉を寄せた。「でもお母さん、物を捨てられないじゃないですか。それに、将来ゆい奈の勉強机も置きたいので」

私は何も言えなかった。ここは私の部屋だと思っていた。でもみさにとっては、いつか誰かに開けてもらう部屋だったのだ。

夕方、浩司が帰ってきた。「浩司、私の部屋のこと知ってた?」浩司は目をそらした。「うん。みさと相談して、物が少ない方が母さんも暮らしやすいだろ」誰も「勝手に入ってごめん」とは言わなかった。

その夜、私は1人で部屋を元に戻そうとした。すると、あるものがないことに気づいた。ない。なくなってる。押入れの奥にしまっていた小さな桐の箱。上の棚、衣装ケースの横。どこにもない。その箱には、正との結婚指輪や若い頃の写真、そして正が亡くなる3日前に書いてくれた手紙が入っていた。

病院のベッドで、夫は震える手を伸ばした。「さち子、これだけはお前が持っていてくれ」小さく折った紙に書かれていたのは「ありがとう」。夫らしい文字で書かれた一言。ただそれだけだった。長い文章ではない。でも40年一緒に生きた夫からの最後の言葉。私は何度も何度もその5文字に救われた。

私はリビングへ向かった。「みささん、小さな桐の箱を知らない?」「ああ、古い木の箱ですか?」「そう。どこにあるの?」私は思わず身を乗り出した。「中も見ましたけど」みさは言った。「古い写真と髪しか入ってなかったので」嫌な予感がした。「どこへやったの?」「処分しました」

時間が止まった。「処分?」「はい。指輪だけはアクセサリー箱に入れておきましたよ。でも写真と髪は古かったので」私は聞いた。「髪も?」「はい。汚れた髪ですよね」

あの髪。声が震えた。「正さんが亡くなる3日前に私へ書いてくれた手紙なの」みさの顔から表情が消えた。浩司が「母さん…」と口を開いた。私は息子を見た。「あなたも知ってたの?」しばらくして、浩司は小さく頷いた。「俺も古いものだと思って」

古いもの? その一言が一番痛かった。私は何も言わず自分の部屋へ戻った。涙すら出なかった。そして朝まで、正の写真を眺めた。

夜が明ける頃、答えは決まった。朝食の席で私は言った。「浩司、みささん、話があります」2人が私を見た。「私はこの家を出ます」

「え?」浩司が新聞を置いた。「母さん、そんな大げさな。ただの片付けじゃないか」私は息子の顔を見た。「そうね。あなたにはただの片付けなのね。でも私には、お父さんと過ごした40年の続きだったの」

みさが慌てた。「お母さん、私、悪気はなかったんです」「分かっています」私は頷いた。「だからこそ悲しいの。悪いことをしているつもりもなく、人の部屋へ入り、人のものを開け、本人に聞きもせず捨てたんでしょ」2人とも何も言わない。「もし私がみささんの部屋へ勝手に入って、ご両親との写真を『いらないと思ったから』捨てたら、笑って許せる? 家族だからって、ずっと我慢してきたわ。でもね、家族だからこそ、勝手に踏み込んではいけない場所もあるのよ」

幸い、貸していた自宅の契約は翌月で更新を迎える予定だった。管理会社へ連絡し、私は戻る準備を始めた。

それから1ヶ月、私はそれまでになっていた家事を少しずつ浩司夫婦へ戻した。自分の洗濯は自分でしてもらい、孫のお迎えも私はしない。もう浩司のお弁当は作らない。夫婦の部屋は掃除しない。夕食も毎日ではなくなった。浩司は初めて仕事から帰って夕食を作り、洗濯をし、翌日の準備をする生活を自分で回し始めるしかなかった。浩司も家事を手伝うようになった。

引っ越しの日、ゆい奈が泣きながら私へ抱きついた。「おばあちゃん、行かないで」私は強く抱きしめた。「ゆい奈は何も悪くないよ。家が変わっても、おばあちゃんはおばあちゃんだから」浩司が頭を下げた。「母さん、本当にごめん」私は答えた。「謝る相手は私だけじゃないわ」そして夫の写真を胸に抱いた。「お父さんにも謝ってあげて」

私は息子の家を出た。

1ヶ月後、私は自分の家へ戻った。庭には少し雑草が増えていた。それでも玄関を開けた瞬間、懐かしい匂いがした。私は正の写真を置き、「ただいま」と声をかけた。返事はない。それでも胸の奥が温かくなった。

朝は好きな時間に起きる。庭に水をやり、友人と散歩する。誰かの顔色を見ずに自分のお茶を入れる。私はようやく自分の生活へ戻った。

それから3ヶ月後の日曜日、午後、玄関のチャイムが鳴った。扉を開けると、浩司とみさ、そしてゆい奈が立っていた。「おばあちゃん!」ゆい奈が飛び込んできた。「会いたかった」「私もよ」3人を部屋へ通すと、浩司が深く頭を下げた。「母さん、本当にごめんなさい。母さんが出てからようやく分かった。家事が大変だったってことだけじゃない。俺たち、母さんがやってくれるのを当たり前にしてた」

みさも頭を下げた。「あの日の手紙はもう戻せません。何をしても取り返せないことも分かっています」そして1冊のアルバムを差し出した。開くと、若い頃の夫の顔があった。結婚式、家族旅行、浩司が生まれた日の写真。2人が親戚や昔のアルバムを探し、夫との思い出を集め直してくれたのだ。

最後のページには、ゆい奈からの手紙があった。「おばあちゃんへ。これからは『ありがとう』ってちゃんと言うね。またいっぱい遊んでね」その文字を見た瞬間、涙がこぼれた。

正が最後に残した言葉も「ありがとう」。私が2年間、本当は一番欲しかった言葉も「ありがとう」だった。私はアルバムを抱きしめ、言葉にならない声で「ありがとう」と。今度は私がその言葉を口にした。

浩司が言った。「母さん、戻ってきて欲しいとは言わない。でもこれからも家族でいてほしい」私は笑った。「もちろんよ。ただし…」2人が私を見た。「家族だからこそ、距離が必要なこともあるの」

今も私は息子夫婦との同居には戻っていない。週末にはゆい奈が遊びに来る。時々みんなで食事もする。困った時には助ける。でも誰か1人だけが我慢し続けることはしない。それくらいが、今の私たちにはちょうどいい。

夫からの最後の手紙はもう戻らない。それだけは今でも悲しい。でも私はあの出来事で知った。家族だからと言って、相手の大切なものを自分の価値観で決めてはいけない。自分にはただの古い髪でも、誰かにとっては人生そのものかもしれないから。そして家族をつなぐのは、同じ家に住むことでも、毎日世話をすることでもない。たった一言でも、相手を思って伝えること。それは「ありがとう」なのだと。

65歳になった今、私はようやく自分の人生も、自分の思い出も、自分で大切にしていいのだと思えるようになった。

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