入学式の正門前で、私は実りに指をさされた。6歳になったばかりの初孫が、警官の前で怯えた顔をしてこう言ったのだ。
「ママ、この人怖い」
その瞬間、周りの空気が凍りついた。私は何も言えなかった。まさか初孫と初めて言葉を交わす場所が、こんな場所になるなんて思ってもみなかったからだ。
私は佐藤すみれ、75歳。長年、専業主婦として夫と一人息子のはるきのために生きてきた。夫は5年前に他界し、今は年金で静かに暮らしている。息子が結婚すると聞いた時は、心から祝福した。相手はえみこさん。初めて会った時は、私の作った料理を美味しいと目を細めて食べてくれた、良い人だった。
結婚式、新婚旅行、新居の契約。お金がかかる時期に、はるきが切り出した。
「母さん、無理は言わないんだけど、少しだけしてもらえると助かるっていうか」
私はすぐに頷いた。老後の貯金は1000万円ほどあった。そのうちの700万円を、息子の新しい生活のために渡した。出産準備に、初孫が生まれてからのお祝い金、お年玉を含めると、さらに100万円近くになった。
友達に「そんなに出して大丈夫なの」と言われたことがあったが、私は笑って答えたものだ。
「うちの子が幸せになるなら、それが一番の利息よ」
孫が生まれた時のことは今でもはっきり覚えている。女の子で、名前は実り。小さくて、ふにゃふにゃで、赤ちゃんの匂いがして、思わず泣いてしまった。
「バーバですよ。初めましてね」
そう言うと、えみこさんは笑って言った。
「お母さん、すっかりバーバの顔ですね」
その時は本当に嬉しかった。大きくなったら一緒に絵本を読んで、公園でおやつを食べて、七五三や運動会、ピアノの発表会にも応援に行ける。そんな未来を何度も思い描いていた。しかし、思い描いた未来と現実は、まるで違っていた。
最初の半年ほどは、月に一度、えみこさんから遊びに来ませんかと連絡があった。でも、次第にその連絡は減っていった。
「実りが風邪を引いているので、また今度」
「夫婦でちょっとバタバタしていて、外出が難しくて」
気がつけば、1年以上実りに会っていなかった。それでも、メールで送られてくる写真を見るのが、私のささやかな楽しみだった。七五三の写真、ハーフバースデー、初めての水遊び。メールには一言、「お母さんいつもありがとうございます」と添えられていた。たったそれだけの言葉が、当時の私には十分だった。
しかし、ある日、突然連絡の手段が変わった。
「これからはGoogleフォトのアルバムに写真をまとめますね。好きな時に見てください」
それが本当の距離だったと、今は分かる。ある日、Googleフォトの通知が鳴った。実りがバレエの発表会でピンクのチュチュを着てポーズを決めている写真が追加されていた。画面をスクロールしていくと、舞台袖で実りの手を取っているのは、えみこさんのお母さんだった。
「ああ、発表会に行ったのね」
私は思わず独り言のように呟いた。それだけなら良かった。しかし、次に追加された写真には、家族写真として並ぶえみこさん、はるき、そしてその両脇にはえみこさんの両親が映っていた。私はどこにもいなかった。呼ばれていない。当たり前のように、私には知らせもなかった。キャンプ、誕生日、七五三の前撮り。どの写真にも私の姿はなく、代わりにえみこさんのご両親が、バーバとジジとして自然に溶け込んでいた。
メールで聞いてみたことがある。
「発表会、素敵だったみたいね。実りちゃん、頑張ったのね。次回は応援に行けたら」
帰ってきたメールは短かった。
「いつもお気遣いありがとうございます。今回は出演者の人数が多く座席が限られていたため、ご案内できませんでした。また機会があれば」
それっきりだった。それでも私は笑って返した。
「わかりました。これからも写真楽しみにしていますね」
本当は言いたいことが山ほどあった。でも、私は空気を読む母親を演じ続けた。
そして、小学校の入学式が近づいたある日、はるきから久しぶりにメールが届いた。
「入学式だけど、当日どうしてもえみこの両親が仕事で来られないって。母さん、よかったら来る?」
その一文に、私は嬉しさで胸がいっぱいになった。やっと、やっと実りの晴れ姿を一緒に祝える。そう思った。当日、私は久しぶりに美容院へ行き、薄いベージュのスーツをクリーニングに出した。花柄の小さなコサージュも用意して、孫の成長を見守る祖母として、きちんとした姿で向かおうと決めた。
学校の正門前は、多くの家族連れで賑わっていた。私は門の横でそっと立って待っていた。やがて、遠くから実りが歩いてくるのが見えた。赤いランドセル、くるくると揺れる髪。横にはえみこさん。少し後ろにははるき。私は思わず小さく手を振った。その瞬間だった。
「ママ、この人怖い」
実りが私の方を見て、表情をこわばらせた。
「知らない人には気をつけなきゃって言ってたでしょう」
えみこさんが慌てて実りを抱き抱える。
「ちょっと実り、挨拶して。バーバよ」
「やだ。この人知らない人。大声出しちゃうよ」
実りの声が高く響き、正門横にいた警官がこちらを見た。周囲の視線も一気に集まった。私は声も出せなかった。目の前にいるのは私の孫。何度も写真を眺め、節目ごとに祝いを送り、会える日を心待ちにしていた、たった一人の孫。その子が、私を「怖い」と言ったのだ。
えみこさんは小さく頭を下げ、「すみません、人見知りで」とだけ言って、そのまま立ち去っていった。はるきは私を一瞥したが、何も言わなかった。私は黙って歩いた。何も悪いことをしていないのに、まるで問題を起こす高齢者として警戒されたような気がした。
式の会場である体育館。私は案内された端の椅子に一人で座った。どの列に実りがいるのかも分からず、トークで整列する子供たちの中に彼女の姿を探し続けた。式が終わっても、声をかけてくる者は誰もいなかった。家に帰って、私は鏡の前でコサージュを外した。それは悲しみというよりも、何かが静かに壊れていくような感覚だった。
入学式の翌日、Googleフォトに新しいアルバムが追加された。「実り入学式」の文字。心臓が軽く跳ねた。恐る恐る開くと、満開の桜の木の下、校門前で笑顔を浮かべる実りの姿があった。両隣には、えみこさんの両親がいた。実りを真ん中にして、まるで本当の家族写真のように並んでいた。
あの日、来られないって言ってたはずの、えみこさんの両親。あの言葉は嘘だったのか? それとも、私にはそう伝えたというだけだったのか? どちらにせよ、私の居場所はそこにはなかった。私はスマホをそっと伏せてテーブルに置いた。
それから何日も、私は誰とも会話をしなかった。「知らない人」「この人怖い」。あの言葉は、私の心のどこかに深く突き刺さったままだった。
それからしばらくして、はるきから一通のメールが届いた。
「実りの英会話スクールの費用で相談があります。教材費が少し高くて、お母さんお願いできませんか?」
添付されていたのはGoogleフォトの新しい写真。実りがアルファベットのカードを手に、笑顔でポーズを決めていた。隣にはえみこさんの父、高志さんの姿。どうやら毎日、教室まで付き添いで来ていたようだった。
「この子の英語教育のため」
私はそう自分に言い聞かせて3万円を振り込んだ。「今度こそ、ありがとうって言ってくれるかしら」。そんな小さな期待を抱きながら、スマートフォンの画面を見つめていた。帰ってきたのは事務的な一文だった。
「助かりました。お母さん。いつもすみません」
その直後、またGoogleフォトが更新された。今度の写真は、実りが浴衣を着て花火を見上げている後ろ姿。浴衣の帯を結んでいるのは、えみこさんの母親、良子さんだった。私はスマホをそっと伏せた。
「いつまでこんなことを」
そう呟いたが、その声はとても小さくて、自分の耳に届かないほどだった。それでも私はまた振り込んでしまった。次はピアノの発表会に向けてレッスンが増えるから、月謝の一部を支援して欲しいとの連絡。その度に写真が送られてくる。そこには必ず、実りとえみこさんの両親が一緒に映っていた。
私はただのお金を出す人。行事には呼ばれず、写真で様子を知り、援助のメールだけが定期的に届く。それでも断れなかった。断ったら、もう写真も届かなくなるのではないか。援助し続ければ、いつか心を開いてくれるのではないか。そんな淡い望みにすがるしか、私には選択肢がなかった。
周囲の友人には何も話していなかった。こんな話をしても、誰も本気で取り合ってくれないだろうと思った。「子供なんてそんなもんよ」「お金は気持ち」。きっとそんな言葉が返ってくる。私は見返りが欲しくて援助してきたわけではなかった。ただ、家族になりたかっただけなのだ。
ある日、老人会のイベントで顔を合わせた、ひろ子さんが私の顔色を見ていった。
「すみれさん、最近疲れてない? 目の下、ちょっとくすんでるわよ」
私は慌てて笑った。
「夜更かししちゃってね。Googleフォト見てたら、つい遅くなって」
「Googleフォト?」
ひろ子さんが軽く首を傾げた。私は小さく頷いた。
「孫の写真がそこにアップされるの。でも、もう6年も会ってないのよ」
ひろ子さんの手が、そっと私の手を包んだ。
「それ、ちょっと寂しすぎるわよ」
私は笑ったまま、涙をこらえて頷いた。寂しい。でも私は黙っていた。怒らなかった。責めなかった。もしそうしたら、全てが壊れてしまう気がしていた。私はまだ、実りにバーバと呼ばれたかった。
その日もまた、Googleフォトの通知が鳴った。スマホを開くと、実りが青空の下でスイカを食べている写真が表示された。隣には、えみこさんの両親がうちわで仰いでいる。その様子は、まるで本当の祖父母のものだった。私は息を飲んで画面を閉じた。
その時、不意にスマホが震えた。着信表示された名前は、はるき。私は少し驚いた。メールではなく電話など、滅多にかかってこない。何かあったのかと慌てて応答ボタンを押した。だが、呼びかけても返事はない。聞こえてくるのは、声。
「実り、お手洗い行ったの?」
「じゃあ、今のうちに」
えみこさんの声だった。私はスマホを口元から離し、声を潜めて耳を澄ました。どうやら、通話が繋がっていることに気づかれていないようだった。次に聞こえてきたのは、えみこさんの母親、良子さんの声だった。
「でも、まあ便利よね。あちらのお母さんって、絶対に断らないもの。本当、お人よしというか、自分がないというかね」
えみこさんが笑った。
「うん。ちょっと頼めばすぐ出してくれる。『何かの役に立てるなら』って。うちでの小槌って、ああいう人のこと言うのね」
今度は、えみこさんの父親、高志さんの声が重なった。
「ま、こっちには都合がいいよな。正直、あの人が口出してきたことなんて一度もないしな。存在感もないし」
「でもさ、そういうお母様だからこそ、今の生活があるんだから」
えみこさんが声を潜めてこう言った。
「素晴らしいお母様よね。いつまでもお元気でいてもらわないと。ふふ」
その言葉の後、三人の間でクスクスと笑い声が広がった。私は手元のスマホをじっと見つめた。指が震えていた。笑い声だけが延々と耳に残り、思わず通話を切るまで、何も言えなかった。
冷静になろうと深呼吸をした。しかし、涙は出なかった。代わりに、胸の奥で何かが確かに切り替わった。
「これは、記録しておこう」
私はすぐに、今の会話を思い出しながらノートに書き起こした。「絶対に断らない」「うちでの小槌」「素晴らしいお母様」。侮辱なのか、称賛なのか。その交換すら曖昧な言葉たちが、私の心に静かに染み込んでいった。続けて、これまでのメールの履歴、振り込み明細、LINEのスクリーンショット、Googleフォトの更新履歴。ありとあらゆるものを整理して、一枚一枚プリントアウトしていった。その作業をしながら、私は確信した。
これはもう、家族ではない。愛情や信頼とは遠い、ただの取引の関係だったのだ。
翌朝、私は思い切ってひろ子さんに電話をかけた。
「ひろ子さん、聞いて欲しいの」
電話口でひろ子さんは、ただ黙って聞いてくれた。最後まで私の話を遮らず、言い訳も挟まず。全てを話し終えると、彼女は短くはっきり言った。
「すみれさん、それ、ひどいわね」
私の心がようやく揺れた。
「私、どうしたらいいのか、もうわからないの」
「すみれさん、あの人たちはあなたを家族だなんて思ってないわ。都合のいい財布、便利な存在。それだけ。でも、孫を言い訳にして、あなた自身を傷つけてる。あなた、もう十分に尽くしてきたじゃない」
私は黙った。でも、その沈黙の奥で、初めて自分の心が自分の味方をしてくれた気がした。
もう、期待するのはやめよう。そう心に決めてからの私は、不思議と冷静だった。ひろ子さんは言った。
「私も昔、息子夫婦に生活費を援助し続けてたの。息子の会社が倒産してね。でも、私が年金だけで細々と暮らしてる間に、あの子たちは私の知らない海外旅行に行ってたのよ」
「それ、初めて聞いたわ」
「言わなかったのよ、誰にも。でも、すみれさんの話を聞いてたら、私だけじゃなかったんだって思えたの」
彼女の言葉は、深く静かに私の胸に染みた。
「ねえ、すみれさん。一緒にどこか行かない?」
「どこかって?」
「お試し入居ってあるのよ。高齢者向けのサービス付き住宅。趣味のサークルもあるし、ピアノ教室もやってるって。今なら見学会もやってるらしいわ。どう?」
私は少し戸惑ったけれど、「ピアノ」という言葉が胸の奥に小さな火を灯した。そういえば、私は昔ピアノをずっと弾いていた。主婦になってからはご無沙汰だったけれど、音楽はずっと私の中に残っていたものだった。
翌週、私はひろ子さんと一緒にその住宅の見学に出かけた。明るい食堂、広々としたラビ、小さなホールには立派なアップライトピアノが置かれていた。
「ご自由に弾いてください」
職員の方に言われ、私は恐る恐る椅子に腰かけた。「指が覚えてるかしら」、昔よく弾いていたあの曲を。鍵盤に指を置いた瞬間、記憶の奥に眠っていた旋律が音になって溢れ出してきた。私は夢中になって弾いていた。
「すみれさん、すごい!」
ひろ子さんの声が後ろから聞こえた。振り返ると、見学に来ていた他の入居者たちが静かに拍手をしてくれていた。
「これ、あなただけの時間よ。誰にも気を使わなくていいの」
その言葉に、私は初めて「自由」という感覚を味わった。家族の顔色を伺い、連絡を待ち、お金を渡し続ける生活ではなく、ただ自分のためだけに生きることが、こんなにも軽やかだなんて。
帰宅してからも、その余韻がずっと胸に残っていた。そして、心に浮かんだのは一つの決断だった。
「私、この家を出ようと思う」
家具もカーテンも夫と選んだ、思い出が詰まったこの家。でも、もう私には過去の温もりよりも、これからの自分の時間が必要だった。週末、私はひろ子さんと再び住宅を訪れ、正式な入居申し込みをした。その帰り道、ひろ子さんがぽつりと言った。
「ねえ。あの木の下で、誰かに引き留めてもらえるの、ずっと待ってたのかもね」
私は小さく笑った。
「そうね。私も待ってたのかもしれない。誰かに許し戻してもらえるのを」
サービス付き高齢者住宅への入居から、あっという間に1ヶ月が経った。ここでの生活は、これまでの塞いでいた日々とはまるで違っていた。朝は畑の手伝いをして、午後はピアノのワークショップ。夜は近くの住人たちと一緒に夕食を囲み、たまにカラオケ大会に出ることもある。私は毎日笑っていた。スマホの通知も気にしなくなった。Googleフォトの更新も、はるきからの連絡も、一切届かなくなっていた。
そして、ある日。宅配ボックスに一通の封書が届いていた。差出人は、はるき。封筒を開けると、便箋が一枚。乱れた文字でこう書かれていた。
「母さん。突然だけど、実は今ちょっと困ってて。また少しだけ力を貸してもらえたら助かるんだけど」
予想通りだった。もう私には、お願いされるだけの関係が戻ることはない。迷うことなく、便箋を破って捨てた。そして、私は一枚の書類を準備した。内容証明郵便。そこにはこう記した。
「今後、金銭的援助の申し出には一切応じません。また、私との連絡は控えてください。あなたたちの望む通り、私もそちらの家族ではありません」
数日後、私のスマートフォンが鳴った。相手は、えみこさんだった。ためらった末に出ると、彼女はやや慌てた口調で言った。
「お母さん、すみません。あの手紙、確認しました。でも、少し落ち着いて話せませんか?」
「用件がなければ、結構です」
「いえ、でも、ただ、はるきがショックを受けてて」
「そう。なら、彼のショックは学びになるわね」
私は淡々とそう言った。すると、えみこさんが言った。
「お母さん、本当にもう関わる気はないんですか?」
私は一呼吸置いてから、静かに答えた。
「ええ、もう十分です」
その返事を聞いたえみこさんは、しばらく沈黙した。やがて、苦々しげにこう言った。
「すごいですね。そんな風に割り切れるなんて」
「あなたたちが私に割り切れと言ってきたのよ。何年もね」
私はそう言って、電話を切った。
その直後、ひろ子さんから連絡が入った。
「ねえ、すみれさん。今、テレビの取材を受けられる高齢者の特集やってるの。ピアノ教室の話、出していい?」
「テレビ同士で? だって、あなたここに来てからみんなの憧れなのよ。あんな風に切り替えられる強さ、私も欲しいって。あなた、誰よりも前向きに生きてる」
私はスマホを握りながら、思わず笑った。自分が誰かの憧れになる日が来るなんて、思ってもみなかったのだ。
そして、ある日。ワークショップの帰りに、見慣れた車が玄関前に止まっていた。はるきだった。助手席には、実りの姿も見える。顔を伏せていて、こちらを見ようとはしない。
「母さん、少しだけ話せないかな?」
「その必要はないわ」
私は言い切った。
「もう私、あの頃の私じゃないのだから。心配しなくていいわよ」
その瞬間、はるきの目に戸惑いが浮かんだ。何かを言いかけたが、私は背を向けた。
「帰りなさい」
扉の奥、私の新しい暮らしが待っていた。
その夜、私は一人、共有スペースのピアノの前に座っていた。今日は鍵盤を鳴らす気分ではなかった。ただ静かに、音もなく、自分の指先を見つめていた。
「私、こんな手をしてたんだね」
小さな節くれだった関節。でも、それでもこの手は、息子を育て、家を支え、ずっと与え続けてきた。見返りを求めない愛情。私はそれが正しいことだと思ってきた。でも、与え続けることが自分を擦り減らすことになっていたなんて。あの頃の私は、気づこうともしなかったのだ。
ひろ子さんが隣に腰かけてきた。
「すみれさん。あれから、顔も見てない?」
「うん。連絡もないわ」
「そっか。でもね、あなた、すごいと思う。だってさ、あんなに一方的に利用されてたのに、攻めるでもなく、罵るでもなく。ただ静かに離れた。簡単じゃないよ、そんなの」
私は小さく笑った。
「責めたら、自分まで汚れる気がしたのよ」
「強いんだね」
「強いんじゃないの。もう十分に傷ついたからよ」
そう答える自分の声が、どこか他人のように聞こえた。過去を恨むわけでも、忘れようとするわけでもない。ただ、もうそこに縛られない。この場所に来てから、私は少しずつ自分を取り戻していた。ピアノを弾く時間。誰かと笑い合う時間。散歩しながら見る青空。どれもが私の心を少しずつ解放してくれた。
母でも、祖母でもない。ただの私。私はようやく、その存在に向き合えるようになっていた。
「あの子たちには、感謝してるわ」
ひろ子さんが不思議そうにこちらを見た。
「感謝? だって、あそこまでひどい扱いをされなかったら、私は一生気づけなかったもの。自分の人生は、誰かのためにあるわけじゃないって」
ひろ子さんが頷いた。
「そうね。それって、すごく大事なことだと思う」
私は立ち上がり、鍵盤に指を置いた。今度はちゃんと音を鳴らした。静かに、そしてゆっくりと。メロディはどこか懐かしく温かく、それでいて私自身の意思を感じさせるものだった。たった一人でここまで来た。でも、その過程の全てが無駄じゃなかったと、今なら思える。
「ありがとうね、ひろ子さん」
「こちらこそ。私も、すみれさんに出会えて救われたよ」
その言葉に、私は心からの微笑みを返した。
それからしばらく、私ははるきたちの消息を聞くことはなかった。関わらないと決めた以上、自分から何かを探ることも、案じることもなかった。一度、近所に住む古い知人から、こんな話を耳にした。
「そういえばさ、はるき君のとこ、家売りに出してるらしいよ」
「そうなの? ローンがきつくなったみたい。子供の習い事もあれだけ続けてたからね。最近、奥さんのご両親も資金援助が止まったらしくて」
その言葉を聞いても、私は特に驚かなかった。「ああ、そうなるわよね」と、どこか冷静に受け止めていた。かつては私が補っていたものが、なくなっただけの話。それでも変わろうとしなければ、当然の結果だ。
そして、またある日。ひろ子さんと立ち寄った公園のベンチで、私は実りの姿を見つけた。春の風の中、小さなランドセルを背負いながら、一人でベンチに座っていた。あの子は私に気づいていなかった。でも、その表情はどこか寂しげで、周囲から浮いていた。思わず足が止まった。
「すみれさん、声かける?」
「やめておくわ」
私はそう言いながら、実りの姿を静かに見つめていた。あの子の中に、私はもう「知らない人」として刻まれている。無理に声をかけても、それはきっと傷を深くするだけ。でも、その小さな背中に、かつての自分が重なって見えた。
「幸せになってほしいわね」
「うん」
ひろ子さんが優しく頷いた。
翌日、はるきから再び手紙が届いたけれど、もう開封することもなかった。封筒ごと、そっと引き出しの奥にしまった。あの人たちがどう生きていくのかは、もう私の知るところではない。私はもう、母としてではなく、一人の人間として生きていくと決めたのだから。
許すこともしない。憎むこともやめた。それは、私にとって何よりの自由だった。私の人生は、誰かの名前で始まり、誰かの名前で終わるものだとずっと思っていた。「はるきのお母さん」「おばあちゃん」。でも、75歳にしてようやく、私は「佐藤すみれ」という一人の名前で生き直すことを選んだ。それは誰かに認められたわけでも、特別な力を手に入れたわけでもない。ただ、自分を自分として扱うと決めただけのことだった。
私は今、たくさんの「初めて」に囲まれている。初めての一人旅、初めての発表会、初めての友達との朝カフェのために選んだワンピース。どれも特別に見えないかもしれない。だけど、私にとっては、過去の人生で一度も選べなかったものたちだった。
「地味で控えめで、何でも受け入れてしまう」。そう思われていたかもしれない。でも、私は静かに強くこう言える。
「私は、もう都合のいい人ではない」
大切な人のために尽くすことと、自分を犠牲にすることは違う。優しさは、使いどころを間違えれば、ただの便利になってしまう。そして、それに気づいた時、遅すぎるなんてことは絶対にないのだ。75歳の私がこうして立ち上がったように、やり直しに年齢は関係ない。人生のどのタイミングからでも、自分の手に鍵を戻すことはできる。そう気づいた。
今、私はこれからも自分を大切にする人生を、もう一度ゼロから始めていく。



