玄関のチャイムが鳴る。時計を見ると、また土曜日の午後だった。
ドアを開けると、息子の強しと嫁の千春が立っていた。そして、いつもの言葉が飛び出してくる。
「母さん、今週もお金貸してくれる?」
私は深く息を吸い込んだ。10年間、毎週のように繰り返されてきたこの言葉。最初の頃は「お母さん、お元気ですか?」という挨拶から始まっていたのに、いつの間にか玄関を開けるなり金銭の無心をするようになっていた。
「強し、千春さん。今日でもって援助は終わりにします」
その瞬間、息子夫婦の表情が凍りついた。
「え? 母さん、何を言っているの?」
「冗談でしょう、お母さん」
私は首を横に振った。冗談ではない。10年間続けてきた援助にもう限界を感じていた。
思い返せば、10年前の強しの結婚式は本当に幸せな日だった。千春を初めて紹介された時、「素敵なお嬢さんですね」と心から祝福したものだ。新生活を始める二人を応援したくて、「最初は何かと入り用でしょうから」と生活費として月5万円を渡し始めた。それが、いつの間にか当たり前のようになってしまった。
「今月は車検があって」
「冷蔵庫が壊れちゃって」
理由は様々だったが、気がつけば月10万円、15万円と援助額は増えていった。私の通帳を見返すと、この10年間の出金記録がびっしりと並んでいる。
最初の頃は「ありがとうございます。助かります」という感謝の言葉があった。でも最近はどうだろう。「今週もお金貸して」ただそれだけ。まるで私がATMかなにかであるかのような扱いだった。
私は和裁教室を開いていて、朝から晩まで働いてお金を貯めてきた。老後のために、夫の茂と二人で穏やかに暮らすために取っておいたお金だ。それなのに、息子夫婦は私たちの苦労など知る由もないかのように、当然の顔で手を差し出してくる。
ある日、強しが何の前置きもなく言った。
「母さん、今月ちょっと足りないから20万円お願い」
耳を疑った。何に使うのか尋ねると、「新車を買ったんだよ。頭金は払ったけど初回のローンがきつくて」という答えが返ってきた。
新車。私は言葉を失った。私たち夫婦は15年も同じ車に乗り続けているというのに。
「お母さんなら出してくれますよね」
その表情には、断られるかもしれないという不安など微塵も感じられなかった。
「親なんだから子供が困っていたら助けるのは当然でしょう」
当然。一体何が当然だというのだろうか。
別の日には、千春が甘えるような声で言った。
「お母さん、来月ハワイに行くんです。結婚10周年の記念で。旅費がちょっと足りなくて、15万円くらいお借りできませんか?」
借りる。また「借りる」という言葉。でも今まで一度でも返してもらったことがあるだろうか。
私たち夫婦は結婚40年の記念日も、近所の温泉に一泊するのがやっとだった。それも、息子夫婦にこれ以上負担をかけられないと、最安値のプランを選んだのだ。
「母さん、今月も頼むよ」
「お母さん、お金の工面をお願いします」
まるで呪文のように繰り返される言葉。私は次第に土曜日が来るのが憂鬱になっていった。
ある時、勇気を出して断ってみたことがある。
「強し、今月は本当に余裕がないの。申し訳ないけど」
すると、強しの顔色が見る見る変わった。
「何言ってるの? 母さんには和裁の収入があるじゃないか」
「でもそれは私たちの老後のための貯金で―」
「まだ元気じゃないか。それより今、息子が困ってるんだよ」
千春も火がついたように続けた。
「お母さん、私たちを見捨てるんですか?」
「そんなつもりは―」
「じゃあなんで断るんです? 冷たい母親ですね」
冷たい母親。その言葉が胸に突き刺さった。夫の茂に相談しても、「まあ息子なんだから仕方ないよ」と言うばかり。誰も私の気持ちを分かってくれなかった。
援助を続けるうちに、私たちの貯金は目に見えて減っていった。通帳の残高を見るたびに不安が募る。このままでは本当に老後の生活が危ういかもしれない。
それでも息子夫婦は、私たちの不安など知らないかのように毎週やってきては手を差し出すのだ。
「親の義務でしょう」
「育ててもらった恩を返してるんです」
「これくらい親なら当然」
そんな言葉を聞くたびに、私の心は少しずつ冷えていった。愛情からの援助がいつの間にか義務になり、そして当然の権利のように扱われる。この関係は本当に親子のあるべき姿なのだろうか。
鏡に映る自分の顔を見つめた。10年前より確実に増えた白髪と疲れ切った表情。これが息子のためを思って耐え続けた母親の姿なのかと思うと、涙がこぼれそうになった。
もう限界だった。この異常な関係を断ち切らなければ、私自身が壊れてしまう。そう確信した私は、ついに決断を下した。
援助終了を宣言した翌週の土曜日。いつもの時間にチャイムが鳴った。玄関を開けると、何事もなかったかのような顔で立っている強しと千春の姿があった。
「母さん、今週もお金貸して」
強しが飄々とした調子で言う。私は一瞬、自分の耳を疑った。
「強し、先週私が何と言ったか覚えていないの?」
「え? 先週何か言ったっけ?」
本当に覚えていないのか。それとも忘れたふりをしているのか。強しの表情からは読み取れなかった。
「援助は終わりだと、はっきり言ったはずよ」
「あ、あれ本気だったの?」
千春が横から口を挟む。
「お母さん、まさか本当に私たちを見捨てるつもりじゃないですよね。今月も生活が苦しいんです。お母さんが助けてくれないと」
その時、奥から茂が出てきた。てっきり私の味方をしてくれるものと思っていた。だが、次に聞いた言葉に愕然とした。
「千恵子、息子なんだから援助してやれよ」
「茂さん!」
「お前には和裁の稼ぎがあるんだから、それくらい良いじゃないか」
お前の稼ぎ。その言葉に、私は深い失望を覚えた。40年以上連れ添った夫まで、私の苦労を理解していなかったのだ。
「そうですよ、お母さん。お父さんもこう言ってることですし」
千春が勝ち誇ったような顔で言う。
私は震える手で箪笥の引き出しから、何冊もの通帳を取り出した。この10年間、こまめに記録し続けた援助の履歴だ。
「これを見てください」
ページをめくりながら、一つ一つの数字を指でなぞっていく。5万円、10万円、15万円、20万円。毎月のように引き出されていく金額。
「計算してみたことがありますか?」
私は電卓を取り出し、震える指で数字を打ち込み始めた。
最初の年は月5万円で年間60万円。2年目からは月10万円で年間120万円。5年目からは月15万円で年間180万円。そして最近は月に10万円を超えることもあった。
数字を足していくごとに、私の手の震えは大きくなっていった。
「合計で2000万円を超えています」
電卓の画面に表示された数字を見せると、部屋に沈黙が流れた。
2000万円。私自身、改めて口にしてみてその金額の大きさに驚いた。
「これだけのお金を、『貸して』と言い続けて受け取っていたんですよ」
「で、でもそれは―」
強しが言いかける。
「親子間のことだから、そんな風に計算するなんて」
千春も慌てたように続けた。
「親子か。でも、『貸して』と言い続けたのはあなたたちです」
私は通帳をテーブルに並べた。10年分の記録が、私の言葉に重みを与えてくれる。
「毎週毎週『今週もお金貸して』と。一度でも返してくれたことがありますか?」
二人は答えられなかった。茂さえも、2000万円という数字には驚いたようで黙り込んでしまった。
「私は朝5時に起きて、夜遅くまで和裁教室で働いています。一枚一枚丁寧に縫い上げて、ようやく得たお金です。老後のために、何かあった時のためにと思って貯めていたお金なのに、気がつけば2000万円も取られていた」
「母さん、でも俺たちは家族じゃないか」
強しが苦し紛れに言う。
「家族だから助け合うのは当然だろう」
助け合う。私は思わず声を荒げそうになったが、ぐっとこらえた。
「助け合いというのは、お互いがお互いを支えることです。この10年間、あなたたちは私たちを助けてくれたことがありますか?」
また沈黙が流れた。
「母の日も誕生日も、『お金が足りないから』と言ってプレゼント一つありませんでした。それどころか『今月は特別に多めに』と言って、いつもより多く要求してきましたよね。体調を崩した時も『大丈夫?』の一言もなく、『今週の分はいつもらえるの?』と聞いてきました」
「お母さん、それは―」
千春が何か言いかけたが、私は続けた。
「私たちの結婚記念日に温泉に行きたいと言ったら、『そんな余裕があるならもっと援助してほしい』と言いました」
思い出すだけで胸が痛くなる。親として、これほど悲しいことがあるだろうか。
茂もようやく事の重大さに気づいたようだった。
「強し、さすがにこれは―」
「父さんまで何を言い出すんだよ」
強しが声を荒げる。その瞬間、私は確信した。この子はもう私の知っている優しい強しではないのだと。
2000万円。この数字が全てを物語っていた。親の愛情に付け込み、当然のように搾取し続けた10年間。もう終わりにしなければならない時が来たのだ。
その夜、夫婦が帰った後、私は一人で書斎にこもった。机の上には10年分の通帳と、援助の履歴を書き留めていたメモが山のように積まれている。
和行師として長年働いてきた私には、一つの習慣があった。それは全てを記録することだ。お客様からの注文内容、納期、支払い。何ひとつ曖昧にしないことが信頼につながると信じていたからだ。
その几帳面な性格が、まさか息子夫婦との関係で役に立つとは思ってもみなかった。
「平成26年4月5日 強し、今月もお金貸して 5万円」
「平成26年6月3日 強し、車の修理代貸してもらえる? 8万円」
一つ一つのメモを読み返していく。どれも「貸して」という言葉が使われていた。最初は偶然かと思ったが、調べれば調べるほどその言葉の多さに驚いた。
「平成28年7月10日 千春、お母さん10万円貸してください」
「平成30年9月15日 強し、今週もお金貸して 15万円」
全て「貸して」なのだ。「ください」でも「援助して」でもなく、必ず「貸して」。
私はふと、法律のことを思い出した。以前、和裁教室の生徒さんの中に弁護士をしている方がいらっしゃった。その方が雑談の中で言っていた言葉が頭をよぎる。
「言葉って大切なんですよ。特にお金のやり取りでは。『貸す』と『カス』では法的に全く違う意味になりますから」
翌日、私は思い切ってその弁護士の方に連絡を取った。
「先生、親子間でも貸し借りは成立するのでしょうか?」
電話の向こうで、優しい声が答えてくれた。
「もちろんです。親子間でも貸借関係は法的に有効です。特に『貸して』という言葉を使い続けていたのなら、それは明確な貸付の意思表示と言えるでしょう」
私の心に一筋の光が差し込んだような気がした。
「ただし、証拠が重要です。金銭の出入りの記録や、『貸して』という言葉を使った証拠があれば、より確実です」
「記録なら、全て残っています」
「それは素晴らしい。では一度、詳しくお話を伺えませんか?」
数日後、私は大量の資料を持って法律事務所を訪れた。通帳、メモ、そして最近始めた録音データまで。弁護士の先生は一つ一つ丁寧に確認してくださった。
「これは見事な記録ですね。日付、金額、そして『貸して』という言葉。全て揃っています」
「本当に返してもらえるのでしょうか?」
「法的には十分可能です。ただ、親子間ということで、まずは話し合いから始めることをお勧めします」
先生は正式な借用書の書き方を教えてくださった。過去の貸付金をまとめ、返済計画を立てる方法も。
家に帰ると、私は早速作業に取りかかった。
「貸付金残額 2000万円超。貸付期間 平成26年4月から令和6年10月まで。返済方法 協議により決定」
一語一語、慎重に書き進めていく。これは単なる書類ではない。10年間の私の苦労と、これからの人生を取り戻すための大切な武器なのだ。
茂もようやく事の深刻さを理解してくれたようだった。
「千恵子、俺が悪かった。お前の苦労を分かっていなかった」
「茂さん……」
「2000万円も。本当に済まなかった。俺も息子に甘すぎた」
夫の理解を得られたことで、私の決意はさらに固まった。
準備を進めながら、私は不思議な感覚を覚えていた。怒りでも悲しみでもなく、ある種の解放感のようなものだ。10年間「貸して」と言われ続けて渡してきたお金。それを返してもらえる日が来るなんて。
私は鏡に向かって練習した。
「強し、千春さん。あなたたちが『貸して』と言い続けたお金、2000万円を返してください」
最初は震えていた声も、繰り返すうちにしっかりとしたものになっていった。
「これはあなたたちが選んだ言葉の結果です。親子だからこそ、けじめをつけましょう。返済計画を立ててください」
一つ一つの言葉に、10年分の思いを込めて。弁護士の先生からは最後にこんなアドバイスをいただいた。
「感情的にならないことが大切です。あくまで冷静に、事実を淡々と伝えてください。『貸した』と言った以上、返す義務があるという単純な理屈です」
私は深呼吸をした。来週の土曜日、また息子夫婦がやってくるだろう。その時こそ、私の人生を取り戻す時だ。
書斎の窓から夕日が差し込んできた。オレンジ色の光が、積み上げられた資料を照らしている。2000万円。それは単なる金額ではない。私の人生そのものなのだ。朝早くから夜遅くまで、一枚一枚丁寧に縫い続けて稼いだお金。老後の安心と引き換えに、息子夫婦に渡し続けたお金。
でも、もう終わりだ。「貸して」という言葉が、私に反撃の機会を与えてくれた。今度は私が「返して」と言う番だ。当然の権利として、堂々と。
夕食の準備をしながら、私は久しぶりに鼻歌を歌っていた。10年ぶりに感じる心の軽やかさ。それは希望という名の光だったのかもしれない。
運命の土曜日がやってきた。いつものように午後、玄関のチャイムが鳴る。深呼吸をしてから、私はドアを開けた。
「母さん、今週もお金貸して」
予想通り、強しは何事もなかったかのように手を差し出してきた。千春も当然のような顔で隣に立っている。
「強し、千春さん。リビングに来てください」
二人は面食らった顔をして、書類の準備がしてあるリビングに入ってきた。茂もソファーに座って待っている。弁護士の先生と作成した正式な書面が並べられていた。
「強し、千春さん。あなたたちは10年間、お金を『貸して』と言い続けましたね?」
「だから今週も貸してって言ってるじゃないか」
強しが居直ったように言う。
「ではまず、これまでの分を返してください」
私は計算書を差し出した。
「総額2000万円以上。これがあなたたちが借りた金額です」
静寂が部屋を包んだ。千春の顔色がさっと青ざめるのが分かった。
「は? 何を言ってるんですか、お母さん?」
「あなたたちが『貸して』と言い続けたのですから、当然返す義務があります」
私は一枚一枚、証拠を提示していった。
「平成26年4月5日。『今月もお金貸して』5万円」
「平成29年8月10日。『車の修理代貸して』15万円」
「令和元年3月2日。『旅行代金貸してください』」
読み上げるたびに、息子夫婦の顔色が変わっていく。
「全部で312回。全て『貸して』という言葉を使っています」
「で、でもそれは言葉のあやで―」
強しが慌てたように弁解しようとした。
「言葉のあや? ではなぜ『ください』や『援助して』ではなく、必ず『貸して』だったのですか?」
「それは、その時の気分で―」
「気分? 10年間、312回も同じ気分だったんですか?」
私は記録ノートを開いた。
「見てください。最初の頃は『お借りします』『貸していただけますか』と丁寧でした。それがだんだんと馴れ馴れしくなり、最近では完全に命令形です」
千春が顔を真っ赤にして反論してきた。
「親子間でそんなの普通でしょ。親は子供にお金をあげるものでしょう」
「あげる? でもあなたたちは『もらう』ではなく『借りる』を選んだんです」
私は弁護士からもらった資料を見せた。
「これは親子間の金銭に関する判例です。最高裁判所も、親子間であっても貸借関係は成立すると認めています」
「さ、最高裁―」
千春の声が震えていた。
「まさか母さん、本気で裁判なんて?」
「必要ならそうします。弁護士の先生も勝訴の可能性は極めて高いとおっしゃっていました」
茂も口を開いた。
「強し、お前たちは何をやってきたんだ? 2000万円だぞ。俺たちの老後資金のほぼ全額だ」
「父さんまで何を言うんだよ!」
「今まで黙っていたが、千恵子がどれだけ苦労してきたか分かっているのか? 朝5時に起きて夜10時まで張り仕事。休みも取らずに働いて、全部お前たちに渡していたんだぞ」
私は正式な書面を取り出した。
「これは金銭消費貸借契約書です。過去の貸付金をまとめたものです。署名と実印をお願いします」
「署名なんてできるわけない!」
強しが机を叩いた。
「親が子供を訴えるなんて! 世間体はどうなるんだ?」
世間体。私は静かに笑った。
「世間の人に聞いてみましょうか。38歳の息子が10年間で2000万円も親から借りて、一円も返さないことについて」
千春が泣き始めた。
「お母さん、私たち本当にお金なくて―」
「先月、新しいブランドバッグを持っていましたね。Instagramに載せていたでしょう?」
「そ、それはたまたまセールで―」
「セールでも20万円。その前は新車。その前はハワイ旅行。お金がない人の行動でしょうか?」
私は家計簿を見せた。
「私たちの先月の食費は3万円です。病院にも行かず、薬も我慢しています。なぜだと思いますか?」
沈黙が流れた。
「あなたたちに貸すために、私たちが切り詰めていたんです」
強しが最後の抵抗を試みた。
「でも僕たちには子供もいるし―」
「子供? その子供の教育費は誰が払うつもりですか? まさかまた私たちに『貸して』と? それはもう終わりです。私たちにも限界があります」
私は返済計画書を差し出した。
「月々10万円の返済。ボーナス時は20万円。これで約10年で返済完了です」
「10年―」
「あなたたちが借りた期間と同じです。公平でしょう」
千春が必死に訴えた。
「でも月10万円なんて無理です!」
「あら、今まで毎月それ以上借りていたじゃないですか。返すのは半分以下なら楽でしょう?」
「そ、それとこれとは―」
「同じです。お金はお金です」
茂が助け舟を出した。
「二人とも働いているだろう。一人5万円ずつなら、そんなに無理な額じゃないだろう」
私は最後通告をした。
「1週間時間を上げます。この契約書にサインするか、それとも法的手続きを取るか、選んでください」
「1週間って、そんな急に―」
強しが情けなく聞く。
「10年間も猶予があったはずです。本当に裁判するのなら、必要経費も全て請求します。給与、預金、不動産。全て対象になります」
差し押さえ。二人の顔が真っ青になった。
「もちろん、会社にも通知が行きます」
これが決定打だった。強しも千春も、会社での立場を失うことを何より恐れていることを、私は知っていた。
「は、分かった。返済計画を考えてくる」
渋々といった様子で、立ち上がろうとする二人に、私は最後に言った。
「あ、それから。今後、新たな貸付は一切しません。『今週もお金貸して』はもう通用しませんから。足りないものは働いて稼いでください。38歳と35歳の大人ならできるはずです」
息子夫婦は蒼白な顔で帰って行った。ドアが閉まると、私は椅子に深く腰を下ろした。
「よくやった、千恵子」
茂が優しく肩を抱いてくれた。
「これで良かったのかしら?」
「良かったんだよ。あいつらのためにも」
窓の外を見ると、夕焼けが空を染めていた。10年ぶりに、私は本当の意味で息ができた気がした。もう土曜日を恐れる必要はない。2000万円、取り戻せるかどうかは分からない。でも、少なくともこれ以上奪われることはないのだ。それだけで、私の心は驚くほど軽くなっていた。
1週間後の土曜日。約束の時間に、息子夫婦がやってきた。二人の表情は先週とは打って変わって、沈痛なものだった。
「母さん、話があってきました」
強しの声には、もう傲慢さはなかった。リビングに通すと、千春が深々と頭を下げた。
「お母さん、先週は本当に申し訳ありませんでした。この1週間、二人でたくさん話し合いました」
強しも頭を下げる。
「今まで甘えすぎていたことが、よく分かりました」
二人は返済計画書を差し出した。きちんとした書式で、月々の返済額、期間、そして二人の署名と実印が押されている。
「月8万円ですが、ボーナス時は増額します。正直、生活は厳しくなりますが、自分たちでやっていきます」
私は計画書を確認した。真面目に作られたものだった。
「分かりました。この計画で進めましょう」
すると、強しが思いがけないことを言い出した。
「母さん、実は僕たち、この1週間で色々なことに気づいたんだ」
「どういうこと?」
「今まで当たり前だと思っていたことが、全然当たり前じゃなかった」
千春も続ける。
「私たち、お母さんがどれだけ大変な思いをして働いているか、考えたこともありませんでした。朝5時起きで仕事して、夜遅くまで。それで稼いだお金を、私たちは何も考えずに使っていました」
強しの目に涙が浮かんでいた。
「情けない息子で、本当にごめんなさい」
「強し……」
私も胸が熱くなった。
「これからは自分たちの力で生きていきます。もう貸してなんて言いません。当然、返済もきちんとします」
千春が付け加えた。
「それと、お母さん。今更ですが……」
千春は小さな包みを差し出した。
「母の日のプレゼントです。10年分の気持ちを込めて」
包みを開けると、美しい絹のスカーフが入っていた。
「まあ……お母さん、和裁の先生だから、きっと気に入ってもらえるかなって」
涙がこぼれそうになった。
それから3ヶ月が経った。息子夫婦は約束通り、毎月きちんと返済してくれている。それ以上に嬉しいのは、本当の意味での家族の関係が戻ってきたことだった。
「母さん、仕事で遅くなるから今日の夕飯は大丈夫」
電話でそう言う強しの声には、思いやりがあった。
「お母さん、今度の日曜日、よかったら一緒にランチ」
千春からの誘いも、心からのものだと分かる。
私の生活も大きく変わった。まず、経済的な不安がなくなった。毎月の返済があることで、少しずつだが貯金も増えている。何より、自分たちのためにお金を使えるようになったのが嬉しい。
「千恵子、温泉でも行こうか」
茂がパンフレットを見せてくれた。
「いいわね」
「高級旅館じゃなくてもいいんだよ」
「たまには贅沢してもいいわ。もう誰かに貸す必要はないんだから」
そうだった。私たちは自由なのだ。
和裁教室の生徒さんたちも、私の変化に気づいているようだった。
「先生、最近お元気になられましたね。表情が明るくなられました」
確かに、鏡を見る私の顔は10年前に戻ったような気がする。
ある日、強しから電話があった。
「母さん、実は千春が妊娠したんだ」
「まあ! おめでとう」
「それで相談なんだけど、今度は本当の意味で力を貸してもらえないかな?」
「どういうこと?」
「子育ての知恵とか、精神的な支えとか。お金じゃなくて、本当の意味での援助をお願いしたいんだ」
私は微笑んだ。
「もちろんよ。それが本当の家族の助け合いね」
今、私は心から幸せだと言える。お金を取り戻すことができたからではない。息子夫婦が真摯になり、本当の意味での大人になってくれたからだ。そして、私自身も言うべきことを言える強さを手に入れたからだ。
時には厳しさも必要。それが本当の愛情だということを、この年になって学んだ。
私のような経験をされている方も、きっとたくさんいらっしゃるだろう。どうか勇気を持ってほしい。正当な権利を主張することは、決して悪いことではない。むしろ、それが相手のためにもなるのだから。
「貸して」という言葉に、私は10年間縛り付けられていた。でも、その言葉があったからこそ、私は反撃することができた。人生には不思議な巡り合わせがあるものだ。
今日も私は和裁教室で、生徒さんたちに囲まれて過ごしている。針を持つ手は変わらず正確で、でも時間は10年前とは違う。もう誰かの財布ではない。一人の人間として、母として、妻として、そして和裁士として、誇りを持って生きている。
窓の外には青い空が広がっている。強し夫婦の子供が生まれたら、今度は本当の意味でのおばあちゃんになれるだろう。お金ではなく、愛情と知恵を分け与える。そんな祖母になりたいと思う。
2000万円の返済にはまだ時間がかかる。でも、それでいいのだ。息子夫婦が自分たちの力で返済していくことこそが、彼らの成長の証なのだから。
人生は長い。でも、気づいて行動するのに遅すぎることはない。私のように68歳からでも、新しい人生を始めることができるのだ。



