「土下座してでも、この1年で全部取り返します。それ以上のお金もつけて差し上げますから、どうか力を貸してください」――高校を卒業したばかりの娘に、そう言われた日のことを今でも覚えている。夫は私が独身時代に貯めた300万円を娘の学費から盗み、しかもその金で不倫相手とレストランを開いていた。レシピ帳まで持って行かれた。私は泣き寝入りするしかないと思っていた。しかし、私の目の前で娘が静かに笑った。そ…

「土下座してでも、この1年で全部取り返します。それ以上のお金もつけて差し上げますから、どうか力を貸してください」――高校を卒業したばかりの娘に、そう言われた日のことを今でも覚えている。夫は私が独身時代に貯めた300万円を娘の学費から盗み、しかもその金で不倫相手とレストランを開いていた。レシピ帳まで持って行かれた。私は泣き寝入りするしかないと思っていた。しかし、私の目の前で娘が静かに笑った。そ...

「大地、今どこ?」
「どこって会社だけど。今日は残業で遅くなるって言っただろ」
「嘘でしょ」
「はあ? 嘘ってなんだよ」
「私の友達が見たって言ったの。大地が知らない女とホテルに入っていくのを」

「ああ、あれは飲み会で酔ってたから介抱してただけだ」
「飲み会? 残業じゃなかったの?」
「飲み会も残業みたいなもんだろ」
「じゃあ聞くけど、介抱ってラブホでするものなの?」
「……そこまで分かってたのかよ。もったいぶった言い方しやがって」
「何その言い方? 開き直るつもり?」
「逆に聞くけど、男女でラブホに入って何もないと思ってんの?」

私は震える声を必死に押し殺した。再婚してまだ3年。たった3年で不倫。しかも私の連れ子・みゆが大学に合格したばかりの、まさにそのタイミングで。

「ついこの間、家族でお祝いしたばかりじゃない。みゆに何て説明する気?」
「みゆはもう18だろ。この程度のことでガタガタ言わないって」
「そんなわけないでしょ。年頃の女の子が父親の不倫なんて知ったら――」
「はいはい。お前には分かんないか。まあ、お前は血のつながらない母親だもんな」

その一言に、心臓が氷のように冷たくなった。

「どういう意味?」
「みゆはもう慣れっこだってことだよ。俺がみゆの母親と離婚したのも不倫が原因だしな」
「何それ? 私は教育方針の違いだって聞いてたけど?」
「そんなの嘘に決まってんだろ。不倫して離婚しましたなんて正直に言ったら、お前は俺と結婚しなかっただろ」
「……そういうことだったのね」
「てか、みゆで思い出したわ」
「今度は何?」
「みゆの学費。不倫相手と店をやるための資金に使ったから」
「は? 店? 使ったって……300万全部?」
「学費の支払いはすぐなんだよ。俺とあいつの夢の店だから理解してくれ」
「ふざけないで。あのお金は私が独身の頃から貯めていたものよ。共有の通帳に入れてたから共有財産でしょ?」
「そんなバカな話が通るわけないだろ。店だって俺とお前でやるって言ってたじゃない」
「あー、最初からお前とする気なかったけど」
「え?」
「そうそう。お前が必死で作ってたレシピももらってくから」
「そんな――」
「じゃあ俺は今日からそっちには帰らないから。後のことは全部任せたぞ」

電話は一方的に切れた。私はしばらく、スマホを握ったまま動けなかった。

10分後。

みゆがバイトを終えて帰ってきた。「ゆかさん、ドンピシャー。マジで今さっき終わったとこ」

「みゆ、本当にごめんなさい」
「何なに? 急に。……え、まさか大学の学費、なくなったの?」
「ああ、まあ、そんな感じ」
「うわ、パパ終わってんね。らしいっちゃらしいけど」

「実は大地が全額使っちゃったみたいで。さっきネットバンクで確認したら残高がゼロで。せっかく合格したのに……」
「いやいや、別になんとかなるっしょ。バイトで貯めてるし。ワンチャンあるんじゃね?」
「いや、コツコツ貯めたとはいえ300万よ」
「まあでもなんとかするわ」
「なんとかって――」
「私の両親に借りてでも払うから安心して」
「いや、いいって。それよりも、パパが300万も何に使ったの?」
「えっと、すごく言いづらいんだけど」
「これ以上に言いづらいの? マジで何やったの?」
「……不倫相手と店を始めるって」

「は? それガチ?」
「ガチみたい。それに、店ってゆかさんと一緒にやるって言ってなかった? レストランだっけ?」
「私、独身時代からの夢だったのよ。結婚した後は老後に一緒にって言ってたんだけど……それも反故にして、不倫相手と。娘の学費を使って」
「そう……私がコツコツ書きためてたレシピも、持ってかれちゃってたの」
「ああ……」
「ちょっと聞きたいんだけど、その300万って誰のお金?」
「私が独身時代に貯めてたお金よ」

「なるほど。……なんていうか、さっきから軽くない? 普通に草も生えんレベルでやばいって」
「草生えないよ。私、笑っちゃったもん、女装したのかと思った」
「そうなの? 笑えないくらいヤバいってこと?」
「そうよ。それでも明るく振る舞ってられて、私は本当にショックで。離婚しかないなって思ってる」

みゆは少し間を置いて、真剣な顔になった。
「あ、ちょい待ち」
「どうしたの?」
「ゆかさん、1年でいいから時間もらっていい? いや、マジで腹立つのりだとは思うよ。けどマジでお願い。1年だけ」

「1年? それでどうするの?」
「まあまあ、そこは私にお任せって感じで。悪いようにはしないよ」
「なんでそんな怪しい感じを出すのよ……」
「バッチリお任せください、奥さん」
「……はいはい。じゃあ騙されてあげるわ。1年でいいのね。あ、離婚も禁止で」
「え?」

1週間後。

「おっす。みゆ、元気か?」
「いや、元気かじゃないでしょ。人の学費を勝手に使っておいて、何その軽い感じ」
「あれな、マジで助かったわ。サンキュー」
「サンキューじゃないから。ガチでありえん。パパ、終わってる」
「ああはいはい。すまんすまん」
「謝る気もないでしょ……てかさ、お前、SNSやってたよな」
「……無視とかマジでうざい。やってるけど」
「それがフォロワー多かったろ」
「一応1万人だけど」
「でかした。さすが下品なダンス動画を上げてるだけはあるわ」
「あのさ、言葉に気をつけなよ。実の娘に下品とか、人としてどうなの」
「いや、実際そうだろ。父親としては娘があんなのやってるの見るのは恥ずかしいわ」
「あっそ。どうせおっさんとかに媚売ってんだろ。若い女はいいよな。適当に露出して踊るだけで人気になれるんだから」

「……クソリプかよ。で、その恥ずかしい娘に何の用?」
「今度さ、店をやるんだよ。レストラン」
「ゆかさんから聞いてる。私の金を使って不倫相手とやるんでしょ」
「そうそう。聞いてんなら話は早い。その前に、やってることがヤバいって自覚ある? 父親としても、人としても終わってるからね」
「そういうのいいから」
「良くないから言ってるの」
「その店の宣伝してくれよ」
「は? 宣伝?」
「実は結構前から準備しててさ。来月にはオープンするんだ。だからインフルエンサー様から宣伝頼むわ」

「この状況でそれを普通に頼めるの? 心臓が鉄でできてるの?」
「お前、大学も経営学部を選んだんだろ。SNS戦略的なことは分かってるんだろう」
「いや、まだ大学行って何も学んでないし」
「大丈夫、できるって」
「どこから来た自信なの? その大学だって、ゆかさんのおかげで行けるんでしょ」
「ああ、やっぱりちゃんと300万用意したんだ。ゆかさんのパパママに借りてくれたんだろ。マジで申し訳なくて……だからこそ、これ」
「大学行けるならいいじゃん」
「良くないわ。てか、マジで分かんないよ。経営?」
「受験勉強くらいはしただろ」
「経営の受験とかないから」
「とか言って、昔から熱心に勉強してたじゃん」
「そりゃ経営には興味があるし」
「ならできるってことだな」
「……マジで言ってる?」
「いいだろ。別に減るもんじゃなし。パパの頼みなんだからさ」

「分かった」
「お、マジ?」
「それ今、SNSで宣伝してバズらせたらいいんでしょ?」
「おお、それそれ。バズバズ」
「じゃあ店のアカウントは共有して。後で送る」
「いやあ、やっぱ持つべきものは出来た娘だわ」
「はいはい。せいぜいバズり散らかしますよ」
「本当に頼りにしてる。じゃあ店の宣伝は全部任せるから、繁盛させてくれよ」

1年後。

「大地、300万返して」
「ああ、しつこすぎ。1年前のことをいつまで言ってんだよ」
「1年前とか関係ないから。だからって毎月のように連絡してくんなよ」
「言っても返してくれないあなたが悪いんでしょ」
「てかこっちは忙しいんだよ。分かるだろ? 店が繁盛してんの」
「繁盛してるなら300万も返せるんじゃないの?」
「そもそも返す返さないの問題じゃないだろ。あれは夫婦の共有財産だ。俺がどう使おうと問題ない」
「違います。あの300万は私が独身時代に貯めたお金よ。私個人の資産であって、共有財産じゃありません」
「夫婦の共有口座に入ってたんだから、共有財産だろ」
「どこに入れてても私個人の財産よ。それを無断で、しかも不倫相手との店の回転資金に使うなんて論外」
「耳にタコができるわ。何度もその説明は聞いた」
「だったら早く払ってください」
「払わない。以上、終わり。これも何度も言ってるだろ」
「あのね、返還するのは当たり前なの。日本の法律で決まってることよ」
「はいはい。そうですか」
「法的手段に訴えてもいいんだけど」
「どうせしないじゃん」
「どうしてそう言えるの?」
「じゃあ逆に聞くけど、なんで俺とお前がまだ離婚してないわけ? それはお前が俺にお願いしたからだよな。離婚したくないって泣きついてきたのはどっちだよ」
「泣きついてはおりません。ただ、もう少し待って欲しいって言っただけです」
「もう1年ですけど。離婚、まだ」
「俺はいつでもいいぞ」
「もうちょっと待って」
「出た出た。結局俺に未練たらたらなんだろ。モテる男は辛いね」
「そういうんじゃないわ」
「いいって、強がって」
「強がってません」
「まあ、俺も今は店が忙しいし、それが落ち着くまでは夫婦関係を続けてやるよ”
「ありがとう……関係を維持したいなら、だるいことは言ってくんなよ」
「まあまあ。でも一応、お前のおかげで大繁盛してるから。バイトでも作れる簡単レシピで味は最高。俺の目は間違ってなかったわ」
「そうですか」
「あとみゆにも礼を言っとかないとな。あいつのおかげでバズってるし。ああ、忙しい忙しい」
「私、300万も不倫の事実も、認める気はないから」
「言ってろ言ってろ。お前には何もできないんだよ。俺の勝ち組人生を見て負け犬人生を送ってろ」

数日後。

「パパ、レストラン開店1周年おめ」
「おお、みゆ、サンキュー。みゆの宣伝のおかげだわ」
「まあ、相当バズってたからね」
「お前、思った以上にやるじゃん。なんだったら、このままうちで雇ってやろうか」
「うん、ノーサンキュー」
「せっかく俺が誘ってやってんのに。水希も可愛がってくれると思うぞ」
「水希? それって不倫相手?」
「不倫相手じゃなくて、将来のお前の母親だな」
「うわ、マジでいらない」
「そう言うなって。てか俺、経営センスあったんだな。こう、トントン拍子っていうやつ。ま、才能だわ」
「パパ、ヤバい。才能あるよ」
「だろ」
「うん、マジでお笑いの才能あるよ」
「は? お笑い?」
「経営センスがね」
「たが、マジで言ってんの?」
「当たり前だろ。たった1年でこの繁盛具合だぞ」
「ゆかさんのレシピを盗んで、私のフォロワーにタダ乗りしただけでしょ。バカでもできるわ」
「はあ? お前な、父親に対してバカってなんだ」
「ガチだから仕方ないじゃん。経営センスとかマジ皆無」
「実際、こうして成功してるだろうが」
「成功? 勘違いも甚だしいわ。レビューはサクラ入れて操作してるんでしょ」
「は? そんなのしてないし」
「実際、SNSだとひどいわよ。『料理はうまいけど女店員の接客態度が最悪。2度と行かない』って」
「女店員って……水希か?」
「口コミが広がって、すぐに人が来なくなるね。今の時代、店舗経営するのにSNSを見ないとかヤバい。次からは気をつけた方がいいよ。次があるとは思えないけど」
「お前がなんとかしろよ。SNSはお前の担当だろ?」
「別に雇われてないんですけど」
「それでもやるんだよ。早くしろ」
「まあ安心して。すぐに対応するから。来月にはこの評価も逆転するって」
「なんだよ、それを先に言えよ。焦って損したわ」
「その時は、パパはもうオーナーじゃないけどね」

数日後。

「おい、みゆ。なんだよこれは」
「ああ、SNS見た。パパ、やっぱり炎上してんね。受ける」
「受けねえよ。店を奪ったの泥棒だの、身に覚えのないことで色々と言われてるんだが」
「SNSでバズるのって、ストーリー性も大事なんだよね」
「ストーリー性? どういうことだ?」
「パパと私のLINEでしょ? それと、パパとゆかさんのLINE。全部SNSにアップしたった」
「は? お前、何やってんだよ」
「娘の学費300万を盗んで不倫相手とお店を開店。ゆかさんはプロの料理人で、そのレシピまで盗んだ。もうマジで無理。父親がこんなことしてるって信じられない。みたいな」
「バカじゃねえのお前。そんなことしたらこうなるのは分かりきってただろ」
「自覚あんの? 逆にヤバい」
「笑い事じゃねえんだよ。どうするんだよ、これ。お前、すぐになんとかしろ」
「は? 無理だから」
「無理じゃないだろ。お前のせいでこうなってんだぞ」
「いやいや、パパのせいでしょ。私は一言も嘘を投稿してないけど」
「そんなの知るか。こっちは迷惑してんだよ」
「それな」
「は?」
「私はパパの娘に生まれてから、ずっと迷惑してんの」
「なんだと?」
「パパさ、私が経営学部を受験した理由、知らないでしょ?」
「あ、知らねえよ。興味もない」
「私の実のママ、今も入院を繰り返してるの」
「実のママ? あいつが? てかなんでお前がそんなこと知ってんだ?」
「今も連絡取ってるもん。当然でしょ」
「俺はそんなの聞いてないぞ」
「そりゃそうでしょ。誰のせいでママが入院してると思ってるの?」
「あれはあいつが勝手に倒れたんだろ」
「倒れるまで追い込んだのが誰かって言ってるの。元々体が弱かったのに、パパが何回も不倫して精神不安定になって、挙げ句の果てに病気で入院。離婚。ざけんな」
「じゃあなんでお前は俺についてきたんだよ。あいつのそばに行ってやりゃよかっただろうが」
「そばにいられる状態じゃなかったの。治療費もかかるし働けない状態で、おじいちゃんたちもママの治療費でカツカツだったし」
「それは、そうだが……」
「そんなママを助けたくて、経営学部に入ったの。お金があれば、一緒に暮らせるから。パパが言う下品な踊りも、そのためよ」
「だからって、それは関係ないだろ。稼ぎたいなら勝手に稼いで、あいつのとこ行けよ。俺を巻き込むな」
「は? ママを追い込んだ相手を、私が許すと思ってるの?」

「じゃあ、まさかお前――」
「ママの分まで、最初から稼いでやろうと思ってたんだよ。ゆかさんには悪いけど利用させてもらった。あんたが再婚して何もしないとは、思えなかったからね」
「このクソガキ。父親に対してこんなことして許されると思ってんのか」
「クソガキに土下座をさせてたのは、どこの誰だっけ?」
「あ、俺はお前なんていなくても自力でこのくらいはできたんだよ」
「無理だから。そんな頭があったら、最初からこんなバカなことはしてない。ゆかさんを利用して、私を利用して。全部他人の力じゃん」
「この……!」
「どうしたの、パパ? 下品な踊りを踊ってる恥ずかしい娘に頼ってたんでしょ。恥ずかしいのはどっちだよ、って話。やってることがエグすぎるんだよ」
「……2度とその汚いツラを見せんな」

10分後。

「ゆうか、お前これ知ってたんだろ?」
「SNSの炎上? そりゃそうよ。私とのLINEも晒されてるんだから」
「何勝手に言ってくれてんだ。このままじゃ俺は破滅だぞ」
「ねえ大地。あなたに学費を使われた日、みゆちゃんが私に何て言ったか分かる?」
「知るか、そんなこと」
「あの子、『私に時間を1年ください』って言ってきたのよ」
「は? 1年?」
「LINEではふざけた感じだったけどね。家に帰ってきてすぐに土下座して頼んできたの」
「土下座? あのみゆが? 何の冗談だよ」
「ね。私もそう思ったわ。いつも笑ってて表向きは明るいみゆちゃんが、真剣な顔で言うの。『取られた300万は取り返します。それ以上のものも差し上げますから、力を貸してください』って」
「ちょっと待て。300万を取り返す以上のもの? どっから出てくるんだ、そんなもん」
「もちろん、あなたからよ」
「俺から?」
「まず最初に言ってきたのは、あの300万は私のものだってこと。それを返還請求します、って」
「それは言ってたな」
「1年間、私は繰り返し返還を求めたわね」
「それが何だって言うんだよ」
「知っててあなたは拒否してきた。悪意ある占有と判断して、延滞金も請求しますね」
「はあ? 延滞金?」
「加えて慰謝料300万」
「ふざけんな。そんなの相場以上だろ。不当請求だ」
「何のために1年間、籍を入れたままにしてたと思ってるの?」
「それはお前が俺に未練があったからだろ」
「あら、やだ。気持ち悪。1年間、私は一度も不倫を認めてないわよね」
「なんか言ってたな。認めてないって」
「それを知っていながら、1年間あなたは不倫を続けたでしょう。相場以上の金額になる理由はそれよ」
「じゃあ、離婚しなかったのは……」
「パパならどうせ払わないし不倫もやめない。だったら、そっちの方がお得だって。みゆが見抜いてたのよ」
「あのガキ……」
「あと、婚姻関係を続けた理由がもう一つ」
「まだあるのかよ。勘弁してくれ」
「別居中も、収入の多い方が婚姻費用を払う義務があります」
「収入の多い方って、俺か」
「お店、随分と繁盛してたみたいね。あなたの収入なら1年分で150万だそうよ」
「だからって」
「全て合わせて、770万の請求になります」
「770万……そんなの無理だ。水希のヤツが散財してたし、店を売ってやっと……」
「お店、譲ってくれない?」
「え?」
「お店の権利を770万で売るか、お店を維持して借金を抱えるか。あなたの選べる道は二つに一つです」
「なんだよ、これ。どうなってんだよ、これは」
「お店の評価、かなり落ちてるんでしょ? 炎上したばかりだものね」
「あの炎上も、これを狙ってたのか」
「ストーリー性が重要らしいわね」
「それ、みゆが言ってた……」
「盗まれたお金とレシピを取り返して、お店を手に入れる。オーナーが正しい人になる。評価は逆転するって、みゆちゃんはそう言ってたわ」
「1年前から、こうなることが決まってたのか。俺がお前を裏切ったからか」
「違うわよ。みゆちゃんの実のお母さん、前の奥さんを捨てた。5年前から決まってたのよ。その時に、娘に捨てられたのよ。あなたは」

1ヶ月後。

「ゆかさん、お店の準備は順調?」
「ええ、みゆちゃんのおかげでね。SNSでも随分と応援されてるのよ」
「知ってる。悪い評価は全部パパが持ってっちゃったからね」
「みゆちゃん。これは聞きたくないと思うんだけど……大地のこと」
「うん。パパ、どうしたの?」
「お店を私に渡した後、貯金もなかったみたい。不倫相手の水希さんと一緒に、借金生活らしいわ」
「ざまあ」
「そう言うと思った」
「そっちはどう? お母様とは?」
「ママ、最近ようやく退院できてさ。一緒に暮らすことになったみたいな」
「そうなの? 良かったじゃない」
「おじいちゃんにも……ママのお父さんにも、すごく謝られちゃった」
「どうして?」
「『孫が苦しんでるのに助けられなかった』って。祖母の治療費があって、それどころじゃなかったのにね。私から頼まなかったのも悪いんだけど」
「一番悪いのはパパじゃん。それでも力になりたかったのよ。それが不可解な大人心ってやつ」
「でもまあ、みゆちゃんの収益は大成功ね」
「良かったけど……うーん」
「どうしたの?」
「ゆかさん、マジでごめんね」
「え? 何が?」
「利用しちゃったし、迷惑かけちゃったし。なんか私の都合で振り回してさ。マジでごめん。私って——」
「みゆちゃん」
「……私、3年だけだったけど、あなたの母親だったわよね」
「あ、うん。あなたも、3年だけは私の娘だったでしょ?」
「それはそうだけど」
「なら、迷惑かけたとか巻き込んだとか、全部どうでもいいよ」
「え、でも」
「みゆちゃんはお母さんと暮らせるようになって、幸せ?」
「それは……うん。幸せ。パパとのこともケリがついて、すっきりしたし」
「それで十分よ。こんなのでも母親だったんだから。娘が幸せなら、それでいいの」
「ゆかさんって、そういう性格してるよね」
「え、本当? どこが?」
「そういうところ」
「どういうとこ?」
「うん。なんでもない」
「あ、そうそう。私、1年の時間をみゆちゃんにあげたでしょ? 急に」
「うん。そうだけど」
「じゃあ次は、みゆちゃんの1年を、私にもらっていい?」
「え、マジ?」
「あと1年だけでいいから。仲良くなる時間が欲しいの。母親としてなんてわがままは言わない。だからお願い」
「ずるいよ。それって——」
「ぶっちゃけると、ゆかさんって私のこと苦手でしょ?」
「……そんなことないよ」
「絶対ある。たまに何言ってるか分かんないし、グイグイ来る感じも苦手でしょ。私、こう見えて繊細なタイプだから」
「……そうね。たまに何言ってるか分かんないし、グイグイ来る感じはちょっと苦手よ。私、こう見えて慎重な性格だから」
「なのに仲良くなりたいの?」
「私は料理人だから。食わず嫌いはしないようにしてるの」
「何それ」
「今度さ、うちに遊びに来てよ。ママに紹介したいの」
「私を、もう一人のお母さんだよって?」
「ダメ?」
「ずるいのはそっちでしょ」
「え? 何が?」
「行くわ、絶対」
「そっか。ありがとう。これからもよろしくね、みゆちゃん」

その後、大地と水希さんは店を失ってから、絵に描いたような転落人生を送った。店が繁盛していることに浮かれて贅沢にお金を使っていたようで、裏では借金まで作っていたのだという。300万の返還に一切応じなかったのも、そういう事情があったらしい。SNSで盛大に炎上したこともあって、知らない人から後ろ指を差される日々。しかも多額の借金まで背負い、喧嘩の耐えない生活なのだとか。それでも離れられないのは、離れたら余計に生活が苦しくなるからだろう。最後まで情の感情だけで動いて、寂しい人たちだなと感じる。

私はといえば、無事にレストランを開店し、売上も順調。両親に借りたみゆちゃんの学費300万も、すでに返済済み。元々資産価値で770万以上あったお店だったから、私は大きく得をした形になる。SNSでみゆちゃんが宣伝してくれて、バイトとして働いてくれてもいる。今ではうちの看板娘として大人気。フォロワーさんが会いに来たり、みゆちゃん目当ての常連さんができたり。みゆちゃんの店なんて言われないよう、私も日々一生懸命だ。

みゆちゃんのお母様は、最近は体調が上向いているらしい。娘と一緒に暮らせること。それが何よりも力になっているのかもしれない。

私はもうみゆちゃんの母親じゃない。血のつながりもなく、大地とも離婚して他人になった。それでも、みゆちゃんがお母さんと呼んでくれるなら、私はいつまでもあの子の母親の一人として生きていきたいと思っている。

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