「手術が失敗して死ぬなんてことは勘弁してくれよ」—…

「手術が失敗して死ぬなんてことは勘弁してくれよ」—...

突然、胸に激しい痛みが走ったのは、何の前触れもない昼下がりだった。救急車で運ばれ、検査を受けた結果、医師から告げられたのは「急性心筋梗塞」という言葉。そして、明後日にはバイパス手術を受けなければ命に関わると言われた。

病院のベッドの上で、私は最初に長男の裕二に電話をした。彼に「手術を受けることになった」と伝えると、電話の向こうの声は明らかに困惑していた。

「仕事が忙しくて、手術の日は行けない。今だってカツカツで、休んだら生活が成り立たないんだ」

「大人なんだからしっかりしてくれよ。俺だけじゃなくて、勝彦がいるだろう」

「母さんのことまで考える余裕はない。俺は国子のことだって守らないといけないし」

その言葉に、私は返す言葉を失った。手術が失敗すれば、これが最後の会話になるかもしれないのに。それでも、彼の生活が大変なのは分かっているから、これ以上は何も言えなかった。

「分かった。無理しないでね」

電話を切った後、今度は次男の勝彦に連絡をした。すると、彼は全く違う反応だった。

「今から病院に行くから、住所を送ってくれ。仕事は休むって伝えるから大丈夫だよ。俺は有給もたくさん残ってるし、手術の日も必ず行くからね」

その言葉に、私は思わず涙が溢れた。夫を亡くしてから、病院という場所がどれほど怖いか。それを理解してくれているのは、彼だけだった。

「実は裕二にも連絡をしたんだけど、忙しいから来られないって言われちゃって」

「ありえないだろ。俺たちがどれだけ親に世話になったと思ってるんだ。一大事に仕事を優先するなんて」

「やめて。もう私は納得してることだから。私のことなんかで裕二を不幸にしたくないの」

勝彦は納得していない様子だったが、「何か裏があるに決まってる」と言いながらも、病院に来てくれることになった。

その翌日、思いがけない電話がかかってきた。裕二の妻、国子からだった。彼女は普段ほとんど連絡をしてこないのに、今日はなぜか明るい声だった。

「明日からハワイ旅行に行くんで、何かお土産とか欲しいのありませんか? 気が向いたら買ってこようと思ってるんで」

「ハワイ旅行? 仕事じゃないの? 」

「仕事なんてしてたらハワイに行けませんって。変なことを言わないでください」

私はそこで初めて、裕二が嘘をついていたことを知った。彼は「仕事だから」と言って手術の日に来ないと言ったのに、実際はハワイ旅行に行くつもりだったのだ。

「私は裕二から仕事だって言われてたの。手術をするのに、お見舞いに来て欲しいと言ったら仕事だから無理だと断られたのよ」

「へえ、そんなことがあったんですね。でも断って普通だと思いますよ。どうしてわざわざ私たちがお見舞いになんて行かないといけないんですか?

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お母さんが手術しようが、うちらに関係ないんで」

「そんな言い方、ひどいわ。血のつながりもないんだから当然でしょう? うちの両親が手術するんだったら、当然旅行なんて全部キャンセルしますけど」

「あなただったらしませんよ。そう。分かっていただけて本当に嬉しいです。じゃあお土産はどうしましょうかね? 買ってきてもお母さんがあの世にいるんじゃ渡せないんで、なしでいいですか? 」

その言葉に、私は電話口で言葉を失った。自分の夫の母親が、手術の明後日に命の危機があるというのに、彼女は平気でそんなことが言えるのだ。

電話を切った後、私は裕二に電話をした。

「仕事っていうのは嘘だったのね。さっき国子さんから連絡があったのよ。ハワイに行くって言ってたわ」

「ああ、そうだよ。何か問題でもあるのか?

俺が行かないことがそんなに悪いことか」

「どうして嘘なんてつくのよ」

「ハワイ旅行に行くって言ったら、どうせあんたぐちぐち言ってくるだろう。俺たちがこの日をどれだけ楽しみにしてたか。変なタイミングで病気になんてなりやがって、もっと俺たちのことを考えてくれよな」

「私だってなりたくてなったわけじゃないわよ」

「うるせえなあ。頼むから手術が失敗して死ぬなんてことは勘弁してくれよ。そうなると、いよいよ日本に帰国しないといけなくなるだろう」

「どうしてそんなひどいことを言うの? 私のことは何にも心配してくれないわけ? 」

「俺たちは自分のことだけで精一杯なんだよ。あんたがどうなろうと知ったこっちゃないんだ」

「それがあなたの本音なのね」

「そうだ。俺は父さんには色々と感謝してるが、別にあんたには何の感謝もしてないから。俺たちの生活を支えてくれたのは父さんだよ」

「もういいわ。これ以上何も聞きたくない」

「そうかよ。それじゃあな」

その電話で、私は彼に対する最後の期待を捨てた。

手術は無事に成功した。一ヶ月の入院を経て、私は少しずつ回復していった。そんなある日、裕二から久しぶりに電話がかかってきた。しかし、それは私の回復を喜ぶためのものではなかった。

「仕送りを止めたな」

「そうね。それがどうかしたの? 」

「俺が父さんから毎月もらっていた仕送りをあんたが止めたんだな。塩りは俺と父さんとの間でやってたことだぞ。それをなんで止めたりするんだよ」

「それはもちろん知ってるわ。でもお父さんはもう天国に行っちゃったの」

「だとしても、仕送りは続けるようにって言われたんだろ。俺たちが困ってるなら助けてあげてくれってさ。どうしてそんな父さんの思いを踏みにじるようなことをするんだよ」

「よくそんなことがあんたに言えるわね。まず最初に伝えておくけど、仕送りをしていたのは私よ」

「は?

何を言ってるんだよ」

「父さんのお金を送ってるって思ってるみたいだけど、それは大きな間違いだから。私が自分で働いてそのお金を仕送りに使ってるの。あなたの生活が大変だと言うからね」

「母さんが父さんの遺産じゃなくて、自分の稼ぎで? 」

「違うわ。そんなことは私にはできなかったから。父さんの遺産はあなたたち兄弟で分けるべきものよ。それなのにあなただけがもらってるのは不公平でしょ。でもあなたは生活が大変だからと言ってたから、代わりに私が仕事をして仕送りをしていたのよ」

「そんなことをしてたのか」

「そうよ。父さんの資産や保険金とかは一切手をつけてないわ。私が受け取ってはいるけど、できるだけ多くあなたたちに渡してあげたいと思っていたから」

「だとしても、なんで仕送りをくれないんだよ。嫌がらせみたいな真似はするなって」

「嫌がらせなんて私はしてるつもりはないわ」

「じゃあなんで仕送りを止めた? 俺が見舞に行かなかったことを怒ってるからだろ」

「違うわよ。もうあなたには必要ないと思ったからよ」

「はあ? どこが生活に困ってるから仕送りをしていたのよ。それなのにどうしてハワイになんて行けるの?

ハワイ旅行はすごくお金がかかることでしょ。どうしてそんなことが可能なのか教えてよ」

「いや、それは少ない額をちょっとずつ貯金して、それでハワイに行っただけだろ。俺たちはそんなこともすることはダめなのか」

「貯金ができてるってことは、余裕があるってことじゃない」

「そんな揚げ足を取るなよ」

「揚げ足じゃないわ。あなたがそう言ったのよ。ハワイに行けるくらいの貯金が作れるんでしょ。だったら私の仕送りなんて不要じゃない」

「マジかよ」

「これからは仕送りなしで生活をしていきなさい」

「待ってくれよ。ハワイ旅行に思ったよりも金がかかったんだ。当初予定していた予算を大幅にオーバーしちゃって、今の稼ぎじゃ到底払えないんだよ」

「そんなの知らないわ。自分たちで何とかしなさい」

「俺たちを見捨てるのか? 」

「私たちはもう赤の他人だって国子さんが言ってたわよ。『他人の私がどうなろうと知ったこっちゃない』ってね」

「俺は違うよ」

「じゃあなんで私のことを騙したの? 最初からハワイ旅行だって言わずに騙そうとしたのはなんで? 私のことなんて騙してもいいくらいの、どうでもいい存在だって思ってたからじゃないの?

「考えすぎだって」

「とてもそうとは思えないわ。あなたの行動は血のつながった息子のやることじゃない。だから私はあなたのことを他人だって思うようにしたから。他人に仕送りなんてする必要はないわ。それじゃさようなら」

そう言って、私は電話を切った。

三十数分後、勝彦から電話がかかってきた。

「裕二が金の無心でもするつもり? 十分騙しとったからもういいだろ」

「母さんから聞いたのか? 」

「ああ、手術が終わった後にね。俺はそれまであんたが仕送りをもらってることすら知らなかったよ」

「おかしいと思ったんだよ。父さんが亡くなってから母さんがパートをし出してさ。生活に困ってるのなら俺が面倒を見ようかって言ってもごまかされてたから、何かあるなとは思ってたけど、まさかあんたのためだったなんて」

「いや、それはちょっと生活に困ってて」

「それは別にしょうがないと思うよ。でも、そこまで面倒見てくれた人が命の危機だって言うのに、よくハワイ旅行なんて行けるよな」

「どうしてもハワイだけは行きたかったんだよ。本当に楽しみにしてたんだ」

「ハワイなんて、その気になれば後からでも行けるだろう。でも母さんとはもう会えないかもしれなかったんだぞ。それなのになんで旅行の方を選べるんだよ。あんた、どうかしてるぞ」

「いくらかかってると思う? 今回の旅行のために俺がどれだけ金を使ったか。それなのになしになんてできるわけないだろう」

「これだって母さんの金だろ。そんなもんが言い訳になるか。それに金と母さんの命で、なんで金を選べるんだよ。あんたはその程度にしか母さんのことを思ってなかったってことだろ。親を大切にできないやつなんて、俺は家族だとは認めないからな」

「ちょっと待ってくれ。母さんともう一度だけ連絡をさせて欲しいんだ。全部素直に話ができてないんだよ。俺の気持ちをもう一度だけ伝えさせてほしい」

「そんなことする必要はない。あんたがいくら口でいいように言っても、あんたの行動が家族をどう思ってるかを物語ってるんだ。そんなやつの手助けなんて俺はしない。2度と実家にも近づくんじゃないぞ。もしそんなことをしたら、俺があんたを力づくで追い出してやるからな」

翌日、今度は国子から電話がかかってきた。

「どうしてこんなことをするのよ。そっか。あなたもブロックしておかないとダメだったわね」

「ふざけるな。逃げるんじゃない」

「別に逃げてないわ。どうせお金のことでしょ。そんなことに付き合うのは面倒なだけよ。何を言われてもこっちの気持ちは変わらないからね」

「別に仕送りの件はどうでもいいのよ」

「じゃあ何?

あんた、うちの両親に余計なことを吹き込んだでしょ」

「ああ、そういうことね。昨日、お土産を渡そうと連絡したら、『もう2度とうちの敷居をまたぐな』ってぶち切られたのよ」

「確かに2人ともすごく怒ってたからね。あなた、告げ口なんて最低な真似よ」

「さすがに私だってそんなことまでしてないわ」

「じゃあなんでよ」

「手術の前日に、あなたのお母さんから連絡が来たの。うちの顔合わせで会って以来、とても仲良くなってね。ちょくちょく連絡を取っていたのよ。その時に手術をするって言ったら、わざわざ当日に夫婦でお見舞いに来てくれたの。その時にあなたたちがいないことを知って、勝彦に詳しい話を聞いたんだって。それを聞いて2人ともすごく怒っててね。手術が終わってから直接謝罪もされたわ。それで私が縁を切られたの」

「あら、そうなの? お父さんがそう言ってるって」

「しょうがないわね。お父さんの判断だから従った方がいいんじゃない? 」

「ちょっと待ってよ。どうして私がこんな目に会うのよ」

「家族を大切にできないからじゃない。あんたなんて他人よ。そうでもそんなことをしてるから、本当の家族からも縁を切られるのよ」

「ふざけるな」

「私に怒られても困るわ。話をするのなら、直接島田さんたちにした方がいいわね。まあでも、聞いてくれるとは思わないけどね」

「これからどうしたらいいのよ。裕二が金に困ってても、私はいざとなったら離婚して実家に帰れば済むと思ってたのに」

「あなたって本当に色々な人と縁を切るわね。それってあんまりいい趣味とは思わないわよ」

「趣味なわけないでしょ」

「うん。まあ、どちらにしてもあなたがどうなろうと私は知ったこっちゃないわ。もう私たちは赤の他人だから、連絡はできないようにするからね」

「待ちなさいよ。仕送りの話をしましょうよ」

「いやよ。他人のあなたに話すことなんて何もないわ」

二週間後、また裕二から電話がかかってきた。

「また送ってくれるのか? 」

「違うわよ。誰がそんなことをするもんですか」

「じゃあなんだよ」

「今まで仕送りで送ってたお金を返還してもらおうと思って」

「は?

何を言ってんだよ。返還だと」

「そうよ。きっちり全額返してもらうわ」

「ふざけるな。そんなもん返すか。あれはあんたたちが俺にくれたもんだろうが。それを返せなんて意味が分からねえんだよ」

「これは弁護士さんとも相談して決めたことよ。あなたの家に内容証明郵便で請求書を送らせてもらったわ。ちゃんと返還をよろしくね」

「なんでだよ。そんなこと許されるわけがあるか。裁判でも何でもしてやるからな」

「そう。でもあなたは負けると思うわよ」

「なんでだよ」

「だってあなた、私たちを騙して送りを受け取ってたでしょ」

「何を言ってるんだ? 」

「ハワイ旅行に行ってたじゃない」

「だからあれは時間をかけて貯金をしたんだ」

「でも国子さんがおかしなことを言ってたわ。『こないだ行ってきたから、今回はオワフに行ってみようと思う』って。なんだかハワイによく行ってる人みたいな口ぶりよ」

「それは見えを張ったんだよ」

「そう。実はあなたたちのSNSを見つけさせてもらったわ。夫婦でアカウントを持ってるのね」

「嘘だろ? なんでだよ」

「私はこういう今時なのは知らないんだけど、勝彦が見つけてくれたのよ。そうしたら、あなたたちかなり羽振りのいい暮らしをしてるわね。高そうなブランド物を買ったり、2人で高級レストランに行ったって自慢してたわよね」

「あんなの普通に働いてるだけじゃ無理よ。私たちのお金をこんな無駄なことに使うなんて。これで『生活に困ってる』って父さんに泣きついたのも嘘だったってことが証明されたわ」

「だから返せってことか」

「そうよ。私たちはあなたたちの生活のために仕送りをしていたの。無駄遣いをさせるためじゃないわ」

「昔のことだろ。ぐちぐち言うなよ。親子なんだから金をくれるくらい普通だ。それを返せなんて常識のないことを言うなよ」

「私は自分が騙されてただけなら何も思わなかった。でもあなたは父さんのことも騙したわ。父さんは病気で入院してる時もずっとあなたのことを心配していた。私にもあなたのことを守ってやってくれってお願いをしてきたの。なのにそれが全て嘘だった。父さんは騙されたまま天国に行ったのよ。こんなことをされたら、私だって黙ってはおけないわ。2度とあなたとは関わりたくなかったけど、やったことの責任だけは取らせるから」

「ちょっと待ってくれ。金はもう払えないって。今までの仕送り金額ってとんでもない額だぞ」

「そうよ。あんたはそれを騙し取ってたの。俺たちの生活がどうなってもいいのか?

「他人がどうなろうと知ったこっちゃないわ」

「頼むよ。一度話だけでもさせてくれ」

「やめてよ。何かあるのなら弁護士にして。お願いだからだるい連絡はしてこないでね。私はこの救われた命を大切に、この先の人生を満喫するつもりだから」

私は全ての連絡手段を断ち、彼と関わることを完全にやめた。その後、友人に相談し、今までの仕送り全額の返還を請求した。

そのせいで、裕二の生活は経済的に行き詰まったらしい。こんな時こそ私たちを頼りにすればよかったのに、もう私たちはいなかった。彼が頼れるのは消費者金融だけだった。結果、今は多額の利息を返済するために、昼夜問わず働いているとのこと。もし今「お見舞いも来られない」と言われても、私は仕方ないと思うだろう。

ちなみに国子は、借金だらけの裕二と離婚して、1人で生活を始めたみたいだ。ただ借金がないだけで、生活は苦しいようで、近所の喫茶店のパンケーキをいつも眺めることしかできないと聞いている。

一方の私は、無事に退院して元気に生活をしている。一度死に直面したことで、人生観が大きく変わった。夫を亡くしてずっと後ろ向きになっていたけれど、命があるのなら、たくさんの思い出を作りたいと思うようになった。いつか天国に行って、夫にたくさんの土産話をしてあげたいと思っている。