明日は、二十年間、男手一つで育ててきた娘の結婚式だ。
そんな前夜、娘から電話がかかってきた。
「明日の結婚式には来ないでよ。汚い作業服なんて着てる人が父親だなんて、知られたくないの」
その一言で、俺の二十年間のすべてが否定された気がした。
俺の名前は上俊介。五十歳。自動車整備士として約三十年間、会社で働いてきた。この年になると新人を教えることも多く、人を育てる大変さを日々感じている。それでも仲間に恵まれ、毎日仕事に行くのが楽しかった。
俺には千春という娘がいる。千春が生まれたのは、俺が二十八歳の時だ。
二十六歳で結婚した妻は、友人の紹介で出会った。美人で性格も良く、俺にとっては自慢の妻だった。パッとしない自分が彼女と付き合えるだけでも奇跡だと思っていた。順調に交際を続け、プロポーズも笑顔で受けてもらえた。
しかし、結婚生活はうまくいかなかった。しばらく経つと、妻の態度は冷たくなっていった。何か怒らせたのかと聞いても、何も答えてくれない。いつの間にか、俺たち夫婦は上辺だけの関係になっていた。
そんな中、千春の妊娠が分かった。子供が好きだった俺は本当に嬉しく、久しぶりに妻の顔をじっくり見て感謝を伝えた。もしかしたら、子供が生まれれば関係も良くなるかもしれない。そう願って、妊娠中の妻をできる限り支えた。
千春が無事に生まれた時は、嬉しさのあまり涙が溢れた。仕事で大変なことがあっても、千春の顔を見れば癒された。だが、妻との関係は娘が生まれても変わらなかった。お互い必要最低限の話しかしない。それでも俺は、いつか変わるかもと希望を持ち続け、家族のために働いた。
千春が二歳の時、妻が事故で亡くなった。突然の知らせに病院へ駆け付けたが、妻はすでに息を引き取っていた。
俺は幼い千春を力いっぱい抱きしめ、妻の分まで愛情を注ぎ、しっかり育てようと誓った。頼れる親戚もおらず、二人きりの生活が始まった。会社の人たちは気を遣ってくれ、娘を保育園に通わせながらなんとか仕事を続けられた。
千春が小学校に入ると、自分に母親がいないことを気にするようになった。小学生にも分かるように、事故でこの世にいないことを伝えると、娘は悲しそうにしながらも「パパがいるから大丈夫」と言ってくれた。
俺は残業を減らし、二人の時間を大切にした。料理も覚え、手作りのご飯を食べさせた。休日には遠出をして、たくさんの思い出を作った。学校行事にも必ず参加し、千春の頑張る姿をビデオカメラに収めた。体が限界だと感じることもあったが、俺には千春しかいないと自分を奮い立たせて頑張ってきた。
中学生になると反抗期もあり苦労した。千春の気持ちが分からず悩むこともあった。それでもなんとか乗り越え、千春は無事に高校を卒業し、希望の大学に入学した。大学生になると手がかからなくなり、少し寂しく感じることもあったが、娘の成長をそばで見られることが幸せだった。
大学四年生になり、千春は無事に就職も決めた。その頃にはほとんど学校に行かなくなり、毎日のように友達と遊んでいた。家に帰ってくることも減り、一人で夕飯を食べる日が増えていった。
そんなある日、仕事から帰ると珍しく娘がリビングで俺の帰りを待っていた。
「お帰り。お父さんに話があるんだけど」
「どうしたんだよ。急にかしこまって」
娘は深呼吸をして、俺の顔を見ながら言った。
「私、結婚しようと思うの」
突然の報告に、俺は言葉を失った。就職して数年後のことだと思い込んでいたからだ。
「結婚って、本当か? いくらなんでも早くないか?」
祝福の言葉より、心配の気持ちが勝ってしまった。
「私も二十二歳よ。この年で結婚してる人も多いの」
「そう、そうか。でも就職のこともあるし、心配で」
俺がそう言うと、娘はあっけらかんとした声で衝撃的なことを言った。
「ああ、彼の希望で専業主婦になるの。内定ももう断ったわ」
驚いて固まっていると、娘は相手のことを話し出した。五歳年上の会社員で、一年前から交際している。彼は父親の会社で働いており、将来は社長になるらしい。
「彼は将来有望だし、何も心配はいらないわ。だから安心して」
そう自信満々に言われても、すぐに納得できるわけがない。せっかく内定をもらったのだから、就職して頑張る楽しさを知ってほしかった。だが、娘の意志は固く、何を言っても響いていないようだった。
娘が決めたのなら仕方がない。千春が幸せになるのなら、応援するしかないと悟った。
「なら、せめて相手の人に合わせてほしい」
そう伝えると、娘の顔は少し曇った。
「どうやら彼も彼の両親も、忙しくて時間が取れないみたいなの」
「いつになってもいいから、合わせてほしい」
そう言って、俺も引かなかった。
しかし、何度予定を合わせても、直前にドタキャンされる。ようやく会えると思っても、仕事が入ったと言われる。
「普通、相手の両親には挨拶に来るだろう。一時間でも時間は作れないのか?」
俺が強く言うと、娘はめんどくさそうに答えた。
「だから言ってるでしょ。彼は忙しいの」
「じゃあ、どんなに仕事が忙しくても、世の中、相手の親に会うために時間を作ってる人がほとんどなんだぞ」
俺がそう言っても、娘は睨みながら冷たい言葉を浴びせてきた。
「そんな仕事のお父さんじゃ分からないよ。彼は時期社長なの。暇なお父さんに合わせる時間なんてないの」
娘に仕事を馬鹿にされ、さすがに腹が立った。確かに俺はただの社員だ。時期社長の忙しさは分からないかもしれない。だが、そんな風に俺の仕事を馬鹿にされるのは許せなかった。娘が今までそんなことを言ったことはなかった。その態度に違和感を覚えたが、それ以上に、どうしてそこまでして俺と婚約者を合わせたくないのか不思議でならなかった。
結局、婚約者に会えないまま、結婚式の日は近づいてきた。
最初は腹が立っていたが、ここまで来たら認めるしかない。娘が決めた人なのだから、きっと大丈夫だろう。親なら全てを受け止めて、娘の幸せを願おう。そう自分に言い聞かせた。
そして、結婚式前日。
式の準備で忙しいからと、娘にもなかなか会えず、本当に明日結婚するのか実感が湧かなかった。それでも、娘のウェディングドレス姿を想像するだけで胸が熱くなり、涙がこぼれそうになった。家を見渡して、娘との日々を思い出しながら、一つ一つの思い出を噛みしめていた。
そんな時、娘から電話がかかってきた。きっと明日のことだろうと思い、ワクワクした気持ちで電話に出る。しかし、電話越しに聞こえてきた言葉は、想像もしていないものだった。
「明日の結婚式には来ないでよ」
「何を言ってるんだ?」
「だから、汚い作業服なんて着てる人が父親だなんて知られたくないの。そんな人に今までずっと育てられたなんて、恥ずかしい」
娘は俺を馬鹿にするように笑いながら、そう言い放った。今までずっとそう思って生きてきたという。俺はショックで言葉を失った。
娘は俺が何も言わないことをいいことに、悪口を好き放題言った。
「そんな汚い作業服の人に育てられて、うざかった。最初からあんたを彼に合わせるつもりなんてなかったわ」
俺が幸せだと感じていた日々は、娘にとっては最悪の思い出だったようだ。娘の言葉を聞いて、最初はショックだったが、だんだんと腹が立ってきた。どうしてこんなことを言われないといけないのか。耐えながら話を聞いていると、娘は最後にこう言った。
「あんたみたいな人が、私の父親なんて考えられない」
その言葉を聞いて、俺はある決心をした。そして、深呼吸をして口を開いた。
「そうだな。俺はお前の父親じゃないしな。お前の望み通り、もう一切関わらないから」
それだけ言うと、娘の反応も聞かずに電話を切った。
次の日。俺は家でくつろいでいた。娘の結婚式で仕事は休みを取っていたため、やることもなくぼーっとしていた。やることがないと、どうしても娘のことを考えてしまう。娘の言葉を思い出し、今までの苦労は無駄だったのかと虚しくなった。
そんな時、娘から電話がかかってきた。今更何だと思い、無視していたが、何度もかかってくる。このまま放置するのも困ると思い、電話に出ることにした。
「今更、何の用だ?」
俺がそう言うと、電話の向こうで娘は声を荒げた。
「ちょっと、何の嫌がらせ? 汚い作業服の変な人が、私の父親とか名乗って式に乗り込んできたんだけど!」
「良かったじゃないか。本当の父親に会えて。その人が千春の父親だよ」
娘は驚いて言葉を失っていた。
実は、俺は千春の本当の父親ではない。血の繋がりはないのだ。
妻が亡くなった後、自宅で遺品を整理していると、親密そうに並ぶ妻と知らない男性との写真を見つけてしまった。そのまま遺産整理を続けると、妻の不倫の証拠が次々と出てきた。携帯を確認すると、結婚してすぐから二人の関係が続いていたことが発覚した。
怒りと悲しみと同時に、ある疑問が生まれた。千春のことだ。携帯の証拠から、二人が頻繁に会っていたことが分かったため、千春の父親が不倫相手という可能性もあり得る。すぐにDNA鑑定をした。心の底から千春の父親であることを願ったが、結果は俺の最悪の予想通り。千春の実の父は、不倫相手だった。
妻を失ったショックと、千春が自分の子ではなかったショックが同時に襲ってきた。どうしたらいいのか分からず、相談する人もいなかった。俺はすぐに相手の男を探した。すると、相手は仕事もしていないニートで、何人も彼女がいて、その人たちのお金で生きていることが分かった。
千春を本当の父親に託すことも考えたが、そんな姿を見て、俺が育てると決意した。
自分の子供ではないと知りながら育てるのは、辛いこともあった。千春を見るたびに、妻と相手の男の顔が浮かんだこともある。それでも「千春は自分の娘だ」と言い聞かせて頑張ってきた。
その日々を否定してきたのは、千春の方だ。
俺が全ての真実を話すと、千春は驚いていた。
「千春が望んだことだろう。勝手にしてくれ」
俺は冷たく言い放ち、電話を切ろうとした。すると、千春が急に慌て出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。今更そんなこと言われても困るわ。なんとかしてよ」
「今更、俺が嫌だったなんて言い出したのは、千春だろ。千春の望み通り、俺はもう父親をやめたんだ」
「このままだと結婚がなくなるの。お父さんが来ないだけで、婚約破棄するとか言われて、私も困ってるのよ」
そんな娘に、俺はもう一つ教えてあげた。
「彼と彼のお父さんに、よろしく伝えておいてくれ」
実は、俺は千春の婚約者とその父親と面識があった。彼の会社の車の整備を任されていたのだ。技術を認められ、ずっと俺を指名してくれており、よく話す仲だった。
そんな時、社長から「息子が結婚する」と写真を見せられた。そこに、千春が映っていたのだ。知ったのは最近だったため、結婚式当日に千春を驚かせようと黙っていた。
新たな事実を聞かされ、黙り込んでしまった千春に別れを告げて、俺はそのまま電話を切った。
あれから、結婚式は中止になり、千春は婚約破棄されたようだ。「育ての親を侮辱するような人は妻にできない」と、彼も彼の親も相当腹を立てたそうだ。千春は家もなくなり、困っているようだ。一度助けてほしいと連絡が来たが、「もう父親じゃないから」と冷たく突き放した。せっかくの内定も辞退したため仕事もない。大学卒業から少し期間も空いているため、そんな彼女を雇ってくれる企業はあまりないだろう。
そして、千春は実の父親にも困っているようだ。俺があの日の父親に連絡し、結婚式に参加させたことで、実の父は千春の存在を知ってしまった。今まで女のお金で生きてきた彼は働く気もなく、千春に突きまとっては金を要求してくるそうだ。
血の繋がった親子同士、頑張っていけばいい。
亡くなった妻にも裏切られ、長年育てた千春にもひどい扱いをされ、俺の人生は散々だと感じてしまう。それでも、これからは自分のために生きようと思う。今まで苦労した分、幸せに生きていこう。



