10年前、教室で学年一の美女に平手で打たれ、肥満と笑われた惨めな少年がいた。床に散らばった弁当のおかずと、響き渡る嘲笑。誰も助けてはくれなかった。あの日から僕は、ただ強くなることだけを考えて生きてきた。そして、10年後の同窓会。勝ち誇った笑みを浮かべる彼女の隣で、僕は静かに立ち上がった。「覚えているか?10年前、お前が俺にしたことを」彼女の顔色が変わる。会場が静まり返る中、僕の口からは想像も…

10年前、教室で学年一の美女に平手で打たれ、肥満と笑われた惨めな少年がいた。床に散らばった弁当のおかずと、響き渡る嘲笑。誰も助けてはくれなかった。あの日から僕は、ただ強くなることだけを考えて生きてきた。そして、10年後の同窓会。勝ち誇った笑みを浮かべる彼女の隣で、僕は静かに立ち上がった。「覚えているか?10年前、お前が俺にしたことを」彼女の顔色が変わる。会場が静まり返る中、僕の口からは想像も...

パシン。乾いた音が放課後の教室に響いた。体育を終えたばかりの相沢連は、汗を拭きながら自分の席へ戻ろうとしただけだった。その頬を、学年一の美少女・立花麗華が平手で打ったのだ。「汗臭いのよ、この肥満。近寄らないでくれる?」

床に膝をついた連を見下ろし、麗華とその取り巻きたちが声をあげて笑った。連は何も言い返せなかった。ただ熱を持った頬を押さえ、唇を噛むことしかできなかった。

それから10年。初代ホテルの宴会場で開かれた中学の同窓会。かつて学校一の美女だった立花麗華は、勝ち誇った笑みを浮かべ、一人の男に体を預けるようにもたれかかった。その瞬間、また乾いた音が会場に響き渡った。男の平手が麗華の頬を打ったのだ。

「なんで…?」

「これは10年前、お前が俺にしたことだ。忘れたのか?」

絶句する麗華を、男は静かに見下ろした。引き締まった体、揺るがない眼差し。かつて「肥満」と嘲られ、この女にビンタされて泣いていた、あの惨めな少年の面影はどこにもなかった。

かつて教室の隅で俯くことしかできなかった少年は、何を胸にここまで成長したのか。10年という月日が、二人の間の全てを塗り替えていた。これは、その逆転の物語。

朝6時。連は目覚まし時計が鳴るより先に目を覚ました。年数の経ったマンションの一室は、必要なものだけが置かれた質素な部屋だった。今の連なら、もっと広い部屋にも住める。それでも、ここを離れるつもりはなかった。

連は床に手をつき、ゆっくりと腕立て伏せを始めた。引き締まった背中が朝の光の中で静かに動く。決められた回数を終えたところで、スマートフォンが短く震えた。師の黒田からだった。

「おお、起きてるか。今日だろ?連の同窓会」

「はい。さっきトレーニングを終えたところです」

「大会前でもないのに、相変わらずだな。雑誌の表紙まで飾るようになった男が、俺の集まりなんかにわざわざ顔を出すのか」

「顔を出したいわけじゃないですよ。確かめに行くだけです。あの頃の人間が、10年で何か変わったのか。それだけです」

「ふうん。昔のことを引っかき回しに行くんじゃないだろうな」

「違います。もう、泣いてた頃の俺じゃないんで」

「ならいい。胸を張って行ってこい」

「はい。ありがとうございます」

通話を切ると、連はクローゼットを開けた。派手なブランド物は一着もない。それでも、丁寧に袖を通したのは、仕立てのいい紺のジャケットと、折り目の効いた白いシャツだった。鏡の前でゆっくりと襟を正す。鍛え上げられた体が、その質素な装いを上品に着こなしていた。清潔感と真っ直ぐな瞳。誰かに媚びるためではなく、自分を立てるためだけの、静かな品がそこにはあった。

デスクの上には一通の封筒が置かれていた。同窓会の招待状である。出席者をまとめる係の欄に、見覚えのある名前があった。

立花麗華。

その名を口にした瞬間、古い記憶が鮮明に蘇ってきた。サイズの合わない制服、教室に響いた乾いた音、床に散らばった弁当のおかず。あの頃、連の世界の全ては、あの教室の中だけで完結していた。逃げ場のない、灰色の3年間。そして、もう一つ。あの灰色の日々の中で、たった一度だけ自分を庇ってくれた、一人の少女の横顔。

「みんな、あれからどうしてるかな?」

窓の外には、目覚め始めた町が広がっていた。連は冷えた水を一口飲み、静かにその日に備えた。

連の地獄が始まったのは、高校に入って間もない頃だった。立花麗華。学校一の美女と誰もが認める少女が、最初に連へ目をつけた。父親が地元で手広く事業を営む裕福な家の娘で、整った容姿と家柄を笠に着て、クラスの空気を支配していた。誰もが麗華の顔色を伺い、誰一人として逆らわなかった。

連は、ただのクラスメイトだった。運動が苦手で、少し太っていて、大人しい。目立つこともなければ、問題を起こすこともない。それなのに、なぜ麗華は連を標的にしたのか。理由はわからない。ただ、自分が一番弱そうに見えたのかもしれない。あるいは、連が何か気に食わなかったのかもしれない。

最初は無視だった。廊下ですれ違うとき、わざと体をぶつけてくる。挨拶をしても、無視される。そんな日が続いた。やがて、陰口が始まった。「デブ」「ブス」「気持ち悪い」。最初は囁くように、次第にわざと聞こえるように。連は何も言い返せなかった。言い返したら、もっと酷いことをされる。それはわかっていた。ただ、耐えることしかできなかった。

そして、あの日。体育の授業が終わり、汗を拭きながら教室に戻った連に、麗華が近づいてきた。クラスの注目が集まる中、麗華は連の前で立ち止まった。

「邪魔」

そう言うと、麗華は連の頬を平手で打った。パシンという乾いた音が教室に響いた。連は、何が起こったのかわからなかった。ただ、頬が熱を持って、目の前がチカチカした。

「汗臭いのよ。近寄らないでくれる?」

麗華は、何かを汚すように言った。そして、取り巻きたちが笑った。クラスの誰もが、連を見ていた。哀れむような、軽蔑するような、無関心な目。連は、その場に立ち尽くすことしかできなかった。頬を押さえ、唇を噛み、俯くことしかできなかった。

その日から、連の学校生活はさらに苦しいものになった。麗華の取り巻きたちは、連を「臭い」と囃し立てた。連が通るだけで、鼻を摘んで見せる者もいた。連の机には「死ね」や「消えろ」と書かれた。連の持ち物が隠されることもあった。トイレに連れ込まれ、頭から水をかけられたこともあった。

連は、誰にも相談できなかった。先生に言っても、取り合ってもらえないだろう。親に言っても、心配させるだけだ。連は、ただ黙って耐えた。毎日、学校に行くのが怖かった。朝、目が覚めると、今日もあの教室に行かなければならない。その事実が、連の心を押しつぶした。

そんな中、たった一度だけ、連を庇ってくれた人がいた。同じクラスの、藤本美咲という少女だった。美咲は、麗華の取り巻きではない、普通の女子生徒だった。ある日、連が廊下で取り巻きに囲まれて嘲られているとき、美咲が割って入ってきた。

「やめてよ。そんなことしなくてもいいでしょ」

美咲は、取り巻きたちに向かって言った。取り巻きたちは、一瞬驚いたように美咲を見たが、やがて馬鹿にしたように笑った。

「なに?あんたも連の仲間になるの?」

「別に仲間とかじゃない。ただ、やりすぎだって言ってるだけ」

美咲は、連の腕を引いて、その場から連れ出した。連は、驚きと感謝で、何も言えなかった。美咲は、校舎の裏まで連を連れて行くと、振り返った。

「大丈夫?」

その言葉に、連は涙が溢れそうになった。必死に堪えたが、一粒の涙が頬を伝った。

「…ありがとう」

連は、それだけ言うのが精一杯だった。美咲は、少し悲しそうな顔をして、「また何かあったら、言って」と言った。そして、教室へ戻って行った。

しかし、美咲のその行動が、連の状況を悪化させた。翌日から、美咲もいじめの標的になった。連に優しくしたから。美咲の机にも「死ね」と書かれた。美咲は、連の前では笑っていたが、無理をしていることはわかった。連は、自分のせいで美咲が傷ついている。その事実が、連の心をさらに重くした。

美咲に迷惑をかけたくない。連は、美咲に近づかないようにした。美咲が声をかけようとしても、連は逃げるようにその場を離れた。美咲は、困ったような顔をしていたが、連はそれでもよかった。これ以上、美咲を傷つけたくなかった。

高校を卒業するとき、連は美咲に何も言えなかった。美咲は、卒業式の後、どこかへ引っ越してしまった。連は、美咲に「ありがとう」と伝えられなかったことを、ずっと後悔していた。

高校を卒業した後、連は地元を離れた。バイトをしながら、小さな部屋で暮らし始めた。そして、何かを変えたいと思った。このまま、あの頃の自分で終わりたくない。連は、トレーニングを始めた。最初は、ただ何かに打ち込みたかっただけだ。体を動かすことで、心の痛みを忘れたかった。

トレーニングは、意外なほど連の心に響いた。毎日続けることで、少しずつ体が引き締まっていく。鏡に映る自分が、少しずつ変わっていく。それは、とても小さな変化だったけど、連にとっては大きな自信になった。もっと強くなりたい。もっと変わりたい。連の原動力は、復讐心ではなかった。ただ、あの頃のように、無力で惨めな自分を、もう二度と見たくないという想いだけだった。

やがて、連は格闘技を始めた。体を動かすことの楽しさを知り、本格的に打ち込むようになった。持ち前の根性と努力で、連はめきめきと頭角を現した。アマチュアの大会で優勝し、プロに転向。そして、数年後、連は日本で最も注目されるファイターの一人になっていた。理不尽に耐え続けた日々が、連を強くした。全ての痛みが、今の自分を作っている。そう思えるようになっていた。

そんな連のもとに、一通の封筒が届いた。中学の同窓会の招待状だった。連は、その封筒を見つめ、複雑な気持ちになった。あの学校には、二度と行きたくない。あの場所には、嫌な記憶しかない。でも、一方で、確かめたいという気持ちもあった。あの時、自分を嘲った者たちは、今、どうしているのか。自分を支配していた麗華は、今、どうしているのか。そして、美咲は。

連は、招待状を受け取ることにした。行くかどうかは、まだわからない。でも、少なくとも、封筒を開けてみようと思った。そして、連はトレーニングを続けた。同窓会の日まで、自分を高め続けようと思った。

同窓会の当日。連は、仕立てのいいジャケットに身を包み、ホテルの宴会場へと足を踏み入れた。会場には、見覚えのある顔が大勢いた。連が入ってきたとき、一瞬、会場が静まり返った。誰もが、連を見ていた。連は、気にせず、自分の席へと向かった。

しばらくすると、連の名前を呼ぶ声がした。「相沢?マジで?相沢連か?」声の主は、中学時代に同じクラスだった男だった。「すごい変わりようだな。全然わからなかったよ。雑誌で見たけど、別人だと思ってたよ」連は、軽く会釈をした。昔のように、卑屈になる必要はない。ただ、静かに自分を保てばいい。

そんな中、ひときわ目立つ女性が会場に現れた。立花麗華だった。彼女は、変わらず美しかった。いや、中学時代よりも、さらに美しくなっていた。彼女は、周りの視線を集めながら、連のいるテーブルへと歩いてきた。そして、連の隣に立つ男に、体を預けるようにもたれかかった。その男は、連を見て、少し驚いたような顔をした。おそらく、婚約者か何かだろう。

「あら、相沢君?」

麗華は、連に気づくと、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。その笑みは、10年前と同じだった。自分の方が上だと思っている時の顔。「久しぶりね。元気そうじゃない。すっかり見違えたわね。もしかして、何か始めたの?まあ、そんなことより」

麗華は、連を値踏みするように見た。そして、隣の男の腕を取って、見せびらかすように言った。「紹介するわ。私の婚約者。大手商事に勤めてるの」連は、何も言わなかった。ただ、静かに麗華を見返した。麗華もまた、連の眼差しを感じ取ったのだろう。少し居心地悪そうに、しかし、表情は崩さずに、「それじゃ、また後でね」と言って、立ち去ろうとした。

その時、連の口が開いた。

「立花」

麗華が足を止めた。振り返り、不機嫌そうな顔で連を見た。「なによ?」連は、ゆっくりと立ち上がった。そして、麗華の前に立った。麗華は、連の体が自分より大きいことに、少し恐怖を感じたのか、一歩後ずさった。しかし、すぐに、周りの目を意識して、気丈に振る舞った。

「何よ。相沢君。何か用?」連は、無表情のままだった。そして、静かに言った。「覚えているか?」「は?何をよ?」「10年前。この腕で、俺の頬を打ったことを」麗華は、一瞬、言葉を失った。しかし、すぐに、嘲笑うように言った。「ああ、そんなこと?覚えてるわよ。だって、あなた、臭かったもの。今も、そんなこと根に持ってるの?笑えるわね」

連は、静かに手を上げた。麗華は、連が自分を叩くと思ったのか、体を強張らせた。しかし、連の手は、麗華の頬ではなく、隣の男の肩に置かれた。連は、麗華の婚約者らしき男を見て、言った。「あなたは、この女の本性を知らないんですか?」男は、何が起こっているのかわからず、困惑した顔をしていた。

連は、話を続けた。「この女は、高校時代、クラスメイトをいじめていました。私を。毎日、陰口を叩いて、物を隠して、トイレで水をかけました。そして、ある日、教室で私の頬を打った。理由もなく。ただ、自分が優位に立ちたかっただけで」

会場は、静まり返っていた。誰もが、連の話を聞いていた。麗華は、顔色を変えた。しかし、最後まで気丈に振る舞った。「何言ってるのよ。妄想でしょ。証拠でもあるの?」連は、静かに言った。「証拠?必要ない。俺が、その証拠だ」

連は、麗華をまっすぐに見つめた。麗華は、連の眼差しに、10年前の自分が打ったあの日のことを思い出した。あの時、連は、何も言い返せずに、ただ俯いているだけだった。目の前の連は、あの時の弱かった自分とは、完全に別人だった。

連は、続けた。「俺は、お前に打たれた日から、ずっとこの日を待っていた。いや、待っていたというより、お前に見返すために、ここまで強くなった。お前を許すつもりはない。だが、お前を恨むつもりもない。ただ、一つだけ言わせてくれ」

連は、一呼吸おいて、言った。「お前が俺にしたことは、お前が思っている以上に、俺を傷つけた。だが、そのおかげで、俺は強くなれた。お前に沈むか、それとも、這い上がるか。俺は、這い上がることを選んだ。だから、もう、お前のことをただ恨むことはない。感謝すらしている」

連は、そう言って、麗華から視線を外した。そして、隣の男を見て言った。「あなたには、この女の本当の姿を知っておいてもらいたかった。結婚する前に」男は、何も言えずにいた。連は、会場を見渡した。そして、静かに言った。「長くなったな。邪魔をした。失礼する」

連は、背を向けて、会場の出口へと向かった。引き留める者はいなかった。麗華は、立ち尽くしたまま、何も言えなかった。連は、会場を出て、ホテルのロビーを歩いた。心は、不思議と穏やかだった。胸のつかえが、ようやく下りたような気がした。

エレベーターで1階へ降り、ホテルの出入り口へ向かう途中、連は、ロビーのソファに座っている一人の女性に目を留めた。その女性は、連と目が合うと、立ち上がった。連は、その女性の顔を、すぐに思い出した。

「…相沢君?」

「藤本…?」

それは、藤本美咲だった。連は、驚きのあまり、言葉を失った。美咲は、少し照れくさそうに笑った。「久しぶり。連絡先知らなくて。今日、来るんじゃないかと思って、待ってたの」連は、何年も経っていた。美咲は、当時の面影のまま、優しい笑顔を浮かべていた。

「…藤本。お前、どうしてここに」

「ここに住んでるの。この辺りで。それで、今日、たまたまここに用があって。そしたら、相沢君が出てくるのが見えたから」

連は、何と言えばいいのかわからなかった。ずっと、言いたかったことがある。伝えられなかったことがある。美咲は、連の様子を察したように、言った。「ねえ、お茶でも飲まない?もし、時間があるなら」連は、頷いた。「ああ、いいよ」

二人は、ホテルのカフェへと向かった。窓際の席に座り、コーヒーを注文した。連は、美咲を見つめた。そして、ようやく口を開いた。「…なんだよ。急に。こんな展開、あるのかよ」美咲は、くすっと笑った。「ドラマみたいでしょ。私も、自分で言ってて、嘘みたいだと思うよ」連は、少しだけ、昔の自分が溶けていくような感覚を覚えた。それは、悪い気分ではなかった。

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