「ねえ、お父さんが私を捨てて、若い学生と再婚したって本当? 」
母は、ちょうどコーヒーカップをテーブルに置いたところで、指を止めた。
「なんで急にそんなこと聞くの? 」
「知り合いから聞いたの。もう25年も前の話だって。」
「私は離婚したってだけしか聞いてないわよ。」
「ごめん。あまりにも胸くそ悪くて、言えなかったの。」
「わかるけど、私ももう26歳だし、ちゃんと大人よ。」
母はゆっくり息を吐いて、「そうね。もう立派な大人だもんね。本当に知りたいの? 」
「うん。」
「覚悟はいい?

」
「そんなに気合いのいる話なの? 」
「そりゃね。いい思い出じゃないから。」
「いいよ。どうぞ。」
母は目を伏せ、指先でカップの縁をなぞりながら、静かに話し始めた。
「『ババアのお前が産んだガキが、まともに育つか』って言われたのよ。あなたを産んだ直後にね。」
私は言葉を失った。
「41歳での高齢出産だったし、あなたの父親は医者だったから、どんなリスクがあるかは分かってたんだと思う。だとしても、あれは夫が妻に言う言葉じゃないわ。」
「でも、問題はその次よ。『医学部の学生が妊娠したその子を、大事に育てる』って言われた時、私は人生で初めて白目を向いたわ。」
「はあ。」
「それからお父さんは、研修医の女性と一緒になって、あなたを置いて出て行ったの。病院でも結構噂になってたらしいわね。若い女に浮かれてたのか、平然としてたみたい。」
「誰に聞いたの? 」
「お父さんの友達と共通の知り合いがいるの。エ藤先生って言うんだけど。」
「へえ。それで、お母さんは何か言い返さなかったの? 」
「私が黙って『そうですか』って言ったのよ。」
「お母さんが?
」
「今でも忘れないわ。『はい』って言ったの。それから、『覚えてろよ』ってだけ言って、離婚届にサインしたわ。」
「かっこいいね。」
「生物学上の父親は、鼻で笑って『覚えてられるかよ』って言ったわ。」
「なるほどね。確かに、子供の頃に聞いてたら、ちょっとショックだったかもね。」
「で、エ藤先生って知ってる? 私のかかり付けの医者なんだけど。」
「ああ、知ってるよ。エ藤君だろ? 」
「あ、そう。まあ、いい人でさ。よくしてもらってるの。」
「お前、靴のサイズは? 」
「26歳。」
「そうか。大きくなったなあ。今は何やってるんだ?
」
「いや、それはいいの。」
「なんだ? お母さんと離婚したのはどうしてなんだ? 」
「もういいよ。」
「許してくれるのかな?
」
「わけないでしょ。あんたなんか、もうどうでもいいって言ってんの。そこの底に落ちてくれたら、それですっきりするから。今後は一切連絡してこないで。」
「おい、待てよ。お前しか頼れる人間はいないんだよ。」
「お前なんか二度と診療すんな。」
「かずは、頼む。話を聞いてくれ。」
私は電話を切った。それから、何度LINEをしても返事は来なかった。それをブロックした。あいつが私に連絡してきたのは、復讐のためでしょ。お前、頑張ったんだな。あいつを医者にするなんて、波抵の努力じゃなかった。


