結婚式の当日、私は控え室に戻ってスマホを探していた。新郎の啓介がいつまで経っても姿を現さない。連絡のひとつもないのがおかしいと思い、携帯を確認しようとしたのだ。ところが、施錠したはずの控え室の鍵が開いている。嫌な予感がして恐る恐る扉を覗き込むと、室内は荒らされていた。私の荷物は無惨に散らばり、財布からは現金もクレジットカードも抜き取られていた。そして場内の監視カメラには、不審な動きをする啓介の姿が映っていた。
私の名前はさやか、32歳。大手の広告代理店で働いている。友人に紹介されて知り合ったのが啓介だった。周りが結婚していく中で焦りを感じていた私は、友人に泣きついて紹介してもらった相手だった。友人は「今時、結婚しなくても白い目で見られないよ」と慰めてくれたが、私が結婚したいと強く思うのには理由があった。職場の上司が、独身であること、恋人すらいないことを馬鹿にしてくるのだ。「仕事はできても気が強いだけの女は売れ残るぞ」と、ある日ふとした時に嫌味を言われた。その言葉が夜になると胸に突き刺さり、私はどうにかして恋人を作ろうと決意した。
啓介は、いわゆる爽やか系のイケメンで、私にとても優しかった。私が住んでいるアパートで半同棲のような暮らしをしており、仕事で疲れ果てて帰宅する私をいつも労ってくれた。帰宅時間に合わせて料理を作ってくれたり、平日にできなかった家事を進んでやってくれたりして、頭が上がらない思いだった。ただ、ひとつだけ気がかりがあった。啓介がどういった仕事をしているのか、私には分からなかったのだ。彼いわく、私と付き合う前までは会社に勤めていたが、長年溜まっていた職場への不満が爆発して退職したらしい。今は私が忙しいことを配慮して、手の回らない家事を担当してくれている。そのことにはとても感謝していたが、就職していないという事実だけが心に引っかかっていた。
友人とランチをしている時に、恋人の話になった。
「半同棲してるなら、結婚も視野に入れてるんじゃないの?」
「でも正直、就職しないままプロポーズされたら怖いよね。働く気あるのかなって思っちゃう」
友人の言葉はもっともだった。私が逆の立場だったら、同じことを言っただろう。
「まあ、まだ正式にプロポーズされたわけじゃないしね」
そう言うと、友人も「まあ、そっか」と納得し、その話は終わった。
それから一週間後、仕事終わりに啓介からディナーの誘いがあった。指定された場所に向かうと、最初は何かの間違いかと思った。テレビでも紹介されるような超高級ホテルだったからだ。ロビーにはソファに座った啓介がいて、私を見ると嬉しそうに手を振った。
「ちょっとどうしたの? こんな高級ホテルで待ち合わせなんて」
「実はここの最上階のレストランを予約したんだ。さやかの喜ぶ顔が見たくて」
驚きはしたが、喜びよりもディナーの費用が心配になった。まさか私が払うことになるのだろうか。
「そうなの? それなら早く言ってよ。仕事終わりの格好じゃ浮いちゃうじゃない」
「さやかは何を着ても可愛いから大丈夫だよ。ほら、早く行こう」
エスコートされるままに付いていくことにしたが、正直なところ、テレビで見たことがあるようなレストランでの食事にワクワクしていたのも事実だった。窓際の席に案内され、夜景を眺めながらワインで乾杯した。運ばれてくる豪華な料理に心を躍らせながら、会話を楽しむ。
「テレビで話題になってた通り、見た目もすごいけど味も美味しいね。それにしても、どうしたの? こんな高級レストランで食事なんて。予約も大変だったでしょ」
「それなんだけど」
そう言うと、啓介は真面目な顔つきになった。
「さやかには黙ってたけど、実は転職活動が終わりそうなんだ」
「え、そうなの? お祝いされるのは啓介の方じゃない」
「いや、さやかには心配かけたし、サプライズで報告したいのもあったんだ。あと、それとは別に言いたいこともあって」
そう言うと、ジュエリーショップの紙袋を取り出し、小さな箱をテーブルに置いた。
「俺はさやかと一緒にこの先も生きていきたいと思ってる。就職していないうちにプロポーズするのはさすがにまずいと思ってさ。来週からはまた出勤するようになるから、さやかと一緒にいるために俺は頑張って働くよ」
私は啓介の顔をまっすぐ見つめた。
「私だって啓介のことが好きだし、一緒にいたいと思う。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ああ、よかった。断られたらどうしようかと思って、昨日から気が気じゃなかったんだ」
安堵した顔を見る。今度は私が彼を支える番だと思った。
その後、啓介は元々の自宅の方が新しい勤務先に近いという理由で、私の家に来る頻度が減ることを申し訳なさそうに伝えてきた。その代わり、結婚式の準備は週末に一緒に進める約束をした。彼の最終的な就職先は中小企業の営業職らしい。無理はしないように伝え、新しい勤務先へ向かう啓介を見送った。
週末になると、啓介は私の家に来て結婚式の計画を進めた。
「启介、疲れてるでしょ。私が一人でできるところは進めておくから、休んでて大丈夫だよ」
「いや、俺はさやかと一緒にいたいだけなんだ。だから気にしないで」
そう言われると、恥ずかしくなって何も言えなくなってしまう。彼はこういう台詞を顔色も変えずに言ってのける。顔の良さも相まって、私の心を掴むのが本当に上手いのだと思った。
月日はあっという間に流れ、結婚式当日を迎えた。職場の同僚や両親、友人を招待したが、啓介は新しい職場の人とはまだ付き合いが浅いという理由で、今回は招待しないと説明していた。私は控え室で支度を整え、貴重品はとりあえず見える場所に置いたまま、施錠して部屋を後にした。結婚式当日に盗もうなんて人がいるわけがないと過信していたのも正直なところだった。
支度が終わっても、一向に啓介の姿が見えない。式の時間は迫り、招待客だけでなく私も不安になってきた。
「啓介君、どうしたんだろう。朝は元気だったけど、まさか急に体調が悪くなったのかな」
式場のスタッフが控え室を見に行ってくれることになった。その10分後、スタッフが顔を真っ青にして戻ってきた。
「すみません。新郎の杉原様ですが、お手洗いにも控え室にもお姿がなく」
その言葉を聞いて、血の気が引いた。
「どういうこと? 啓介君の荷物は部屋にないの?」
「お荷物も一切なく、スタッフにも伝言は預かっておりません」
もしかしたら何か緊急事態が起きて、連絡もせずに式場を出て行ったのかもしれない。だが、一言でも連絡をくれてよかったのではないか。啓介を案じる気持ちはあったが、少しだけ彼を責める気持ちも湧き上がってきた。
「さやか、スマホに連絡は入ってないの?」
母に言われ、私は急いで控え室にスマホを取りに行くことにした。すると、施錠して出てきたはずの扉の鍵が開いていた。不審に思いながらも扉を開けると、室内は荒らされていた。まるで強盗にでも入られたかのように。
そして、床にひっくり返され、中身をばらまかれた私の鞄が目に入った。財布は無惨にも地面に投げ捨てられ、現金やカードが抜き取られていた。状況を飲み込めずに固まっていると、後を追ってきたスタッフが室内の惨状を見て息を飲んだ。
「すぐに警察に連絡します」
当然、結婚式どころではなくなった。警察が到着し、現場検証と事情聴取が行われることになった。鞄の中身を確認すると、財布の中の現金と銀行のキャッシュカードなど、金目のものが盗まれていた。窓は施錠されており、控え室は2階だったが窓が割られていなかったことから、外部の人間の犯行は否定された。次に疑われるのは、控え室の鍵を持っている人間たちだった。私を含めて事情聴取が行われ、式場に設置してある防犯カメラの映像が確認されることになった。
新郎控え室の前にあるカメラの映像。そこに映っていたのは、周囲の様子を注意深く見回しながら鍵を使って控え室に入っていく啓介の姿だった。数分後、彼は急いで部屋から出て行き、その後は式場のどこに消えたのか分からない。
「この映像から、おそらく杉原さんが何らかの事情を知っているか、もしくは盗んだと見て間違いないでしょう」
警察の言葉に、私は信じたくない気持ちでいっぱいだった。式場周辺のカメラを確認しても、啓介の行方は全く掴めなかった。啓介の両親は気が動転しており、「本当にこのようなことになってしまって申し訳ない」と何度も頭を下げた。だが、私にも責任はあるのかもしれない。鍵さえかけておけば誰も金品を取らないと思い込んでいた、自己管理の甘さに落胆した。
啓介と半同棲していたことを伝えると、警察は通帳なども確認するよう言ってきた。家に帰って確認すると、案の定、私が保管していた場所から通帳が綺麗になくなっていた。こんなことをできるのは啓介しかいない。ダメ元で彼のスマホに連絡をしてみたが、繋がるはずもなかった。警察に通帳がなくなっていたことを伝え、その日は疲れ果てて眠りについた。
捜査が進むにつれ、啓介に関する知らなかった情報が明らかになった。彼は新しい会社に転職したと私に話していたが、実際にはその会社に在籍していなかった。つまり、啓介は結局私に嘘をついたままプロポーズをしてきていたのだ。金品を強奪して姿をくらますことが当初の目的だったのだろう。警察が必死に捜索しても手がかりが得られず、私はもはや啓介のことに関心を持てなくなっていた。もう過去に囚われず、これからの人生を考えよう。銀行やクレジットカード会社に事情を話し、しばらくは実家で暮らすことにした。
それからあっという間に2年の月日が流れた。そんな中、音信不通だった啓介から突然LINEが届いた。
「会って話したい」
しかし、私は返信せず、そのままにしておいた。
ある日、用事を済ませて駅に着こうとすると、最寄り駅に懐かしい人影が見えた。2年前に姿をくらました啓介だ。2年前よりもだいぶ雰囲気が変わっており、髪も髭もボサボサで、元々のイケメンぶりが少し損なわれているように見えた。啓介は私の姿を確認すると、必死の形相で近づいてきた。恐怖を感じた私は距離を取ろうと後ずさったが、彼の方が早かった。腕を掴まれてしまう。
「さやか、話がしたいんだ。逃げないでくれ」
会社の最寄り駅ということもあり、同僚も何人かいたため、私は仕方なく彼について行くことにした。
喫茶店に入り、コーヒーを一口飲むと、啓介が切り出した。
「さやか、本当にごめん。俺、さやかに色々嘘をついていた」
「謝罪とかは別にいいよ、もう。それで今日は何の用?」
「ホテル代を貸してほしいんだ」
私はその言葉を聞いて愕然とした。この男は今何と言った? 私の金品を盗んでおいて、再会するなり金の無心に来たというのか。
「さやかに会いに、わざわざ駅前のホテルに泊まってるんだよ。だけど、お金が足りなくなっちゃってさ。さすがに、もう頼れるお金もないんだよ。だからお願い、婚約者を助けると思って」
私はコップに入った水をこの男にかけてやりたいくらいの怒りを感じていた。しかし、その気持ちを必死に抑えて、私は笑みを浮かべながら言い返した。
「そんなにお金がないなら、知り合いに止めてくれる場所を紹介してもらうわ。今調べるから、ちょっと待ってて」
そう言って私はスマホを操作し、「トイレに行きたくなったから」と伝えて席を外した。その5分後、コーヒーを飲み干している啓介の前に現れたのは、当時の捜査に関わっていた警察官数人だった。啓介の状況を飲み込めないといった表情を見た時は、笑いを堪えるのに必死だった。
「警察です。杉原賢介さんですね。一緒に来ていただけますか? 2年前の金品窃盗事件について、重要参考人としてお話をお聞かせください」
突然現れた警察官に顔面蒼白になりながら、啓介は私を見る。
「実はさっき連絡していたのは警察なの。それだったら無料で泊まれるでしょ」
私の言葉に、啓介は逆上し始めた。
「なんでだよ! 俺が何をしたって言うんだ!」
「杉原さん、あなたが結婚式当日に新郎控え室に出入りしていた姿はカメラにはっきり映っているんですよ。あなたの通帳を盗んだ疑いもあります。一度一緒に来てください」
警察官が数人外にも待機していることを確認した啓介は、ようやく諦めがついたのか、がっくりと肩を落として連れて行かれた。
ようやく私のカードや通帳が、2年の時を経て手元に戻ってきた。逃走していた2年間、啓介が何をしていたのかは、警察の事情聴取で明らかになった。啓介は私以外にも恋人を作っていた。マッチングアプリで知り合った、年下の可愛らしい女性だという。そして、その恋人にも「働いている」と嘘をつき、私の貯蓄やクレジットカードを使って二人で半同棲状態で暮らしていた。しかし、私が必死に貯めてきた貯金が尽きかけていたため、私に金の無心をしに会いに来たというのが今回の顛末だった。啓介は「自分が何をしても謝れば最終的に許されると思っていた」「金も返すつもりだった」と話しているらしい。
当然、警察に逮捕されたことで、啓介の悪行は白日のもとに晒された。彼は恋人にこっぴどく振られ、全てを知った両親は「本当にちゃんと謝らないと気が済まない」と言って、私の実家まで押しかけてきた。私はその謝罪を受け入れたが、この件で二度と関わりを持たないことを相手の両親に約束してもらい、帰ってもらった。
そして、私はと言うと、過去の事情を話した上で理解してくれ、そんな私を支えたいと言ってくれた恋人と再び半同棲をしている。その恋人は私の会社の後輩で、私が教育担当として指導しているうちに自然と親密になった。最初は結婚式当日に逃げられたトラウマもあって、なかなか信用できなかったが、彼は辛抱強く私を待ってくれていた。順調に1年間の交際期間を過ごし、実際に2ヶ月後には彼との結婚式を挙げるための計画を立てている。ようやく本当の意味で啓介との過去を清算できて、安心したし、前を向いて生きていけるようになったと思う。
啓介の件から、私は貴重品に対する自己管理の甘さを反省し、鞄を目立つ場所に置かないようにしている。2年前、どん底だった私がここまで立ち直れたのは今の彼氏のおかげだ。私はこれからの幸せな生活を、この人と守っていきたい。



