お母さん、どうして私のお寿司だけないんですか? 席には私の名前の札まで置いてあるのに、何もないところに座らせるなんて。
年末だし、みんなで高級なお寿司を楽しもうって話だった。でも私の前には空っぽのお皿しかない。親戚たちは美味しそうに寿司を頬張り、お酒を酌み交わしている。
「勝手に押しかけてきた嫁の分はないわ。他人だもの」
お母さんが涼しい顔で言った。他人。その言葉が頭の中で反響する。
「他人ですか? 私は嫁ですよ」
「嫁は他人でしょ。血が繋がってないんだから」
「でも、結婚して家族になったはずでは……」
「結婚したからって家族になるわけ? あんたは最初から他人よ。この家に来ただけの他人。そういうこと」
一瞬、何かを言い返そうとした。でも、もういい。ここで何を言っても無駄だ。
「分かりました。じゃあ今日から完全に他人でいきます。お母さんもそれを希望しているようですし」
「あら、それでいいわよ。むしろ清々するわね。嫁なんて最初から他人なんだから」
「了解しました。他人ということは、お正月のお手伝いも不要ですよね」
「え? じゃ、それは来なさいよ」
「でも他人ですよね。他人にお手伝いを頼むんですか?」
「ふざけないで」
「時給を払ってもらえますか? 他人なので」
「ふざけないでって言ってるの」
「他人を希望したのはお母さんです。じゃあ、お先に失礼しますね。他人の私が長居しても悪いですから」
私は立ち上がり、振り返らずにその場を去った。後ろからお母さんの怒鳴り声が聞こえたけど、もうどうでもよかった。
帰宅すると、夫の健太が後から帰ってきた。
「ちょっと待てよ。まだ集まってる最中だろ。何があったんだよ」
「お母さんに聞いて。面白い話が聞けると思うよ」
「寿司の件かよ」
「あら、知ってたの? それもそうよね。だってあなたは私の隣の席だったもの。私のところにだけお寿司がないのに、何も言わずに親戚と酒を飲んでふざけてたわけ?」
「いや……あまりにも雰囲気が悪いし、俺も話とかしないとな」
「それで、何も用意されてない嫁を放ったらかしにしたってわけ? ふざけんじゃないわよ」
「とにかく、お前も変な意地を張るなよ。母さんに謝れば済む話だし、大人になれって」
「謝る? 何を? お寿司を用意されなかったのは私だけなのに」
「お前も音を上げなかっただろう」
「私がお寿司がなかったのに。あなたの立場を考えてくれって? あなたの立場ね。じゃあ私の立場は、寿司なしで座ってろってこと? みんなが楽しくお酒とお寿司を食べてる中、私は空気を食べろって?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあどういうわけ? 説明してよ」
黙り込む健太。分かってる。説明できるわけがないんだ。
「できないんでしょ。だから帰るの。居場所もないのにあんな場所にいたくない」
「マジで帰るのかよ。困るんだけど」
「私は別に困らないし」
「ちょ、待って。嫁は他人って言ったのは母さんだから。攻める相手が違うんじゃない?」
その言葉に、私はもう何も言いたくなくなった。
一時間後。私は幼い頃から世話になっている、実家の執事・り子さんに電話していた。
「り子さん、聞いてよ。今日、親戚の集まりがあったんだけど、お母さんに寿司を用意されなくて、嫁は他人って言われたの。本当に頭に来た。夫も見てみぬふりだし」
「まあ、それはひどいですね。大勢の場でそのようなことを言われるなんて」
「でも言い返してやったわ。ちょっとむかついたから。他人ならお手伝いしません、時給くださいって」
「それは素晴らしいですね。向こうから仕掛けてきたのですから、多少の言い返しはお相子でしょう。お母さんは顔を真っ赤にしてましたよ」
「こういうことがあるから集まりとか嫌なのよね。お母さんが私のことを嫌ってるのは知ってるし」
「お嬢様、失礼ですが、こういったことは今までもあったのですか?」
「うん。まあね。結婚してからずっとお母さんには色々言われてきたよ。料理にケチをつけられたり、掃除が雑だって怒られたり、何をやっても文句を言われるの」
「それはひどいですね。ケ太様にはご相談はしたのですか?」
「したよ。でも健太も『母さんとうまくやれ』って言うだけで守ってくれないし、私がなんとかしてって頼んでも『俺を板挟みにするな』って逆に怒られるし」
「それでも我慢されてきたのですね」
「そうだね。波風を立てたくなかったから。それに『嫁問題なんてどこもそうだし』って考えて、ずるずる来ちゃった。でも今回ので目が覚めたかも」
「お嬢様、もう我慢する必要はないのではありませんか? いっそ離婚されて実家にお戻りになっては」
「離婚か……正直それも考えたんだけど、実家を頼るのは嫌なんだよね。自分の力で生きていきたいし、父さんの会社の力でなんとかしてもらうのも違うし」
「お嬢様らしいお考えですね。でも、助けを求めることは弱さではございませんよ」
「うん、分かってるんだけど。それに私も完璧じゃないし。おっちょこちょいなところもあるから」
「おっちょこちょいですか?」
「うん。前もおばあちゃんの指輪をなくしちゃったし、階段を一段踏み外したりさ。そういうのを見て、お母さんもむかつくんじゃないかなって」
「お嬢様、失礼ですが、それは違うと思います」
「え?」
「私はお嬢様を赤ちゃんの頃から見てまいりました。お嬢様はおっちょこちょいなんかじゃありません。おばあ様の指輪をお嬢様がなくすはずがない。私はそう確信しております」
「そうかな……」
「り子さん、もしよろしければ調べてみましょうか?」
「え? でも、なくしたのは私の不注意だし」
「お嬢様がそう思い込まされている可能性もございます。念のためお調べさせていただいてもよろしいでしょうか? お嬢様は十分頑張られました。これはお嬢様が悪いわけではありません」
「なんでそこまで言い切れるの?」
「ただの勘です」
「いや、勘なの? そこ。でもありがとう、り子さん。じゃあお願いしてもいい?」
「もちろんです。少しお時間をください。三日あれば十分ですから」
その頃、義実家ではお母さんが健太に愚痴っていた。
「あんた、ちゃんと嫁を躾けなさいよ。親戚の前で恥をかいたじゃない。嫁が先に帰るなんて前代未聞よ」
「分かってるって。ちょっと拗ねてるだけだし、そのうち謝ってくるよ」
「全く生意気なのよ、あの嫁。普通のサラリーマン家庭からうちに嫁いできたくせに。感謝しなさいってのよ」
「それな。うちに来れただけでも感謝すべきなのに」
「なのにあの嫁……お母さんも嫁だったから他人とかほざいて。あれはちょっと面白かったけど、面白くないわよ。あの子には立場ってものを教え込まなきゃダメよ。夫の家に尽くすものなの」
「分かった分かった。言い聞かせるって」
翌日、健太が言ってきた。
「母さん、怒ってるぞ。謝ってくれ」
「はあ? 俺に悪気があったわけじゃないし、俺の顔を立てると思ってくれ」
「なんで私が謝るの? 悪気がなければ何をしてもいいわけ? それ、便利な言葉だね」
「めんどくせえな。とにかく謝れって」
「謝る気はないから。お母さんの機嫌が悪いなら、そっちでなんとかして。お前のせいなんだぞ」
三日後。り子さんから連絡が来た。
「お嬢様、調査が完了いたしました。少しお時間よろしいでしょうか?」
「え? もう早くない?」
「これくらい仕事の範囲内でございます」
「有能すぎなんだけど……」
「それではご報告いたします。まず指輪の件ですが、やはり私の予想通りでした。二年前、質屋にエメラルドの指輪が売却されておりました。おばあ様のもので間違いないかと」
「え? まさか本当に?」
「売却者は義母様でございます。質屋には買い取り伝票が残っており、売却時の身分証コピーもありました。義母様のお名前と住所がしっかり記載されております」
「それじゃあ何? お母さんが盗んだの? 私がなくしたんじゃなくて?」
「お嬢様はなくしておりません。盗まれたのです。窃盗罪の時効は七年ですので、まだ告訴可能でございますよ」
「信じられない……指輪をなくして知らないかって聞いたら、ドジな嫁って笑われて、未だに親戚の前で笑い話にされるのに。本人が盗んでたなんて……」
「でも、なんで勝手に盗んだんだろう」
「義母様には多額の借金があることも判明いたしました。指輪は返済の一部に当てたようですね」
「借金? というか一部? まだ返せてないの?」
「健太様の仕送りで返済されているようです」
「何それ? 健太から聞いたことないんだけど」
「おそらく健太様もお嬢様には隠していたのでしょう。総額は約八百万円。健太様のお給料から毎月十万円ほど返済に当てられております」
「毎月十万円も……だから生活がきつかったんだ。私の節約が足りないって攻められてたのに。外食も我慢して、服も買わないで。それでも足りないって言われて。でも、それ全部お母さんの借金のせいだったの?」
「その通りでございます」
「お嬢様、どうなさいますか? 私はお嬢様のご判断に従います」
「り子さん、正直怒りで震えてる。今まで我慢してきたのがバカみたいだった。もう我慢しない。都合のいい嫁でいるのももう我慢ならないわ。ふざけんじゃないわよ。こっちが下手に出てればいい気になって」
「お嬢様、それでよろしいかと。証拠は全てお送りいたします。必要であれば私がサポートいたしますので、存分におやりくださいませ」
「ありがとう、り子さん。でもそもそも、どうやって伝票を手に入れたの? そういうのって簡単には見せてもらえないでしょう」
「本来は難しいですけど、私は顔が広いので、知り合いのネットワークを使ってそこのお店の人に調べてもらいました」
「いや、どれだけ顔が広いの?」
「この年になると、色々使えるものが増えるのです」
「私、り子さんくらいの年齢になっても絶対そんなことできないって」
「まあまあ、細かいことは置いておきましょう。まずはお母さんに指輪のことを聞いてみます。どんな言い訳をするか、楽しみだわ」
その日の夜、私はお母さんに電話した。
「お母さん、二年前に亡くなった私の祖母の指輪、知りませんか?」
「何よ、急に。それより謝罪はまだなの?」
「答えてください」
「もう知らないわよ。あんたがなくしたんでしょ?」
「そうですか。じゃあ、質屋に売却したのは誰なんでしょうね?」
「はあ? 何の話よ」
「当時の買い取り伝票が保管されてました。売却したのはお母さんでしたよね」
「それは違うわよ。人違いよ」
「それでは、買い取り伝票にはどうしてお母さんの名前と住所が記載されてるんですか? 同姓同名はまだしも、同じ住所はありえませんよね」
「それは……その……」
「これ、窃盗罪ですよね。時効まであと五年あります。警察に相談しようと思うんですけど、お母さんじゃないなら問題ないですよね」
「お願い。それだけは」
「え? なんでですか? お母さんじゃないんですよね」
「私を売りに出したのは……あの時お金が必要で、つい……」
「盗んで私のせいにして、みんなの前で笑ってたの、覚えてますけど」
「それは悪かったわね。これでいいでしょ」
「はあ。いいわけあるか」
「え?」
「二年間ずっと私を責めてましたよね。『だからあんたはダメなのよ』って。本当は自分が盗んだのに。あと、お母さんの借金のことも知ってるんですから。健太の給料から返済してたんですよね」
「なんでそれを……誰に聞いたのよ」
「誰でもいいでしょう。事実ですよね」
「そ、それは……健太が払うって言ったから」
「うちの生活がきつかったの。お母さんのせいだったんですね。私の節約が足りないからってずっと健太に攻められ、お母さんからは『家計管理もできないダメ嫁』っていびられ続けたのに。全部、お母さんのせいだったなんて……」
「それは悪かったわ。でも、あんただって嫁なんだから、少しくらい我慢して当然でしょ」
「まだそれ言いますか。指輪を盗んで、借金を隠して、それで嫁なら我慢しろ? すごい理論ですね。反省していないようですから、もう結構です。警察に相談しに行きます」
「お願い。警察だけは……もう二度としないから」
「嫁は他人なんですよね。じゃあ、他人の私に頼まないでください」
「ごめんなさい。あれは言いすぎだった。お願い、許して」
「お母さんの希望通り、今日から完全に他人です。他人に頼み事はしないでくださいね」
電話を切り、私は健太に話をした。
「健太。お母さんの借金、知ってたよね」
「何のことだ?」
「とぼけないで。あなたの給料から返済してたんでしょ? 私には一言も言わずに、勝手に」
「……バレたのかよ。そうだよ。母さんが困ってたから、仕方なかったんだ」
「仕方ない? 毎月十万円も私に黙って送ってたの? うちの生活がきつかったのは、全部私のせいだと思ってたし、あなたも私が悪いみたいな言い方してたわよね」
「悪かったって。でも母さんも大変だったんだよ」
「大変なのは私よ。節約が足りないって攻められて、実際は借金のせいだったのに。それに、まだ嘘ついてるわよね」
「もうないって」
「私の実家のことよ。お母さんには『普通のサラリーマン家庭』って嘘ついてたよね」
「それは……母さんに言ったら面倒なことになると思って」
「面倒なこと? それって何?」
「それは……その……だって……」
「結局、こっちの生活費を出してたら同じでしょ?」
「そ、そこまで金持ちだとは思ってなかったんだよ」
「そう。へえ。結婚の挨拶の時に、うちの実家を見てるわよね。自分で言うのもなんだけど、かなり大きな家で、あなたも驚いてたわよね」
「そうだっけ?」
「『就職に困ったらお父さんの会社で働こうかな』とか、『困ったら支援してもらおう』とか、そんなことを言っといて、お金持ちだと思わなかったと?」
「それは……つまり……母さんにはバレたくないけど、自分はちゃっかり私の実家を利用したかったのよね」
「違う。そうじゃなくて」
「じゃあ、なんで隠してたの? お母さんがあんな態度だったのも、私が普通の家庭の嫁だって、あなたが嘘をついたからだよね」
「だって、言ったら絶対にたかってくるし。それはそれで面倒だから」
「それ、あなたの都合だよね。私の立場は考えなかったの?」
「えっと……さっきからうるさいわね」
「もういいわ。あなたとはやっていけません。離婚します」
「離婚? 待てよ。何言ってんだ? たかが寿司の一件くらいで」
「たかが? え? この会話を見て『たかが』って言う? ていうか、寿司だけの問題じゃないでしょ。指輪のことも借金のことも実家のことも、全部知ってて黙ってた。こっちの味方もしないで、うじうじしてるような人、必要ないのよ」
「俺は板挟みで……」
「板挟みって言葉、知ってる? それって、どっちも味方したいけどなかなかできない状況のことよね。あなたは最初からお母さんの味方だった。一度でも私を守ったことはある?」
「俺なりに……」
「『俺なりに』の具体例を挙げてほしいんだけど」
「それは……ないよね。だって、一度も守ろうともしなかった。お寿司がない席を見ても、へらへらしてただけ。私を守らなかったあなたに、もう用はないわ」
翌日、私はり子さんに頼んだ。
「り子さん、親戚の人たちにも本当のことを伝えたいんだけど」
「お嬢様がそう決めになったのでしたら、私がサポートいたします。親戚の皆様のLINEグループに参加して、事実をお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「お願いしていい? 私が言うと感情的になっちゃいそうだし、『言いがかり』とか言われそうで」
「承知いたしました。事実だけを淡々とお伝えいたします」
「ありがとう、り子さん」
数時間後、り子さんから報告があった。
「お嬢様、親戚グループへのご報告が完了いたしました」
「ありがとう。私も招待されたから見てたけど、みんなすごく驚いてたね」
「今も通知が鳴っております。特に指輪の件と借金の件は衝撃的だったようです」
「そりゃそうよね。やってること犯罪だし」
「義母様を擁護する方は、一人もいらっしゃいませんでしたね」
「てっきり擁護する人もいるかと思ったけど」
「義母様の普段の言動に、皆様思うことがあるのでしょうね。それと、お嬢様の実家のこともお伝えいたしました。そちらも皆様大変驚かれておられましたね」
「お母さんも見てたのかな?」
「おそらく見ていらっしゃるかと。グループに入っておられますので」
しばらくして、お母さんから電話がかかってきた。
「ゆみ、なんてことをしてくれたのよ」
「あら、お母さん。どうしたんですか?」
「親戚に変なことを吹き込んで。私の評判が台無しじゃない」
「変なこと? 私は何も言ってませんけど」
「よく分からないアカウントが親戚LINEに来て、あることないこと言ってたじゃない」
「ああ、ありましたね。でも、それ問題あります? 事実しか書かれてませんけど」
「嘘よ。捏造よ。あんたが私を落とし入れようとしてるのよ。どうせあれも別のアカウントか何かでしょ」
「捏造じゃないですよ。指輪の件、買い取り伝票も身分証のコピーもありますから。それに、親戚の皆さんすごく怒ってましたよ。『ゆみさんには関わりたくない』『もう集まりに来ないで』って。今も親戚LINEは大荒れですけど、見てます?」
「そんな……嘘よ。私は何も悪くないのに」
「悪くない? じゃあ、なんで親戚みんな怒ってるんですか?」
「あ、あの人たちが勝手に……勝手に怒る人なんていませんよね」
「あんたが余計なことを言うからよ。そうよ。捏造に決まってる」
「往生際が悪いですね。あの、『捏造』って言いますけど、何か嘘がありました? それ……ないですよね。みんな事実を聞いて、お母さんから離れたんですよ。自分がやったことの結果です。私のせいにしないでください」
「だって嫁なんだから、少しくらい我慢して当然でしょ。普通のサラリーマン家庭からうちに来たくせに」
「まだそれ言います? 私、自分では言ってなかったけど……どんな基準で『下』と判断したのか分かりませんけど、親戚グループの話、ちゃんと見ました? 私の実家のこと」
「え? それって……桜場建設って書いてあった? あれ?」
「そうです。ちゃんと見てるじゃないですか」
「ちょ、ちょっと待って。あれ本当なの?」
「本当ですよ。私の父は桜場建設の会長です。従業員二千人、年商二百億円。調べればすぐ分かる大企業ですもんね」
「そ、そんな……嘘でしょ?」
「嘘じゃないですよ。健太は知ってましたけどね」
「え? 健太が知ってたの?」
「自分だけ知ってて、お母さんには隠したんです。いざという時は私の実家を頼る気だったみたいで。そんな私だけ知らされてなかったなんて」
「顔合わせの時も、うちの親は隠してましたからね。親の権力なんて関係なく、娘を送り出したかったからですけど。お母さんが知ってたら、どうしてました? きっと態度を変えてましたよね」
「それは……変えてたんでしょうね」
「結局そういう人なんですよ。あ、違う? 知ってたら優しくしてたんですか? それ、もっとひどくないですか? 相手の家柄で態度を変える。それがお母さんなんですね」
「私だって被害者よ。健太が隠してたんだから」
「被害者? 親戚グループでお母さん、なんて言われてます? みんなお母さんが悪いって言ってますよ。健太のせいにしてましたっけ? みんなお母さんを攻めてましたよね。言い訳しても無駄です。親戚の皆さんはもう判断しました。お母さんが何を言っても、誰も信じてくれないと思いますよ」
「そんな……」
「親戚の皆さんにも見放されましたね。全部、自分がやったことの結果ですけど、私には関係ないですよね。だって、私は他人なんですから」
その日、健太が仕事から帰ってきて、土下座するように頼んできた。
「頼む、ゆみ。俺が悪かった。もう一度チャンスをくれ」
「今さら何?」
「会社で大変なことになってるんだ。桜場建設との契約が白紙になって、上からめちゃくちゃ攻められてる」
「あら、それは大変ね」
「このままじゃ左遷されるかも。頼む。口添えしてくれないか?」
「なんで私が?」
「お前の実家だろ? 俺は息子じゃないか」
「他人の実家だけどね」
「う……それは母さんが……」
「あなたも同意してたでしょ。なら同罪よ。それに、あなたとは離婚するから、本当に家族じゃなくなるし。慰謝料も請求するから」
「慰謝料? 勘弁してくれよ。母さんの借金も全部俺が払うことになって、毎月の返済で生活がきついんだ」
「ああ、お母さんの借金ね。私には黙ってたやつ」
「悪かった。本当に悪かった。会社では評価が下がって、家に帰れば母さんに攻められて……もう限界なんだ」
「大変そうだね。でも、全部自分がやったことの結果だよ」
「俺だって被害者なんだ」
「被害者? 五年間、私を守らなかった人が? 私を守ることはいくらでもできたよね。それでも助けず、全部逃げてきたのはあなたでしょ。もう終わりです。さようなら」
「待てよ。ブロックすんな」
「今さら話すことなんてないわ。自業自得。頑張ってね」
一ヶ月後。離婚が正式に成立した。慰謝料も全額もらえることになった。
「り子さん、離婚が成立したよ。慰謝料も全額もらえることになったの」
「おめでとうございます、お嬢様」
「それで……あの二人、今どうしてるか知ってる? 私からは連絡してないからさ」
「でしたら、すでにお調べしております。義母様は親戚から絶縁され、借金取りに追われているそうです。ケ太様も会社での立場が悪化し、お二人で責め合っているとか」
「ふん。自業自得だね」
「本当にそう思います。お嬢様はこれからどうされますか?」
「うん。実はさ、父さんから連絡があって、来月から父さんの会社で働くことにしたの。親の会社って迷ったけど、大企業に務めるのはそれで勉強だしさ」
「親の会社だと色々と思うところはあると思いますが、勉強の場としてしっかり働いていけば、お嬢様の実力は十分発揮できるかと思います」
「ありがとう。それでさ、実家に戻ろうと思うの」
「お嬢様がお帰りになるのを、みんな心待ちにしておりました。お旦那様は未だに私にお嬢様の部屋を掃除させているんですよ」
「え? それ本当?」
「不器用なご両親ですが、ずっとあなたのことを思っているのです。それが親というものですから」
「なんだか恥ずかしいな。けど、それじゃあ何? 私、この五年間ずっと痩せ我慢してたってこと?」
「そうなりますね」
「もっと早くちゃんと話してればよかったな」
「これからゆっくりお話すれば良いのですよ」
「そうだね」
「これからはお嬢様らしく、のびのびとお過ごしください」
「り子さん、本当にありがとう」
「いえいえ。私は執事として当然のことをしたまで。お帰りなさいませ、お嬢様。ようやくこの言葉を言えて嬉しく思います」
「うん。ありがとう、り子さん。ただいま」
離婚から半年後、私は実家で新しい生活を始めた。父の会社で営業として働きながら、充実した日々を送っている。毎朝、おはようって言ってもらえる。ご飯は当たり前に私の分がある。ドジとも他人とも言われない。普通のことが普通にある幸せ。あの五年間は何だったんだろうと、少し悲しくなることもある。でも、もう振り返らない。
窃盗に関しては、祖母の指輪を買い戻すことを条件に時効としたが、買い戻しのためにさらに借金も増え、返済は絶望的に。嫁は他人と言い放ったお母さんは、借金返済で老後も働かないといけなくなり、健太も慰謝料返済で貯金が底をついた。そんな状態で地方に左遷され、二人は仲良く暮らすどころか、ギリギリの生活で心に余裕もなく、険悪な日々を歩むことだろう。二人は今、本当の意味で他人になった。もう、私には関係のない話だ。
私は私の人生を幸せに歩む。我慢しなくていい生活は、こんなにも楽しいものなんだ。私が私の人生を取り戻せるよう導いてくれたり子さんにも、何かお礼をしたかった。でも、り子さんは「執事として当然のことをしただけです」と言って、お礼すら受け取ってくれなかった。私なりに何が恩返しになるか考えた。結局のところ、私自身が幸せに暮らすことが恩返しになる。そう結論づいた。これからは過去を振り返らず、幸せな人生だったと言えるような人生になるよう、毎日を進んでいこう。



