12月の夜、宮静子はスーパーの売り場で値引きシールを貼っていた。背後の棚には、半額シールを待つ客たちが無言で立っている。静子が動くたびに、彼らも少しずつ動く。サバの塩焼き弁当にシールを貼った瞬間、後ろから手が伸びてそれをさらっていった。静子は振り返らない。これが毎晩の風景だった。
午後10時半、閉店作業を終え、静子はコートを羽織った。同じシフトの若いパート女性、田中さんが「今日も寒かったですね」と言った。「ええ、本当に」と静子は短く答えた。それ以上は続かなかった。
スーパーを出ると、12月の風が塩の匂いを混ぜて顔に当たった。バスを使えば210円だが、その210円が重い。静子は歩いて団地へ向かった。信号待ちの間、手袋の指先に息を吹きかけた。来月の光熱費のことが頭をよぎる。
古い団地の3階、自室の前。静子は郵便受けを開けた。薄茶色の封筒が一枚入っていた。赤いスタンプが押され、差出人は年金機構の地方窓口。静子は何も言わず、ポケットにしまい、部屋に入った。
ストーブのスイッチには手をかけたが、すぐには入れなかった。夜食の湯を沸かし、カーディガンを重ね着する。薄暗い廊下の灯りの中で、封筒を開けた。中から折りたたまれた用紙が出てきた。
内容はこうだった。先月送付した現況届の返信期限を過ぎても回答がないため、受給者の生存確認ができない。よって、来月より遺族年金の支給を一時停止する。再開には窓口での本人確認が必要で、東京本部での審査を経て、最短でも2ヶ月後になる見込み。
静子は紙を見つめたまま動けなかった。あの書類は確かに来ていた。署名して出すだけのものだった。しかし、出した記憶が曖昧だ。書いた気もするが、ポストに入れたかどうか思い出せない。届かなかったのか、最初から来なかったのか。もう分からない。分からないことが、これほど怖いとは思わなかった。
通帳を開いた。残高は4万2000円。来月初めにはアパートの更新料が約4万5000円かかる。年金が入らなければ払えない。払えなければ、この部屋に住み続けられなくなる。その結論に至るまでに、5分もかからなかった。
翌朝、静子は市役所へ行った。9時前に到着し、受付番号402番を取った。待合室は老人たちで溢れ、呼び出しは211番。座って背筋を伸ばしたまま、待った。1時間、2時間。職員と揉める男性を見た。横で老人が咳をした。静子は姿勢を崩さなかった。崩してはいけないような気がした。
午後1時半、ようやく呼ばれた。窓口の係は佐藤という若い男性だった。説明は丁寧だったが、規則通りだった。2ヶ月間、年金は入らない。本人確認手続きをすれば今日から始められるが、書類が東京に届くのは来週で、その後処理に1ヶ月から1ヶ月半かかる。
静子は「今日の手続きはお願いできますか」と言った。必要書類を出し、書き損じながら書類を記入した。係員は「お一人の生活で、もし今すぐ生活が困難なら、福祉の窓口にご相談いただくこともできますが」と言った。生活保護の話だとすぐに分かった。静子は首を振った。「大丈夫です」と、声に力を込めて言った。
市役所を出たのは午後2時過ぎ。4時間半も座っていた。次に薬局へ行った。目薬を買うためだ。処方箋を出すと、薬剤師が言った。「自己負担分が4500円になります」
財布の中は3000円と少し。静子は笑顔を保って言った。「すみません。今日、財布を自宅に置いてきてしまいまして。明日また伺ってもよろしいでしょうか」薬剤師は「処方箋は4日以内ならお持ちいただけます」と言った。
薬局を出て、静子は立ち止まった。嘘はすらりと出た。恥ずかしいと感じる余裕すらなかった。今夜から目薬が使えない。明日も多分買えない。給料日まで、あと何日ある。
帰り道、スーパーで豆腐ともやしを買った。67円だった。夕食はもやしを茹でてポン酢で食べた。それだけでは足りないかもしれないが、足りなければ寝てしまえばいい。眠っている間は空腹を感じない。
翌日、仕事中に異変が起きた。寿司パックに貼ったシールが半額ではなく3割引きになっていた。客がレジで怒り出した。店長代理の桑田が静子をバックヤードに呼んだ。
「なるみやさん、正直に聞きますけど、最近、目、大丈夫ですか?」
静子の体が内側で固まった。表情には出さなかった。
「先週も一度、シールの数字が違うって報告があったんですよ。それに、お客さんから『あのおばあさん、わざと良い商品残してるんじゃないか』って声もあって。もちろんそんなことはないと思います。でも、会社としてはお客様の声を無視できないんで」
穏やかな口調だった。しかし、その言葉は確実に一つ段階を下げていた。桑田は続けた。
「うちも人件費の見直しをしていまして。来月からシフトを週3日に減らしていただくか、あるいはご自身で一度考えていただけますか?」
静子は静かに息を吸った。それから言った。「長い間、お世話になりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」声は揺れなかった。深く頭を下げた。90度に近かった。
その夜、団地の入口で管理人からピンク色の封筒を渡された。「管理費の方が先月分、未入金になってますので」静子は受け取った。ちょうどその時、3階の廊下に404号室の夫婦が現れた。静子がピンクの封筒を受け取っているところを、目撃された。
部屋に入り、封筒を開けなかった。中身は分かっていた。管理費の催促。金額は5000円から7000円。払えない。財布には300円と小銭だけ。目薬は昨夜で切れた。
気づけば息が少し早くなっていた。胸の上が少し締め付けられる。今まで何年もかけて作ってきたものが、少しずつ崩れていく。仕事がある、毎日動ける、誰の世話にもなっていない。それが静子の生き方だった。頼ることは弱さで、弱さを見せることは恥だ。そういう世代だった。
12月31日、電気が止まった。払えなかった。大晦日の夜、静子はローソクを一本立てて過ごした。毛布を二枚重ねて膝にかけ、湯たんぽを抱えて炎を見ていた。外からは紅白歌合戦の音がかすかに漏れてきた。
元日、財布には132円しかなかった。コンビニでカップ麺の値段を確認して、何も買わずに出た。
1月3日、静子は公衆電話のボックスに入った。4年前、息子の達也と喧嘩別れした。達也が静子の老後の貯金を黙って使い込んだのだ。300万円近くあった。夫が亡くなってから10年かけて積み立てたものだった。それ以来、連絡は取っていない。しかし、他に頼れるものはなかった。
達也の電話番号を押した。呼び出し音が4回鳴った。繋がった。
「もしもし」男の声。達也だった。
静子が何か言おうとした瞬間、電話の向こうから子供の泣き声が聞こえた。それに重なって女性の声。
「今月もう3枚目の督促状が来てるのよ。どうするのよ」
達也が妻と思われる女性と言い合っている。それから受話器に戻って、「もしもし。誰ですか」と言った。声は硬く、苛立ちが混じっていた。
静子は声を出せなかった。今ここで声を出せば、達也はすぐに母親だと分かる。そして、何の要件でかけたのかも分かる。お金のことだと。4年ぶりに電話してきた母親が、お金の相談をしようとしている。その瞬間の達也の顔を想像したら、声が出なかった。
静子は受話器をそっと置いた。10円玉が一枚返ってきた。3分に満たない通話だったからだ。泣かなかった。泣くということが今の自分には贅沢に思えた。
団地に戻り、静子は自分の選択肢を数えた。電気は止まっている。ガスはまだある。財布には142円。次の給料は月曜日だが、今月で終わるかもしれない。年金は2月末まで入らない。生活保護という制度があることは知っている。しかし、申請すれば、大阪にいる息子に扶養照会が送られる。達也が読んで、達也の妻が読む。
「母が生活保護を申請しました。あなたに扶養の意思と能力があるか教えてください」
その通知が達也に何をするか。達也の妻に何をするか。想像できた。しかし、それ以外の道が残っていなかった。
1月の第2週、月曜日。静子は市役所の福祉課で「生活保護の申請をしたいと思っています」と言った。声は震えなかった。相談員の中野という女性が、静かに状況を聞いた。静子は答えた。今月で仕事がなくなる見通し。年金は停止中。電気が止まっている。管理費の滞納がある。
「ご家族の状況についても確認させてください。息子さんがいらっしゃると伺いましたが」
「大阪です。4年間、連絡を取っていません」
「生活保護の申請を進める場合、扶養義務者への照会が発生します。お子さんの住所に扶養照会の通知を送ることになります」
静子は、達也の家から聞こえた子供の鳴き声を思い出した。名前も知らない孫。督促状。妻の苛立った声。
「息子も今は余裕がないようです。先週、電話で声だけ聞きました。子供がいて、借金があって、妻と一緒に苦しそうにしていました。そこに通知が届くことが、息子にとってどういうことになるか分かっています。それでも、私にはもう他に方法がありません」
中野は静かに聞いていた。それから言った。「通知は必ず送らなければなりません。ただ、息子さんが支援できないと回答されれば、それ以上の請求はありません。しず子さんの申請は、しず子さんのものです。それは決して誰かに奪われるものではありません」
その言葉が、静子の中で何かを少しだけ軽くした。
書類を書き、最後のページの扶養照会への同意欄に署名した。名前を書いた。字が少し乱れた。書き直せなかった。
3週間後、審査結果が届いた。申請は通った。生活保護の受給が認められた。同じ週に、大阪市の福祉事務所からも通知が届いた。達也は「経済的に困窮しており、母親を扶養する能力がない」という申告書を提出していた。達也はちゃんと回答していた。それだけは分かった。
2月に入り、電気が復旧した。スイッチを押すと蛍光灯が光った。当たり前のことなのに、部屋が急に広くなったように感じた。管理費の滞納も払った。家賃の更新料も支給金で払った。目薬も、今度は財布の中に確かにその金額を入れて買った。
3月の初め、遺族年金の支給が再開された。これで毎月の生活は成り立つ計算になった。
ある日、郵便受けに白い封筒が入っていた。達也からの手紙だった。達也は短く書いていた。「母さんへ。市役所から通知が届いた。詳しいことは書けないが、読んで何か言わなければならないと思った。自分のことで精一杯で連絡もしなかった。お金のことで迷惑をかけたことは謝る。元気でいてください」
静子は手紙を3度読んだ。返事を書こうかと思ったが、書かなかった。何を書けばいいか分からなかった。
春が近づいていた。3月の午後の光は、冬の光とは違う柔らかさがあった。静子は台所で湯を沸かし、茶葉を入れて、湯のみに注いだ。両手で持った。温かさが指先に伝わる。今日も1日が終わろうとしている。明日も同じような1日が来る。同じように起きて、同じように過ごして、同じように夜になる。それが続く。生きていくということは、多分そういうことだった。大きな何かが解決したわけではないし、恥の感覚が消えたわけでもない。失ったものは戻らない。ただ、今日も明日もここにいる。それだけのことが、今の静子の全部だった。



