82歳になった。今もあの夜のことを夢に見る。画面が光った瞬間、指先が止まった瞬間、そして翌朝、残高がゼロになったと告げられた瞬間。ほんの数秒の出来事だった。60年かけて積み上げたものが、数秒で消えた。
夫が死んで10年。ずっと一人で暮らしてきた。長野の橋にある小さな平屋で、六畳と狭い台所。それで十分だった。若い頃は中学校の給食調理員として働き、朝五時半に起きて重い食缶を運び、何百人分もの飯を炊いた。夫の裕二が死んだのは65歳の時だった。朝起きたら布団の中で冷たくなっていた。それからも私はほとんど生活を変えなかった。朝五時に起きて、番茶を飲んで、庭に出て大根の世話をする。それだけが日課だった。
私たちが持っていた貯金は800万円。夫婦二人で何十年もかけて積み立てた金だ。老後の医療費に、もし施設に入らなければならなくなっても娘の千鶴に頼らずに済むように。それだけを考えて守ってきた。千鶴は47歳で、スーパーの夜間レジをしている。離婚して子供はいない。住宅ローンを抱えて毎月ギリギリで生きている。それは電話の声で分かる。最近はずっと疲れている。私は絶対に千鶴に迷惑をかけたくないと思っていた。800万円がある限り、自分の面倒は自分で見られる。そう信じていた。
スマートフォンを持つようになったのは三年前。千鶴が買ってくれた。LINEで連絡できるからと言って使い方を教えてくれた。私はその機械が苦手だった。画面が小さくて文字が滲んで見える。それでも千鶴のために少しずつ覚えた。ネットバンクのアプリも千鶴に設定してもらった。IDとパスワードはノートに書いて引き出しにしまっていた。
あの夜のことを話す。十月の初め、夜の九時を少し過ぎた頃。私はもう布団に入っていた。枕元のスマートフォンが光った。メールの通知だった。差出人は私が預金を預けている地方銀行。件名は「重要:お客様のご口座の不正アクセスを検知いたしました」。内容はこうだった。第三者による不正なアクセスが確認されました。このまま本日中にご本人確認のお手続きをいただけない場合、安全のためご口座を一時停止させていただく場合がございます。
「停止」。その言葉が頭の中で響いた。口座が止まったら年金はどこへ振り込まれる? 膝の通院費はどうやって払う? ロゴマークは確かに私が使っている銀行のものだった。文章は丁寧で、メールアドレスもそれらしい文字列だった。千鶴に電話しようかと思ったが、時計は九時半を過ぎている。千鶴はこの時間、スーパーのレジに立っている。こんな些細なことで呼び出して、後から何でもなかったとなったら、また心配をかける。メールの最後に確認用のリンクが貼ってあった。「青い文字で、こちらからご確認ください」。本日中という言葉が気になった。今夜対応しなければ、明日の朝には口座が凍結されているかもしれない。
私は何度もメールを読み返した。怪しいところを探そうとした。でも、どこにもおかしなところが見当たらなかった。手のひらが湿ってきた。私は自分に言い聞かせた。落ち着けと。でも、落ち着こうとすればするほど「本日中」という文字が頭から離れなかった。気づいた時には、もうリンクを押していた。見慣れた色遣いの銀行のサイト。ログイン画面が表示されていた。私は引き出しからノートを取り出し、老眼鏡をかけて一文字ずつ確認しながらIDとパスワードを入力した。指が震えていた。ログインボタンを押すと、画面が変わった。「ご本人確認のため、確認コードをSMSにてお送りしました」。すぐにメッセージが届き、六桁の数字が書いてあった。私はその数字を入力した。
確認ボタンを押した瞬間、画面が一瞬点滅した。そしてすぐに電話が鳴った。画面には銀行の名前が表示されていた。私は反射的に出た。落ち着いた低い男の声だった。「セキュリティ管理部のものです。先ほどお客様のご口座に対し、複数の不審なアクセスが確認されました。現在、お客様の資産は非常に危険な状態にございます」。「どうすればいいの」と私は言った。自分の声が震えているのが分かった。男は一切焦らなかった。私が答えるたびに「ありがとうございます」と静かに言った。そして言った。「大変申し訳ございませんが、セキュリティの再設定のため、カードの有効期限と、引出用の暗証番号のご確認が必要でございます」。
私は手を止めた。暗証番号。それは夫と二人で決めた四桁の数字。誰にも教えたことがない。千鶴にも教えていない。でも、男は今、銀行のセキュリティ部署の人間として電話をかけてきている。画面には銀行の名前が出ていた。この人が情報を悪用するはずがない。お客様の資産を守るため、という言葉が頭の中で繰り返された。私は四桁の数字をゆっくりと読み上げた。男は最後に「ご被害の範囲を特定するため、通帳に記載されている現在の残高を教えていただけますか」と言った。私は引き出しを開けて青い表紙の通帳を取り出し、残高の欄を見た。800万円と少しの利息。その数字を読み上げた。「承知いたしました。手続きが完了次第、改めてご連絡申し上げます。ご協力いただき誠にありがとうございました」。そして電話が切れた。
時計が九時四十五分を示していた。私はため息をついた。良かった。ちゃんと手続きができた。庭の方から秋の虫の声が聞こえた。私は眼鏡を外して布団の中に戻った。800万円は守られた。そう思いながら目を閉じた。
翌朝、目が覚めたのはいつもより少し遅かった。胸の底がざわついていた。昨夜のことをもう一度きちんと確認したい。手続きは本当に終わったのか。アプリを開いて残高を見れば分かる。スマートフォンを手に取り、銀行のアプリを開いた。IDとパスワードを入力した。画面に赤い文字が出た。「ログインできません」。打ち間違いかと思ってもう一度入力した。ノートを確認しても間違っていない。何度試しても結果は変わらなかった。背中に冷たいものが走った。
昨夜、あの男に暗証番号を教えた。IDもパスワードも確認コードも、全部自分で入力した。でも、それは銀行が求めてきたからだ。銀行の名前が画面に出ていた。銀行から来たメールだった。銀行からの電話だった。私は財布からキャッシュカードを取り出し、問い合わせ先の電話番号を確認した。電話をかけた。自動音声に従って番号を押し、保留音が流れた。何分経ったのか分からなかった。
「お電話ありがとうございます」と若い女性の声が言った。私はあったことを全部話した。メールが来たこと、リンクを押したこと、暗証番号を教えたこと、通帳の残高を読み上げたこと。女性は途中で何度か確認した。しばらくして女性が戻ってきた。声の雰囲気が少し変わっていた。「大変申し訳ございません。お客様、平下りから昨夜そのようなメールやお電話をお送りした事実はございません」。頭が空白になった。「お客様はフィッシング詐欺と呼ばれる手口の被害に遭われた可能性が高いです。口座の状況を確認いたします」また保留音が流れた。今度の沈黙は最初よりも長く感じた。
「お電話ありがとうございます。確認いたしました。お客様の口座より、本日未明に出金がございました」。「いくら」と私は聞いた。喉が渇いていた。女性は一呼吸置いた。その一呼吸が妙に長かった。「800万円、全額でございます」。スマートフォンが手から離れた。テーブルの上に落ちて鈍い音を立てた。私は椅子に座ったまま動けなかった。体の中から何かが抜けていくような感覚だった。800万円。夫と二人で働いた給食室の重い食缶を何年も何年も運んだ。夫が死んでからも一円も崩さなかった。老後のために、千鶴に迷惑をかけないために、ずっと守ってきた。それが一夜のうちに消えた。
スマートフォンからはまだ女性の声がしていた。「お客様、まず落ち着いてお聞きください。この後、警察への届け出をお願いしております。また、平下りの窓口にお越しいただき、口座の凍結手続きをお願いできますでしょうか」。「分かりました」と私は言った。電話が終わった。台所が静かだった。窓の外では日がすっかり上がり、大根の葉の露は消えていた。
千鶴に連絡しなければ。でも、どう話せばいいのか分からなかった。千鶴は今頃まだ寝ている時間だ。母親が騙されて全部なくなった。老後の分も施設の分も、迷惑をかけないために取っておいた分も全部消えた。その言葉を声に出すことがどうしてもできなかった。頭の中で何度もあの夜の場面が繰り返された。メールを読んだ時、リンクを押した時、暗証番号を読み上げた時。その度に「どこかで止まれなかったのか」という思いが押し寄せてきた。でも、止まれなかった。本当に止まれなかった。何が本物で何が偽物か、私には分からなかった。ロゴも文章も電話の声も、全部本物に見えた。聞こえた。
九時を少し回った頃、千鶴にLINEでメッセージを送った。「話したいことがあります。起きたら連絡ください」。それだけ書いた。十分後、電話が鳴った。
「もしもし、母さん、どうしたの」。千鶴の声は眠たそうだった。私はしばらく黙った。それから昨夜のことをできるだけ順番通りに話した。話終えて私は黙った。千鶴も黙っていた。数秒後、千鶴が言った。「今から行く」。それだけだった。怒鳴らなかった。「なんでそんなことをしたの」とは言わなかった。ただ「今から行く」とそれだけ言って電話が切れた。その一言が何よりも重かった。
千鶴が来たのは、電話から一時間ほど経ってからだった。仕事ではなく、普段着のジャケットを羽織っていた。顔が白くて目の下に隈があった。「スマートフォン見せて」と千鶴は言った。千鶴はメールを見て、着信履歴を見て、アプリを開こうとしてログインできないのを確認した。「これ、フィッシング詐欺だよ」。声は静かだった。「メールも電話も全部偽物。お母さんのID、パスワード、暗証番号、全部盗まれた」。「止まれなかった」と私は言った。声が枯れて、もう一度言い直した。「止まれなかった」。千鶴はそれを聞いて何も言わなかった。「怒らないの」と私は言った。千鶴は私の方を見て言った。「怒っても意味ない」。それ以上何も言わなかった。「警察に届けて、それから銀行の窓口に行こう。今から」と千鶴は言った。私は頷いた。「お金のことは、おいおい考えよう。まずは手続きだけ」。おいおいという言葉が気になった。でも、私は何も聞かなかった。聞けなかった。
警察の生活安全課で被害届を出した。書類に名前を書く指が震えた。中年の警官は「フィッシング詐欺は送金先が海外の口座であることが多く、被害金の回収は非常に困難な場合がほとんどです」と言った。その言葉は「戻ってこない」という意味だった。銀行では口座の凍結が済んでいると言われた。「確認いたしましたところ、昨日の未明の出金で残高はほぼゼロになっております」。「ほぼ」ということは、少しは残っているのか。そう思って聞いてみた。銀行の係員は少し間を置いた。「はい。120円ほどございます」。120円。私は手の中の書類を見た。「被害の保証とか、そういう制度はないんですか」と千鶴が聞いた。係員は「フィッシング詐欺の場合、基本的にはお客様ご自身が情報を入力されているため、銀行側での保証は難しい状況です。正直に申し上げまして、全額の保証は難しいかと存じます」と言った。
帰りの車の中は、行きよりも重かった。しばらくして、千鶴が言った。「お母さんの年金、月いくら」。「六万三千円くらい」と私は答えた。「じゃあ、ギリギリ生活はできる」と千鶴は言った。それは質問ではなく、自分に言い聞かせているような言い方だった。今は体が動く。自分で料理ができる。でも、あと五年、十年したら足が弱って台所に立てなくなったら、施設の費用は月に十五万から二十万かかる。年金が六万三千円では到底足りない。その差額を埋めるために800万円があった。それだけあれば、数年はなんとかなる計算だった。今は、その計算が成り立たない。千鶴に出してもらうことになる。毎月ギリギリで生きている千鶴に、住宅ローンを抱えた千鶴に、夜間のレジで疲れ果てている千鶴に。
家に戻って、千鶴がお茶を入れてくれた。今度は向かいではなく、隣に座った。話をするための位置だ。「ちゃんと話しておきたいんだけど」と千鶴は言った。私は頷いた。「お母さんの生活費。今のままで回るかは、もう少し見ないと分からない。でも、急にどうこうはならないと思う」。「ごめんね」と私は言った。千鶴は少し間を置いて「謝らなくていい」と言った。「でも」と私は続けた。「千鶴に迷惑かけたくなかったんだよ。それだけを考えてたんだよ。ずっと、あの金があれば自分のことは自分でできると思ってた」喉の奥が詰まった。「知ってるよ」と千鶴は言った。「お母さんがどれだけ気にしてたか知ってる。だから、そこは責めてない」。責めないという言葉が、不思議と苦しかった。責められれば謝ることができる。謝れば少し楽になれる。でも、千鶴は責めない。責めないから、私には謝る相手がいない。「これからのことは、一緒に考えないといけない。お母さん、一人で全部抱え込まないで」と千鶴は言った。私は頷くしかなかった。
千鶴が帰った後、私は縁側に座った。八百七万円という数字を頭の中で繰り返した。それが現実のことだとは、まだどこかで信じられていなかった。
あれから十日が経った。警察にも銀行にも行って、必要な手続きは全部終わった。新しいキャッシュカードが届いた。口座の残高は120円のまま。年金が振り込まれるのは来月の半ば。それまで日数がある。毎朝五時に起きて番茶を飲んで庭に出る。大根はもう収穫した。引き抜いて半分は干して、残りは台所の隅に積んだ。それだけのことを機械のように繰り返している。詐欺にあった直後は頭が空白だった。でも、十日も経つと逆に考えすぎるようになった。夜中に目が覚めて、暗い天井を見ながらこれからのことを計算する。年金が月六万三千円。光熱費と食費と雑費を全部合わせると四万から四万五千円。手元に残るのは一万五千円から二万円。通院費が月に六千円ほどかかるから、最終的に残るのは一万円あるかないか。それは、生活できる金額だ。千鶴が言ったようにギリギリではあるが、何とかなる。今の体の状態が続く限り。でも、「何も変わらない」ということは、歳を取っていくほどありえない。先月、向いの山田さんが施設に入った。79歳で転んで骨折したのがきっかけだった。月に十七万かかると山田さんの娘から聞いた。私の年金の三倍近い。貯金がある間はその差額を自分で出せるはずだった。800万あれば約四年間の施設費用の不足分を埋められた。余裕を持ってゆっくり考える時間があった。今は、その時間がない。足を悪くした時、頭がおかしくなった時、誰かの世話がいるようになった時、その費用は全部千鶴にしかかる。そのことを目が覚めるたびに考える。
詐欺から二週間が経った週の土曜日、千鶴が来た。野菜と豆腐と魚の切り身を持ってきて、「一緒に食べよう」と言った。千鶴が台所で料理を始めた。慣れた手つきだった。大根の煮物と魚の塩焼きと豆腐の味噌汁。それだけだったが、十分だった。食べながら千鶴が言った。「仕事のシフト、来月から少し変える。夜だけじゃなくて、昼のシフトも入るようになった。週に二回くらい」。声は平坦だった。私は大根を口に入れながら、千鶴の言葉の裏を考えた。昼も入る。それは仕事が増えるということだ。仕事が増えるのは、お金が必要だからだ。聞かなかった。なぜシフトが増えたのか、直接聞くことができなかった。聞けば答えが返ってくる。その答えを聞くことが怖かった。「大変じゃない」とだけ言った。「慣れるよ」と千鶴は言った。また平坦な声で。
食器を洗い終えて二人で座ると、千鶴は言った。「お母さんに聞いて欲しいことがある。ケアマネさんに相談したんだ。介護保険の申請のこと」。介護保険。その言葉を私は黙って受け取った。「まだそんな段階じゃないと思うけど」と私は言った。声が少し硬くなったのが分かった。千鶴は頷いた。「分かってる。今すぐ何かサービスを使うって意味じゃない。でも、申請だけしておけば、いざという時にすぐ動ける。手続きに時間かかるから」千鶴の言っていることは正しい。頭では分かっている。でも、申請するということは、自分が老いて助けが必要な人間だと認めることだ。それがどうしても受け入れがたかった。「少し考えさせて」と私は言った。千鶴は何も言わずに頷いた。
「もう一つ話していい」。私は頷いた。「お母さんの通帳、来月から私が一緒に見ようと思ってる。毎月の収支を確認したい。何か急に出費があった時に、早めに対応できるように」通帳を見る。千鶴が私の家計を見るということだ。これまでは全部私が一人でやってきた。夫が死んでからの十年間、誰にも見せずに管理してきた。「自分でできる」と私は言った。今度は声に力が入った。千鶴は少しの間私を見ていた。怒った様子はなかった。「できるのは分かってる」と千鶴は言った。「でも、今回のことがあったから。一緒に見た方が、お互い安心できると思って。お母さんが管理するのは変わらない。私はただ確認するだけ」お互い安心、という言葉が気になった。千鶴が安心できないのは、私を信用していないからではない。私がまた何か失敗をするかもしれないと心配しているからだ。それは正しい心配だ。実際に私は失敗した。800万円を失うという、取り返しのつかない失敗を。「分かった」と私は言った。千鶴が少し肩の力を抜いたのが分かった。ずっと緊張していたのだろう。今日この話をするために、どれだけ考えてきたのか想像すると胸が痛んだ。
翌日の午前中、私はテーブルに通帳を出した。最後のページの最後の欄に、800万円が出金された記録がある。その下は何も書いていない。次に記帳した時、その欄の下に何が書かれるか。来月の年金振り込みの六万三千円だ。800万の下に六万三千円。その落差をしばらく眺めた。
週の終わり、約束通りに千鶴が来た。今日は手ぶらだった。料理をするためではなく、通帳を見るために来た。私は通帳を千鶴の前に出した。千鶴は最後のページを見て、少しだけ目を細めた。それだけだった。何も言わなかった。数字を確認して、また閉じた。「来月の年金が入ってから、一緒に月の収支を見よう。食費はどのくらいかけてる」。「一万五千円くらい」と私は答えた。「それで大丈夫」と千鶴は言った。「足りてるよ」と私は言った。千鶴は通帳をテーブルに戻した。それからしばらく黙って自分の膝を見ていた。「私の方も、少し整理した」と千鶴は言った。「ローンの繰り上げ返済を止めた。余裕がなくなるから。それと、スマホのプランを安いのに変えた。保険も見直した」。一つ一つは小さいことだ。でも、全部合わせるとそれなりの金額になる。「お母さんは、私がそれをしなければならなくなったのは、私のせいだ」と思った。何か言わなければと思った。でも、何を言えばいいのか分からなかった。ごめんと言っても、千鶴はまた責めてないと言うだろう。ありがとうというには、あまりにも足りない。「千鶴」と私は言った。千鶴が顔を上げた。「本当にごめんね」と私は言った。千鶴はしばらく私を見ていた。それから「うん」と言った。今度は「責めてない」とは言わなかった。その「うん」が、二週間前の「責めてない」よりも、ずっと正直な答えに聞こえた。
千鶴が帰った後、私は縁側に座った。来年もここに大根を植えるのか。植えるだろう。他にすることがないから。誰のためにということは、もう考えないようにしようと決めた。誰のためでもなくていい。ただ植えて育てて収穫する。それだけでいい。
詐欺にあってから一ヶ月が経った。十一月の半ば、年金が口座に振り込まれた。六万三千四百円。スマートフォンの銀行アプリで残高を確認した時、少し手が止まった。アプリを開くたびにあの夜のことを思い出す。画面を見るたびにあのメールを思い出す。おそらくこれからもずっとそうだろう。六万三千四百円が、今の私の全てだ。生活は変えた。変えざるを得なかった。スーパーに行く回数を週に二回に決めた。買い物の度に小さなメモを書いていく習慣をつけた。何を買ったか、いくら使ったか、台所のカレンダーの欄に記録する。千鶴が来た時に見せられるように。電気代を少し抑えようと思って、夜は早めに暖房を消すことにした。その代わり布団を一枚増やして、押入れの奥に眠っていた夫が使っていた古い毛布を引っ張り出してきた。食費は月一万二千円を目標にした。肉はほとんど買わなくなった。豆腐と卵と安い魚の切り身があれば何とかなる。大根は自分で育てたものがまだある。それで十分だ。
千鶴は週に一度、土曜日に来るようになった。来る時は必ず何か食材を持ってくる。私が断ると「どうせ買いすぎたから」と言う。買いすぎたわけではないことは分かっている。でも、受け取る。受け取るしかない。通帳は毎回見せる。千鶴は数字を確認して、何も言わない時と少し何か言う時がある。それが私たちの新しい形だった。
十一月の最後の土曜日。千鶴が来て、いつものように台所に立った。「鍋にしよう」と言って、白菜と豆腐と鶏肉を切り始めた。私は居間で千鶴が料理をする音を聞いていた。その音がどこか懐かしかった。千鶴がまだ小さかった頃、私が料理をして千鶴が居間で宿題をしていた。あの頃の音に似ていた。立場が逆になったということを、その音を聞きながら考えた。鍋を真ん中に置いて二人で食べた。「美味しい」と私は言った。千鶴が少し笑った。「お母さんが育てた白菜入ってるから」と言った。自分が育てたものを食べるのはいつぶりだろう。食べながら千鶴が言った。「来月から、介護保険の申請一緒にしよう」。先月も同じことを言われて「考えさせて」と答えた。それから一ヶ月、私は考えた。今月は断らなかった。「分かった」と言った。千鶴が少し目を細めた。「ありがとう」と千鶴は言った。ありがとうと言われるのが、妙にくすぐったかった。私が折れたことに対して千鶴が礼を言う。この関係がいつからこうなったのか考えると少し混乱する。でも、考えすぎなくていいとも思う。
食器を片付けてお茶を飲みながら、千鶴がもう一つのことを話した。「来年の正月、うちに来ない」と千鶴は言った。「一人でここにいてもつまらないし」私は少し考えた。千鶴の家は市内のマンション。1DKで一人には十分だが、二人では少し狭い。「邪魔じゃない」と私は聞いた。「邪魔なら言わない」と千鶴は言った。「そうだね。考えておく」と私は言った。その日、千鶴がいつもより少し疲れて見えた。顔色が悪いというより、目の焦点が少しぼんやりしていた。「仕事、大変なの」と私は聞いた。千鶴は少し間を置いてから「まあね」と言った。「昼のシフトが増えてから、体がついていかなくて。夜と昼が交互だから、リズムが崩れる」。それは私のせいだとすぐに思った。でも、言わなかった。言っても何も変わらないし、千鶴をまた困らせるだけだ。「無理しないで」と私は言った。言いながら、この言葉がどれほど空虚か分かっていた。無理しなければお金が足りなくなる。それを分かっていて「無理しないで」という。それが親の言える精一杯だ。
十二月の初め、千鶴と一緒に市役所へ行って介護保険の認定申請をした。窓口の若い女性が丁寧に説明してくれた。認定調査員が自宅を訪問して日常生活の状況を確認すること。結果が出るまで一ヶ月程度かかること。私は頷きながら聞いた。書類に名前を書いて提出した。外に出ると冷たい風が吹いていた。「終わったね」と千鶴は言った。「うん」と私は言った。終わったというのは正確ではない。始まったというのが正確だ。
二週間後、認定調査員が家に来た。四十代くらいの女性で、クリップボードを持っていた。部屋を一通り見て、いくつか質問をした。一人で食事が作れるか、入浴は一人でできるか、歩行に問題はないか、薬の管理は自分でできるか。「できます」と私は何度も答えた。全部本当のことだった。今は全部できる。でも、今できることが五年後もできるとは限らない。調査員は優しかった。でも、質問の一つ一つが私が老いているという事実を確認していく作業だった。
十二月の中頃、銀行からまた封筒が届いた。保証についての最終通知だった。「今回の件については保証の対象外と判断した」と、丁寧な文章で書かれていた。予想していた結果だった。驚かなかった。でも、ゴミ箱に捨てる気にはなれなかった。引き出しの中の先月来た銀行の手紙の隣に並べてしまった。どちらも開けたくない引き出しになった。でも、捨てられない。
大晦日の夕方、私は荷物を小さなバッグにまとめて千鶴の迎えを待った。着替えと常備薬と手袋と通帳。通帳を持っていくつもりはなかったが、なぜか入れてしまった。どこに行くにも手元に置きたい。存在を確認したい。千鶴のマンションは五階建ての古い建物だった。中に入ると狭かったが、綺麗に片付いていた。壁に時計と小さなカレンダーだけがかかっていた。千鶴が台所で年越しそばを作ってくれた。出汁は丁寧に取ってあった。「お母さん、そばアレルギーとかないよね」と千鶴が聞いた。「ないよ。七十年以上食べてきたから」千鶴が小さく笑った。久しぶりに聞く、力の抜けた笑い声だった。二人でそばを食べた。テレビでは紅白歌合戦が流れていた。私が知っている歌はほとんど出てこなかった。でも、音楽が流れているのが悪くなかった。
十二時が近くなると、テレビが年越しのカウントダウンを始めた。千鶴がお茶を入れてくれた。「今年、色々あったね」と千鶴が言った。私は頷いた。「色々」という言葉で全部が包まれた。詐欺のことも警察のこと銀行のことも毎週の訪問も介護保険の申請も手袋も、全部が「色々」という言葉の中にあった。「来年は何もなければいいけど」と千鶴は続けた。「そうだね」と私は言った。テレビの中で人々が歓声を上げた。新しい年になった。
元旦の朝、私が先に目を覚ました。千鶴は布団で眠っていた。私はリビングに出て窓から外を見た。曇っていた。初日は見えなかった。台所を借りて静かにお湯を沸かした。自分の家ではないから、どこに何があるか分からなくて少し戸惑った。ポットを見つけて番茶をいっぱい飲んだ。いつもと同じことをしているのに、場所が違うだけで少し違う感覚だった。悪くはない。ただ、慣れていない。千鶴が起きてきたのは八時過ぎだった。「お雑煮に作るね」と言った。「手伝う」と私は言った。「いいよ。狭いから」と千鶴は言った。私は台所の入り口に立って、千鶴が雑煮を作るのを見ていた。餅を焼いて、出汁を温めて、三つ葉を乗せた。私が昔作っていた雑煮とほとんど同じだった。千鶴が私のやり方を覚えていたのか、それとも自然にそうなったのか、分からなかった。二人でテーブルに着いた。お椀の中に丸い餅が一つ浮かんでいた。「おめでとう」と千鶴が言った。「おめでとう」と私も言った。お雑煮を食べた。餅が柔らかかった。出汁がちゃんとした味だった。三つ葉の香りがした。美味しかった。それだけのことだが、美味しいと思えたことが少し嬉しかった。この三ヶ月、味のしない食事が続いていたから。
食べ終えて千鶴がお茶を出してくれた。二人でテレビを見た。お正月らしい番組が流れていた。千鶴が言った。「また来年も来てね」その言葉を少し反芻した。来年の自分がどういう状態かは分からない。でも、来年もここに来られるような状態でいたいとは思った。「来るよ」と私は言った。千鶴が頷いた。
夕方、千鶴が車で送ってくれた。家の前でドアを開けて、バッグを持って降りた。「ありがとう」と私は言った。「気をつけてね」と千鶴は言った。「寒いから、手袋して」私はバッグから手袋を出してはめた。千鶴がくれたグレーの手袋だ。柔らかかった。車が走り去った。私は家のドアを開けて中に入った。冷えた部屋だった。三日間誰もいなかった部屋は、外の空気より少し温度が低い。暖房をつけて、コートを脱いで、手袋を外した。手袋を玄関の棚の上に置いた。居間に行って座布団に座った。暖房がじわじわと効いてきて、部屋が少しずつ温まった。窓の外の庭を見た。冬の庭は何もなかった。大根を抜いた後の土が、白く凍っていた。
800万円は戻ってこない。千鶴は毎週来てくれるが、それには限界がある。介護保険の認定結果はまだ来ていない。体は今のところ大丈夫だが、この先は分からない。年金は毎月入るが、余裕はない。どれも解決していない。全部そのままだ。でも、と私は思った。今日、雑煮を食べた。美味しかった。千鶴が作ってくれた。千鶴の部屋で二人でテレビを見た。来年も来てね、と千鶴は言った。来るよ、と私は答えた。それだけのことが、今日あった。時計が夕方の六時を示した。台所に立って、夕食の支度をしようと思った。千鶴の家から帰ってきた日の夕食は一人分だ。冷蔵庫に残りがあるはずだ。立ち上がって台所に向かった。暖房がすっかり効いて、部屋が暖かくなっていた。私の日々はこれからも続いていく。解決したことと解決していないことが混ざったまま、毎朝五時に起きて番茶を飲んで庭に出る。その繰り返しが、続いていく。



