保育園の送り迎えの時間は、いつも穏やかだった。それが、ある日突然、地獄の始まりになった。
「おい、なんでお前がここにいるんだよ」
その声を聞いた瞬間、全身の血が凍る思いがした。振り返ると、そこには4年前に私を捨てた元夫、たけしが立っていた。
「どうして連絡なんてしてくるの?もう私たちの関係は終わってるはずよ」
「お前がガキと保育園に来てるところを見かけたんだよ。誰かと思ったら、俺に捨てられた不妊女かよって笑っちゃったぜ」
その言葉に、4年前の記憶が鮮明に蘇ってきた。ある日突然、何の予告もなく離婚届を突きつけられて、家から消えた男。私は今でもあの日のことを忘れていない。
「捨てたっていう意識はあるのね。いきなり離婚届けを突きつけて家からなくなったもんね」
「そんな感じだったっけ?もう4年も前のことだから忘れちまって」
この男は、自分がしたことを何とも思っていない。それなのに、なぜ私の前に現れて、私を傷つけるようなことを言うの?
「でもなんか楽器を連れてきてたよな。あれは何だ?」
「私の子供に決まってるでしょ」
「あのガキは俺の子か?まさか妊娠してたとはな。てっきりお前は不人の出来底損ないだと思ってたぜ」
あまりの侮辱に、怒りで体が震えた。そんな私を見て、たけしはさらに追い打ちをかけるように言った。
「でも俺に似てたぜ。もし俺の子供だったとしても認知はしねえからな」
「気持ち悪いことを言わないで。あの子は私と今の夫との間にできた子よ」
「再婚はしてたんだな。でもめんどくせえな。お前うちと同じ保育園なんだな」
思いもよらない偶然に、私は言葉を失った。たけしにも子供がいて、同じ保育園に通っているという。
「悪いけど、他のところに行ってくれるか?」
「は?待ちなさいよ。勝手なことを言わないで。この辺りはどこもいっぱいでなかなか通わせることも難しいんだから」
「黙れ。ここの保育園には俺の方が早く通わせていたんだ。後から来るなんて許されるわけないだろう」
「何よ、そのわけのわからない理論は」
「ここは俺たち家族が使うもんだから。お前らは別のところに行けって言ってるんだ」
別に顔を合わせなければ問題ないはずなのに、たけしは頑として譲らない。
「俺が気持ち悪いんだよ」
「私だって気持ち悪いわよ。お前が近くにいるってだけで不快な気持ちになるんだ」
「よくもそんなことが言えるわね。いきなり離婚して私の前から消えたくせに。そのセリフを言えるのは私の方でしょ」
「そんなの関係あるか。とにかく別のところに行け」
「保育園を見つけるのも簡単じゃないのよ」
「だったらお前が別のところに行きたくなるようにしてやるからな」
そう言い残して、たけしは去っていった。私は立ち尽くしたまま、どうしていいか分からなかった。
家に帰って、夫のかゆに話すと、彼は驚きつつも冷静に受け止めてくれた。
「たけしって元旦那の?」
「そうそう。どうやら向こうも再婚をして子供ができてたみたい」
「でも入園式の時には会わなかったよな」
「うん。向こうは私たちよりも早く預けていたみたい」
「え、待って。それって計算上おかしくない?俺たちだって再婚してかなり早くに妊娠したじゃん。それよりも向こうが早かったって変だよ」
「いや、変じゃないよ。連れ子だと思うから」
確かに、かゆの言う通りだった。たけしは私たちより早く再婚して、前の関係の子供を連れてきている可能性が高い。それを考えると、たけしが再婚相手と出会ったのは、私たちが離婚する前になる。
「それでたけしから連絡が来て保育園を変えろって言われてるの」
「そんなの聞く必要ないよ。気まずいのはこっちだって一緒だし。顔を合わせるのが嫌なら俺が送り迎えに行ってもいいしね」
「でもそれだとかゆが大変だわ」
「全然気にしないでいいよ。ゆうとの時間が取れるのは嬉しいことだから」
ありがたいことに、かゆはいつも私の味方でいてくれる。でも、この問題はそう簡単には解決しない気がした。
1週間後、保育園に知らない女性が現れた。
「初めまして、さち子です。さなえさんですよね」
「え、どちら様でしょうか?」
「たけしの妻です」
ああ、これがたけしの再婚相手か。私は嫌な予感がした。
「それで何かご用ですか?」
「夫があなたに忠告したのを忘れましたか?早くうちの保育園から出て行ってくださいよ」
「別にあなたの保育園じゃないですよ。私の息子だって通う資格があるはずです」
「夫がすごく困ってましたよ。元嫁に突きまとわれて困ってるってね。捨てられたというのにまさか保育園を一緒にしてまで会おうとしてくるなんて」
さち子は私を責め立てるが、自分から会おうとしているのはたけしのほうだ。
「あなたもたけしもどんな脳みそをしてるんですか?そんなことするわけがないでしょ。それに私はストーカーじゃないです。再婚して夫がいますから」
「ああ、なんかそんなこと言ってたかしら。あなたの生活には興味ないから流しちゃってた」
「じゃあお互い結婚もして子供も生まれたわけですよね。それで幸せってことでいいじゃないですか」
「だからそういうことでいいと私は思ってますよ。保育園が一緒になったのはたまたまです」
「信じられないですよ。これが偶然ですか?」
「そうだと言ってるじゃないですか。こんな嫌がらせをして楽しいんですか?そりゃ不倫をしていたのは悪いと思ってますよ。でも私たちは愛し合っていたんです。そして子供を授かったんですよ。だから一緒になりました。それがそんなに不満ですか?」
私は彼女の言葉に凍りついた。
「は?何を言ってるんですか?不倫してたって言いましたよね」
「あれ?もしかしてこのことは聞いてなかったんだ?」
嘘でしょ。4年前から、この2人は関係があったの?
「私はてっきり離婚後に出会ったのだとばかり思ってましたよ」
「もう別にそんなのは今更どうでもいいでしょ。住んだことじゃない」
「ふざけないで。そんなことで片付けていいわけがないわ。たけしは私のことをずっと裏切っていたのね」
「それもこれもあんたが子供を産まないから悪いんでしょう」
「どういうこと?」
「たけしはずっと子供が欲しくてたまらなかったのよ。なのにあんたは全然子供を見らないから。そのことにずっと不満があったのよ」
「たけしが子供のことでイライラしてたのは分かるわ。でもあれは私が悪いわけじゃ…」
「まあ、実際はそういうことだったみたいね。検査でも問題なかったみたいだし。とはいえ、私とたけしの間にはすぐに子供ができた。あんたと違うのはきっと愛情があったからよ。子供って愛の結晶ってよく言うでしょ。だからあのままあんたたちが一緒になっててもきっと子供はできなかったと思うわ」
頭がクラクラする。私はずっと、自分に問題があると思っていた。検査の結果は何も問題なかったのに、なぜ妊娠しないのか悩んでいた。その間、たけしは他の女と関係を持っていたなんて。
「もう待って。頭がクラクラするわ」
「あなたはずっと何を言ってるの?なんで私の言ってることが分からないのよ。保育園に預けている子ってあなたの連れ子じゃないの?あなたも再婚で連れ子をたけしと育ててると思ってたけど」
「違うわよ。勝手に決めつけをするな。哲夫は私とたけしの子供よ。実際に子供ができたからたけしはあんたを捨てて私のところに来たんだから」
「嘘よ。そんなわけないわ」
「混乱してるところ悪いけど、私たちの要求を飲んでもらうわ。さっさとこの保育園から出ていけ。私はこれから2人目、3人目って子供を作りたいと思ってるの。それなのに不妊で捨てられた女がいると縁起が悪いのよ」
私は不妊だから捨てられたのね。そう理解した瞬間、心の中に何かが固まっていくのを感じた。
「わかった。それじゃあたけしと話し合いをするわ。それでどうするか決めることにするから」
「話し合いの余地なんてないって言ってるでしょ」
「いいえ。ちゃんと伝えないといけないことがあるから。それ次第でたけしも出方が変わってくると思うわ」
私はたけしに電話をかけた。そして、真実を伝えることにした。
「たけし、保育園のことで話があるの」
「なんだよ。さっさと出てけよ」
「ついさっきさち子さんから連絡があったわ」
「は?さち子が」
「あなたが仕掛けたわけじゃないんだ」
「俺がそんなことするか。あいつ勝手なことを」
「さち子さんも私に出ていって欲しいみたいよ」
「そりゃそうだろ。元嫁がいるなんて気まずいだろうし」
「気まずいなんて思う性格じゃないでしょ。それで出ていくって報告をしに来たってわけだ」
「いえ、ちょっと聞きたいことがあって連絡をしたの」
「聞きたいこと?」
「哲夫君ってあなたの息子なの?連れ子じゃないの?」
「そんなわけあるか。あいつは俺とさち子の間にできた最愛の息子だよ」
「いや、あんた種なしじゃん。それなのに子供なんてできるわけないから」
「あ?あなたは子供が作れない体なの。そのことを伝えておこうと思ってね」
「何を言ってるんだよ。俺が種なし?」
「そうよ。私が子供があまりにもできないから検査をしようって言ったの覚えてる?その時にお互いに検査して、あなたの結果は私が代理で受け取ったでしょ。その時にあなたが不妊であることを伝えられたの」
沈黙が続いた。やがて、たけしの震える声が聞こえてきた。
「嘘だ。そんなわけがない」
「信じられないかもしれないけど、これは全て事実だから。もし疑わしいと思うのなら検査をしてみて。私の言った通りの結果が出るわよ」
「そんなバカな」
「だからあなたとさち子さんの間に子供ができることはない。哲夫君がどういうことなのかは、さち子さんと話し合いをしたらいいと思う」
「ふざけるな。その言い方だと哲夫は別の男の子ってことに」
「私からそれ以上言うことはできないわ」
それから30分後、さち子から電話がかかってきた。彼女は泣き叫んでいた。
「あんたどういうことよ。たけしが子供ができない体っていうのは本当なの?」
「そうよ。私は検査結果を知ってるから」
「なんでそれを黙ってたのよ」
「あんたにその話す必要はないわ」
「たけしが電話でめちゃくちゃ怒ってたんだから」
「それを私に言われても困るわ。悪いのは全部あなたなんだから」
「これからどうしたらいいのよ」
「知らないわ。夫婦で話し合って決めたら。でも何よりもまずは哲夫君のことを考えてあげてね」
「黙りなさいよ。偉そうに言ってくるな。ここまでバレずに来れたのに。どうしてこんなことをしたの?」
「しょうがないでしょ。妊娠した男が金も持ってない。顔がいいだけのやつだったんだから。そんなやつと結婚しても幸せになんて慣れっこないわ」
「だからたけしの子供だって嘘をついたのね。でも別に悪意があったわけじゃないから。たけしは子供が欲しいってずっと言ってたのよ。その夢を叶えてあげたってだけだからね」
「そんな言い訳が通用するわけないでしょ。あなたがやったことは最低のことよ。誰も幸せにならない選択をしたの」
「もしこれで離婚なんてことになったら…」
「そうなる可能性が高いの?たけしの様子から見るとそうなりそうよ」
「そう、大変ね」
「他人事みたいに言わないで」
「他人事よ。あなたがどうなろうと知ったこっちゃないわ。それと私からもあなたに慰謝料を請求しておくからそっちの方の手続きもよろしくね」
「え、慰謝料?」
「そうよ。だってあなたの不貞が原因で私たちは離婚をすることになったんだから。その責任はきっちりと取ってもらうからね」
「待ってよ。あれはもう4年も前の話よ」
「関係ないわ。私はついこの間知ったんだから」
3日後、たけしが私の家の前に現れた。
「さち子を訴えたらしいな」
「あら、ちょっと時間が空いたわね。もしかしてずっとさち子さんと話し合いをしてた?」
「ああ、そうだよ。正直どうしていいか分からない状況だ」
「そう。それで何よ?」
「俺にも慰謝料を請求するつもりなんだろう」
「当たり前でしょ」
「俺たちだけを悪者にするなんて許さねえからな」
「は?悪者はあんたたちだけでしょ?とりあえず旦那の連絡先を教えろ」
「いやよ。あんたと関わって欲しくないわ」
「大事な話があるんだ。逃げるような真似は許さねえぞ。保育園の前で待ち伏せしてもいいんだからな」
しぶしぶ、かゆの連絡先を教えた。10分後、かゆがたけしと話すことになった。
「お前らだって不倫をしてただろう。それなら慰謝料を払うのは当然のことだ」
「私たちは不倫をしていません。私たちは元々学生時代の友人でしたが、4年前の同窓会で再会をしたんです。それまでは卒業してから会うことすらなかったです。連絡先も同窓会の時に交換をしたので」
「4年前ってことは、俺と離婚した後か」
「そうです。実は俺も離婚をしていたんですよ。あなたと同じように一方的に家を出て行かれて。境遇が同じだったということで仲が良くなって、2人で痛みを分かち合っていたんですが、とても素敵な人だったので俺から告白をして付き合うようになったんです」
「なんだよそれ。本当にそうなのか?」
「不倫を疑うのなら探偵でも何でも使って調べてもらっても構いませんよ。我々には後ろめたいことは何1つありませんから」
たけしはさらに問い詰める。
「子供はな、何ていう名前だったっけ?ゆうとだっけ」
「どう思う?親なら大体分かるはずだ。自分の子供だって思うのか?」
「何を言ってるんですか?そうに決まってますよ」
「まあそう言うしかないよな」
「今はとても辛い状況だとは思います。色々と気持ちの整理もつかないでしょう。でも子供には何の罪もありません。哲夫君のこともできれば自分の子供だと思って愛してあげてください」
「そんなことお前に言われる筋合いはない。それに俺にとって哲夫はもうどうでもいい存在だ」
「え?どうでもいい?」
「あいつは他人の子供だ。そう思うと全然似てないし。可愛くも何ともなくなった」
あまりの言葉に、私は怒りが込み上げてきた。たけしは以前、哲夫のことを「俺にそっくり」だと言っていたのに、実の子じゃないと分かった途端に、その態度を変えたのだ。愛は血の繋がりで決まるものではない。私はそんなたけしが、ただただ気持ち悪かった。
「やめてください。哲夫君は何も悪くないんです」
「俺だって何も悪くない」
「何もというのは違いますよ。あなたは不倫をしていたし、さなえのことを切り捨てたでしょう」
「それはあいつがいつまで立っても子供を産まないからだ」
「原因はさなえではないと分かってますよね」
「本当にそうなのか。あいつが嘘を言ってるんじゃないのか。何かを隠すためにそんな嘘を言って俺を撹乱しようとしてるんじゃないのか」
「色々な真実を突きつけられて混乱されてるんだと思います。今はとりあえず落ち着いた方がいいですよ。冷静さを取り戻してから奥様とこれからのことを話し合ってください」
「お前、勝手に話を切り上げようとするな。俺はまだ言いたいことが山ほどあるんだ」
「それはこっちだって一緒ですよ。散々のことを傷つけておいて、まだ関わってこようとするなんて。こっちはもう幸せに暮らしてるんです。もう、さなえのことも私たちのことも放っておいてくれませんか?」
「ほらな、やっぱり俺を排除しようとしてるな。それはつまり何か隠してることがあるということだ」
「バカげてる。もう何も言うことはありません。ブロックをさせてもらいます」
かゆがそう言って、通話を切りました。私は不安でいっぱいだった。
「たけしさんはちょっと危ないかもしれない」
「へ?何を話したの?」
「正直最後は会話になってなかったよ」
2週間後、たけしから再び連絡が来た。今度は電話ではなく、保育園の前に現れたらしい。保育園からも苦情の連絡が来るようになった。
「たけし、もうやめなさい」
「ようやく連絡してきたか。こっちがどれだけ待ったか分かってるのか?」
「保育園の前でずっと待ち伏せをしてるでしょ。保育士さんから困ってるって連絡が来たのよ。今すぐにそんなバカなことはやめなさい」
「お前、俺のことを避けてるだろう」
「当たり前でしょ」
「やっぱりな。認めたか。急に俺が種なしとか言い出してあんな嘘を言うなんて、何か隠してるとしか思えないんだ」
「検査は受けたの?」
「受けるわけないだろ。嘘に決まってるんだからな」
「嘘じゃないわよ。どうして私が嘘を言うのよ。ゆうとは俺の息子だからだろう。ゆうとが俺の息子だってバレるのがまずいから、そんな嘘を言ったんだ。そうに決まってる」
「お願い。あなたは頭がおかしくなってるわ。検査は受けなくていいから病院に行った方がいい。精神的なケアがあなたには必要よ」
「黙れ。俺のことを病人扱いするな。俺の精神状態は極めて正常だよ」
「普通じゃないわ。みんながあなたに迷惑をしてるの」
「そうやって俺を悪者にしやがって。俺から子供を奪ったお前だって悪いんだからな。今すぐゆうとに会わせろ。ゆうとに本当の父親が誰かを教えてやる」
「やめなさい。ゆうとには近づかせないから」
「そうやっていつまで隠しておけるかな。俺はお前らが根負けするまで待ってるぞ」
私は、かゆが言ってた通りだったと確信した。たけしは危険だ。私たちは対策を取らなければならなかった。
「やっぱりかゆの考えは正しかったわ」
「何がだよ」
「かゆがあんたの異常性に気づいて対策をしようって言ってくれたの」
「対策?」
「私たちはそこの保育園を使ってないわ。私が会社の上司に事情を説明して在宅勤務に切り替えてもらったの。だから今は保育園に預けることはしてないの」
「嘘だろ?」
「本当よ。でもいつまでもこれを続けるわけにはいかないわ。だから今は引っ越し先と新たな保育園探しをやっているところ。とにかくあんたのような異常者からは距離を取らないといけないからね」
「待ってくれよ。本気でそんなことをするのか」
「当たり前でしょ。子供を守るためなら私たちは何だってするわ」
「ゆうとは俺の子供なんだよ。だってあんなに俺にそっくりなんだぞ」
「いい加減にしなさい。あんたと離婚して2年後に生まれてるのよ。どう考えてもあんたの子供じゃないでしょう。それに、もしあんたの子供だったとしても、今のあなたみたいになっているかもしれない。そんな人に会わせるわけにはいかないわ」
「それは、なんか変な手段を使って…」
「どうして私がそこまでして隠さないといけないのよ。子供ができたのならあんたに伝えて認知をしてもらうわ。なんでわざわざ隠して生活をしないといけないのよ」
たけしは黙り込んだ。私は続けた。
「検査結果を伝えなかったことは私の判断だった。あなたが子供を欲しくて仕方ないのは分かってたから。子供ができないって分かると傷つくと思ったの。でも私は子供ができなくてもあなたと一緒にいたいと思った。だから伝えなくてもいいと思ったのよ。それで混乱してるかもしれないけど、現実をちゃんと受け止めなさい」
「ゆうとは俺の子だ。2人で育てよう。それがゆうとのためになる」
「たとえあんたとゆうとが血が繋がっていても、あんたはゆうとの父親にはなれない。不倫なんてする最低野郎が父親でいいわけないから」
「そんなこと言うなよ」
「もう2度と私たちの前に現れないで。あんたの顔を見るだけでこっちはすっごく不快な気持ちになるのよ。この気持ち、あんたも分かってくれるでしょう」
その日から、私はたけしに慰謝料を請求した。ただ、たけしは子供が作れないという事実を受け入れることができず、精神的に壊れてしまったみたいだった。仕事にも行かなくなり、公園や近くの幼稚園などを回っては、自分の子供を探しているらしい。もちろん、そんな子は存在しないので、どこでも不審者扱いされ、たくさんの公共施設や店を出入り禁止になったそうだ。
さち子もたけしに捨てられて、哲夫君と2人で生活することになった。ただ、私への慰謝料の支払いなどもあるので経済力が必要ということで、飲み屋で知り合った男と一緒に暮らすようになったそうだ。でも、その男は一緒に暮らし始めた矢先に、さち子のお金や貴金属を盗んで消えてしまった。そのせいでさらに生活が苦しくなったそうだが、誰も頼ることができず、1人でなんとか哲夫君のお世話をしているようだ。
本当に、哲夫君だけは幸せになってもらいたいと思う。何も悪くない子供なのに、大人の身勝手な都合でこんなに不幸せな思いをしている。私は、ただ祈ることしかできなかった。
一方の私は、無事に引っ越し先とゆうとを預けられる保育園が決まった。たくさんの苦労があったけど、夫が本当に頼りになる存在だなと改めて感じた。もちろん夫に甘える気なんてない。これからも2人で力を合わせて、ゆうとを幸せにしていきたいと思う。



