息子の誕生日会で、呼んでもいない義母が現れた。私は友人たちとの飲み会を邪魔されたくなくて、本音のLINEを誤送信してしまう。「赤の他人が紛れ込んでるといまいち盛り上がらないんですよね」──その一言が、すべての始まりだった。義母は黙って帰ったが、翌日から夫が何かおかしい。義母への態度を責める夫に、私は言い返した。「お祝いの額で付き合い方を変えるの?」そして3ヶ月後、義母の母が亡くなり、葬儀の香…

息子の誕生日会で、呼んでもいない義母が現れた。私は友人たちとの飲み会を邪魔されたくなくて、本音のLINEを誤送信してしまう。「赤の他人が紛れ込んでるといまいち盛り上がらないんですよね」──その一言が、すべての始まりだった。義母は黙って帰ったが、翌日から夫が何かおかしい。義母への態度を責める夫に、私は言い返した。「お祝いの額で付き合い方を変えるの?」そして3ヶ月後、義母の母が亡くなり、葬儀の香...

「ごめんなさい。母にLINEしたつもりが、間違えてお義母さんに送っちゃって」

そう言って、私は慌てて取り消そうとした。でも、もう遅かった。

画面の向こうで、義母・リサさんが既読をつけていた。

「そうなのね。さすがにそんな風に思われてるなんて、ショックだわ」

「すみません……でも、本音なんで」

息子の誕生日パーティー。私は20人近い友達や親戚を呼んで、盛大にやるつもりだった。庭にはすでに大勢の客が集まっている。なのに、主役の息子は駅まで自分の母を迎えに行っていて、いない。そこに、呼んでもいない義母がのこのこと現れた。

「勝手に来られると、盛り上がらないんですよね」

「随分とたくさんの『赤の他人』が来てるようだけど。庭にも人が溢れてるわよ」

「友達とか親戚ですから。赤の他人とは違います」

「どうしてこんなに盛大にしたの?」

「プレゼントがもらえるからに決まってるじゃないですか」

「そんな理由で?」

「何か文句あります?」

「いや、別に」

義母は呆れたようにため息をついて、帰り際にプレゼントを差し出してきた。

「お誕生日おめでとう。いつも子育てご苦労様」

「ああ、プレゼント何買ってきたんですか?」

「1歳の男の子が遊びそうなおもちゃとか、絵本を選んだの」

「マジか。もういらないんで、持って帰ってください」

「せっかく夫と選んだのよ。はる樹君は気に入ってくれるかもしれないじゃない」

「ゴミになるだけなんで」

「ひどすぎるわ」

「優しい方だと思いますよ。会話してあげてるだけマシでしょ」

「もういいわ。じゃあ帰るわね」

「やった」

翌日、夫の裕二がキレていた。

「お前、なんであんなことしたんだよ。母さんがすごく落ち込んでたぞ」

「なんで話しかけてくれないのよ。ずっとビール飲んでたじゃん」

「リサに言われたんだよ。『義母が来ても無視してろ。そうすれば居心地悪くなって5分で帰るだろ』って」

「何なのよそれ。だったらどうして呼んだの?」

「お祝い目当てに決まってるじゃん。でもおもちゃとか本だろ。リサががっかりしてたぞ」

「あなたはリサさんの言動に対して何も思ってないの? プレゼント次第では1時間くらいならいさせてやってもいいって言ってたのよ」

「何だったら満足だったの? 現金じゃね?」

「それはあなたたちが嬉しいだけじゃない。私は孫が喜ぶものを渡したかったのよ。それこそエゴじゃないか。自分たちがはるきに好かれたいだけだろ」

「あなた、どうしちゃったのよ。結婚する前は優しい子だったじゃない」

「別に変わったつもりはないけどな」

「親を無視するなんてありえないでしょ」

「でもさ、リサのお母さんはちゃんと現金で10万円くれたよ」

「お祝いの額で付き合い方を変えるっていうのね」

「庭付きの家を買って俺らが苦労してることくらい分かるだろう」

「そういう気遣いの話をしてんだよ」

「そうね。気が利かない親で悪かったわ」

「ふて腐れんなって」

「そっちがそのつもりなら、それでいい」

「どういう意味?」

「今後関わらないってこと?」

「まあ俺たちは困らないけど。孫に会えない老後でいいのか? 会うためには多額のお布施が必要なのよね。まあ10万くらいもらえたら嬉しいけど」

「そんなことをするつもりはない」

「あっそ、分かった。じゃあそういうことで」

3ヶ月後、リサさんのお母さんが亡くなった。

「今夜が通夜で、明日が葬儀だ。お父さんと行くから、会場だけ教えて」

「分かってるよな?」

「何が?」

「香典だよ。言われなくても包まないなんてことはしないわよ。じゃなくて中身の話だってば。恥ずかしくない額にしてくれって言ってんの」

「こんな時にまでお金の話をするの? ただでさえリサさんはショック受けてるんだよ」

「少ない香典だったら、余計落ち込むだろう。意味が分からないわ。お祝いも香典も、人の気持ちを測るものじゃないの」

「俺もバタバタで相手できないから、迷惑かけんなよ」

翌日の葬儀。私たちが受付に近づくと、リサさんが血走った目で詰め寄ってきた。

「何しに来たんですか? 私を笑いにでも来たんですか?」

「何を言ってるの? 私たちは息子から連絡を聞いて、葬儀に伺っただけでしょ」

「香典、開けてびっくりしました。1万円って何ですか? バカにしてるんですか?」

「お母様を失ってショックだとは思うし、きついことは言いたくないけど、その言い方はあんまりじゃないの?」

「どっちがですか? 私の母は1万円そこそこの価値しかないって、失礼なことしてるのはそっちじゃないですか?」

「もう話にならないわ」

「こっちのセリフです。お金、お金って、それしか頭の中にないの?」

「そうですよ。生きていくには必要ですからね」

「今日くらいはお母様を思ったらどうかしら?」

「悔しいんでしょ。なんで分からないんですか?」

「そうね。あなたとは一生分かり合える気がしない。今日で最後にしましょう」

「願ったり叶ったりですね」

「今後、お互いに何があっても連絡しない。それでいいわね」

「結構です」

1年後。私はスマホの画面を見つめながら、思い切ってメッセージを送った。

「お母さん、ご無沙汰してます。お元気ですか?」

既読がついた。ブロックはされていなかった。

「リサさんです。ああ、よかった。ブロックされてなくて」

「設定の仕方が分からないから、そのままにしてただけよ」

「嬉しいです。1年も連絡できずに申し訳ありませんでした」

「今更何なの? もう連絡しないっていう話で終わったわよね」

「あんなの真に受けないでくださいよ。お祝いや香典が少ないという理由で私たちを遠ざけたのはあなたよ。忘れたとは言わせないわ」

「あの時は私も育児疲れでどうかしてたんです。そのことをどうしても謝りたくて。1年経ってから、申し訳ないと思ったってこと」

「実は色々大変だったんです」

「そうですか。頑張ってください。では」

「待ってください。今本当に困ってて、助けて欲しいんです」

「お金なら貸さないわよ」

「違うんです。実は、はるきの面倒を見て欲しくて」

「なぜ?」

「近くの保育園に入れないんです。遠くなら空きがあるんですけど、電車とバスで乗り継がないといけなくて。仕事を始めたんです。はるきの将来のためにお金を貯めてあげたいんです」

「それはいい心意気だけど、私にできることはないわ」

「お母さん、1年前は本当に申し訳ありませんでした。私、何もかもが間違っていました」

「親友が嫁姑問題で苦しんでて、お祝い事とか全部口出ししてきて、本当に鬱になる寸前まで追い詰められてたんです。最初のうちに強めに出ておいた方がいいってアドバイスされて、受けちゃいました」

「それは他の人の話でしょ?」

「そうなんですけど、でも、つい」

「事情は分かったわ。だからと言って、あなたたちの行いが消えるわけじゃない」

「はい、分かっています。チャッピーもひたすら謝るしかないって言うし、私もそうだなと思ったので」

「チャッピー? 誰なの、それ?」

「ああ、ご存知ないですか? 私の頼れる相談相手です」

「へえ」

「保育園が見つかるまででいいんです。じゃないとはるきを預けたまま働くことになります。それは職場も許さないでしょう。毎日とは言いません。たまにでいいんです」

「本当に反省してるのね」

「もちろんです。LINEではあれなので、改めて夫と一緒に謝罪とお願いに伺わせていただきます」

「夫に相談してみるわ」

「よろしくお願いいたします。はるき、お父さんのお顔によく似てきたんですよ」

「血のつながった孫だものね。分かった。前向きに検討するわ」

数分後、リサさんは旧友のマイクさんから電話がかかってきた。マイクさんは、昔日本に来たばかりでお金がなくて困っていたところを、リサさんが1万円を貸してくれた恩がある外国人だ。以来、毎年連絡を取り合う仲だった。今は日本全国を旅しながら、広島で師匠のもみじ饅頭焼きの手伝いをしている。

「みか子様、久しぶりじゃけの! で、何があったん?」

リサさんは、息子夫婦からの突然の連絡と、その内容を話した。

「孫のプレゼントが安っぽいとか、香典が少ないとか、理不尽なことばかり言われてね。私も音を上げてしまって」

「怒って当然じゃ」

「そうね。ただ、今後働くのに保育園が見つからなくて、たまに見て欲しいって言うのよ」

「うーん。息子夫婦は腹立たしいけど、孫に罪はないからね」

「それで迷っちゃって」

「嫁が『チャッピー』っていう外国人のお友達に相談してるって言ってたから、ふっとマイクさんのことを思い出したのよ。第三者視点でどう思うかしらと気になって」

「おいおい、チャッピーはAIだよ。ChatGPT聞いたことない?」

「あるわ」

「じゃあ、AIに謝れと言われて連絡してきたってこと? 適当なやつだぜ」

「やっぱりもう関わらない方が良さそうね。断るわ」

「いや、ゆうたち、預かっちゃいなよ。みか子様と旦那様は可愛い孫に会える。僕はその間に、息子夫婦がなぜ今になって連絡してきたかを探る」

「マイクさん、探偵を始めたって言ってたわね。そんなことも調べていただけるの?」

「お任せあれじゃ。最近、息子の小さい頃を思い出すの。動物が大好きな子でね。動物園への年間パスも買ったのよ」

「孫ちゃんとズーに行ったらいいじゃん。もう2歳だし、歩き回って大変そうだけど、久しぶりに行ってみようかしら」

「あとは任せて。でもマイクさんは忙しいんじゃない?」

「広島の師匠は牡蠣の養殖をしてる。今はオフシーズンだから、もみじ饅頭焼いとんのじゃ。終わったら連絡するからね」

翌日、リサさんは私に連絡をくれた。

「リサさん。昨日のお話だけど、夫とも相談して、今回は協力することにしたわ」

「本当ですか? ありがとうございます。お母さんならそう言ってくれると思ってました」

「保育園が見つかるまでということでいいわね」

「もちろんです。助かります」

「ただし、私は1年前のことを許したわけじゃないわ。あれはあんまりだった」

「分かってます。本当に反省しています」

「悪いけど、『すみませんでした』と簡単に信じることはできない。一旦その言葉は預からせていただくから」

「はい。それで構いません。じゃあ、明日から早速お願いしてもいいですか?」

「分かったわ。大事にお預かりします」

1ヶ月後。リサさんは困惑していた。

「リサさん、もう22時を過ぎているんだけれど、まだ仕事? はるき君、もう寝てしまったわよ」

「すみません。今仕事が終わったところで」

「ちょっと最近帰りが遅すぎないかしら?」

「残業代稼がないとやっていけないんですよ」

「竜二はどうしたの? 連絡しても既読がつかないけれど」

「あの人は私より忙しいんです」

「最初は週に2、3日だったけど、最近じゃ毎日よ。土日も預けっぱなしだし、限度を超えてるわ。はるきもお母さんたちに懐いてるし、孫と過ごせて嬉しくないんですか?」

「まだまだママが恋しい時期なのよ。一緒に過ごす時間を作ってあげてほしいの」

「うちの子はメンタル強めなんで、平気です。もう寝てるならそのままお願いしますね」

「は? それはダメでしょ。迎えに来なさい」

「もう疲れちゃったので、休ませてください。おやすみなさい」

翌日、マイクさんからリサさんに連絡が入った。

「みか子様、オーマイガ。息子夫婦の闇、深かったわ」

「何か分かったの?」

「リサは昼の仕事なんてしてない。キャバ嬢じゃ」

「え?」

「そもそも保育園の申し込みすらしてない。しかも稼いだ金は全部『ひろし・シューティングスター』に注ぎ込んどるんじゃ」

「スター? 何それ?」

「ホストの源氏名だよ。元は売れない4流ホストだったけど、最近メキメキと頭角を現してきよるんじゃ。リサは『シューティングスター』に会うために、みか子様をただの託児所にしたんじゃ」

「嘘でしょ? 許せない」

「竜二も竜二じゃ。会社は首になっとった。いい会社に入って真面目にやってたのよ。無断欠勤と借金トラブルで追い出されたんよ」

「信じられない」

「夫婦関係はとっくに破綻しとるし、今はネットカフェで寝泊まりしとる。リサの母さんが残した遺産が5000万あったんだって。2人ともそんな大金に興奮しちゃって、派手に遊びまくっちゃったわけさ」

「だからってなんでホストとかキャバクラって話になるの?」

「金銭感覚が狂ったんだ。一度でもいい生活を送ったら、なかなか元の質素な暮らしには戻れない。それが人間ってものさ。悲しいけどね。でも、美徳ってものがあったら、ちゃんとした人は戻れる。みか子様みたいな人はね。でもあいつらみたいなアホは違う」

「子供もいるって言うのに情けない」

「みか子様、僕に任せて。追い詰め屋の本領発揮させてもらうわ」

「何それ? 探偵さんじゃなかったの?」

「実はこっちが本業なんだよね。まあ、お金はもらわないからボランティアなんだけど」

「何をするの?」

「暴力に触れない、ストレスのジワジワ攻撃ってやつじゃ」

「マイクさんが捕まったりするのは嫌よ」

「そんなことはしないぜ。それに今は広島なんでしょ? わざわざ関東まで来ていただくなんて申し訳ないわ」

「みか子様、もうカレー屋の前で泣いてた頃のマイクじゃないんだぜ。たくさんの仲間が増えて、彼らが動いてくれるよ」

「頼もしいわ。何から何まで甘えてしまっていいの?」

「任せとき」

数日後、リサさんはひそかに動き始めた。マイクさんの指示で、キャバクラ嬢のリサに、ホストのふりをしたマイクさんがLINEを送った。

「ひろし君、今日もお店行くからね」

「もう来ないでくれ」

「え? なんでそんなこと言うの?」

「子供の面倒も見ずに遊ぶ女は嫌いじゃけの」

「何その喋り方?」

「わしは広島の男じゃけ」

「知らなかった。でもワイルドでかっこいい。でもね、子供のことは誤解なの。義父母が喜ぶから預けてあげてるだけなのよ」

「じゃから親ならちゃんとせえ」

「分かった。でも今日だけはお店に行かせて」

「わしはしばらく休みじゃボケ」

数分後、私ことリサさんから義母に連絡が入った。

「お母さん、すみません。今日は迎えに行きますね」

「え?」

「私が間違ってました。はるきのことお任せしたばかりじゃダメですよね」

「まあそうだけど」

「今まですみません。ちゃんとやりますので」

「分かった。待ってるわね」

翌日、リサさんはマイクさんに聞いた。

「マイクさん、一体どんな手を使えばリサさんが回心することになるわけ?」

「僕が『ひろし・シューティングスター』になりすましたのさ」

「へ?」

「ひろしからリサに『LINE変えた』って連絡させて、僕に繋いでもらったってわけさ」

「そうなのね。久しぶりに迎えに来たから驚いたわ。でも、これは一時的なものだから、また始まると思うよ」

「それでも一歩前進よ。はるき君も嬉しそうだったし」

「引き続き継続するから、朗報待ってて」

「ところで息子の方はどうしてるのかしら。クズとは分かっていても、心配で」

「こちらも引き続き調査中だよ。ちょい待っててね」

数日後、リサさんはキャバクラに行こうとするたびに、なぜか道を尋ねられたり、落とし物を拾ったおばあさんに2時間引き止められたりして、なかなか店にたどり着けなくなった。そして、ひろしからのLINEは来ない。

「ひろし君、助けて。お店に行こうとするとなぜか……」

「僕は今日もお休みだよ」

「え、そんな……牡蠣が当たったよ」

「嘘? 大丈夫なの?」

「心配いらないよ。ひろし君に会えないなら、キャバで稼ぐ意味ない。僕は子供を大事に育てる女性を尊敬するよ。そんな人と一緒に生きていきたいのさ」

「ひろし君……私、育児頑張る」

「勝手にせえ」

翌日。マイクさんからリサさんに連絡。

「みか子様、ごめん。ちょっとおふざけしすぎたかもしれないから、もうすぐ気づくと思われる。ホストになりすましてることが」

「うん」

「でも、どうやってもホストクラブにはたどり着けないよう妨害してるから、大丈夫だよ」

「そんなこと、一体どうしたら可能なの? 主犯はあなたなのね。気になるわ。次は竜二だ。居場所はもう特定した」

「どこにいるの?」

「ネットカフェ生活もお金が続かなくて、今は女の家に転がり込んでる」

「は? あの子たち、もう離婚してるの?」

「してない。意味が分からない……本当に何考えてるのかしら」

「近いうちに竜二から連絡が来ると思う。その時に、今から送るメモの言葉以外は言わないでくれる?」

「それは構わないけど、どんな効果があるの?」

「ゲーム」

数日後、夫の竜二から義母に電話が入った。

「母さん、久しぶりだね。ある人から体調悪くしたって聞いたんだけど、大丈夫?」

「わしは、飯は食ったかね?」

「え? 今ご飯の話はしてないよ。実はリサとはうまくいってなくて、はるきとも会えてないんだ。孫の顔も見せてやれず申し訳ないと思ってる。近々、俺も実家に顔出していいかな?」

「わしは、飯は食ったかね?」

「母さん、どうしたの? 入力ミス? さっきも同じこと言ってたけど……」

「パンがなければ、お菓子を食べたらいいじゃない?」

「いきなり何言ってんの?」

「子供がまだパンを食ってる途中でしょうが」

「母さん、大丈夫か? わしゃ、パンは食ったかね?」

「ちょっと待ってくれよ。やばいことになってるじゃないか。すぐに帰る。一緒に病院に行こう」

数分後、リサさんにマイクさんから連絡が入った。

「マイクさん、本当に息子から連絡が来たわ」

「そっか」

「でもごめんなさい。最初は言われた通りのことを言えたんだけど、途中でパンとか飯とかごっちゃになっちゃって」

「構わん。ボケたふりのカウントダウンだから、それでいいのさ」

「やっぱりそういうことだったのね。でも竜二ったら結構慌ててたわ。親がそうなったら心配するのが子だよ。いくらクズでも、人の心は1ミリくらいは残ってたね」

「それはありがたいんだけど、素直に喜べない。これで息子が帰ってきたら、私たちはどうしたらいいの?」

「大丈夫。たどり着けないから」

「また一体どうなってるのよ」

「週末、次の返信スクリプトも送っておくから。それ以外の言葉は使っちゃだめだよ」

翌日、竜二からまた連絡が来た。

「母さん、ごめん。帰りたいんだけど、どうやっても帰れないんだ。パン、症状が悪化してる。父さんとも全く連絡がつかないんだ。パン、俺がそばにいれば、こんなことにならなかったのに。孫の顔を見せてれば、ボケずに済んだんだよな。パン。そういえば母さんがたまに焼いてくれたバターロール、美味しかったな。パン。母さんが焼いたパンが食べたいよ。俺さ、リサとうまくいかなくなって家を出たんだ。お母さんの遺産で浮かれてさ、子供をシッターに預けて好き放題使ってたら、1年も持たずにあっという間に消えて、気づいたら生活レベル落とせなくなってたんだ。パン。2人で借金重ねて、せっかく買った家も売ってしまった。リサの言うことに逆らえずに、孫にも合わせずに、悪かったよ。早く駆けつけてやりたいんだけど、なぜか帰れなくて。電車でおばさんが『触られた』って騒いで警察に拘束されたり、行く先でお年寄りが倒れてて毎回病院に付き添ったりで、なかなかたどり着けなくて。パン。もう俺のことも覚えてないんだろうな。まともに会話もできなくなる前にもっと親孝行しておくべきだった。パン。悪かったよ。はるきにも会いたい。リサがまともに子育てしてるとは思えない。心配だけど、連絡も取れないし、本当に後悔してる。5時は後悔だったね。ごめん。必ず帰るから、もう少し待ってて」

数分後。

「マイクさん、『パン』しか言わない約束なのに、つい誤字を指摘してしまったの。ごめんなさい」

「もう満身創痍だよ。逆にリアリティがあってナイス」

「しかし、息子が実家にたどり着けないなんて、一体どういうことなのかしらって思うけど。主犯はあなたなのよね」

「イエス」

「どういう目的でこういうことをしてるのか、そろそろ教えてくれないかしら」

「人ってさ、大事なものを失わないと気づけない生き物なんだ。リサは推しのホストを失いかけてるけど、その代わり子供との時間が増えた。もう預けなくなったでしょ」

「確かに」

「竜二は、みか子様がボケたかもと思った途端に親の大事さに気づいた。家にたどり着けないことで、その気持ちはさらに大きくなってるはずさ」

「なるほど。すごいわね。ただ、また同じことを繰り返すかもしれないよ。なぜなら、あいつらはアホだからな」

「本当、おっしゃる通りだわ」

「みか子様は、今後は永遠に奴らを無視していいよ」

「え? せっかく立ち直ろうとしてるのに、手を差し伸べなくていいの?」

「『会えない時間が愛を育てるのさ』って、ジャパニーズシンガーが歌ってたじゃないか。本当に会いたいと思って、申し訳ないと思えば、きっと努力するのさ。それに、みか子様は認知症だと思われてるから、頼ろうとも思わないだろう。そういう目的もあったのよ」

「全部、僕の思い通りさ」

「私にとってあなたは最高の友達よ。本当にありがとう」

「どういたしまして。僕にとっても最高の日本のマドンナだよ。今回の費用はおいくらかしら?」

「知らねえよ」

「そういうわけにはいかないわ」

「みか子様だって、昔、1万円を受け取らなかったじゃないか。お互い様。日本人みんなそうしてる」

「そうね。じゃあ、ありがたくお気持ちとしていただくわね。僕が焼いたもみじ饅頭を送るから、今日には届くと思うよ」

「ええ、嬉しい。夫の大好物なのよ」

「ほんまどすか? そりゃよかったな。色々行きすぎて方言が混じってるわね。じゃあ、元気でな」

「はい。マイクさんもお体に気をつけて、旅を続けてね」

その後も、リサさんはどうしてもホストクラブにたどり着けず、竜二も実家に帰ることができなかった。そんな日々が続くうちに、2人は少しずつ目の前のことに向き合うようになり、再び一緒に暮らすようになった。そして、2人の間で笑うはる樹君がいかに大事なのか、やっと気づいたようだった。

ただ、重ねた借金からは逃れることはできず、2人はちゃんと昼の仕事に就き、はる樹君を保育園に預けながらも必死に働いている。さらに、5000万円の相続税を忘れていたらしく、加算税を含めた重い支払いを抱えたという。

確かにマイクさんの言った通り、『パン』しか言わない母を頼る気はないらしく、真面目に頑張っているようだった。そして、リサさんは何の縁か、保育園の補助員として働き始めた。たまたま孫のいる保育園に、たまたま働き口が見つかり、たまたま孫のクラスの担当になったのだが、息子夫婦には内緒にしている。

人は過ちを犯すものだが、誰かの手助けと道案内があれば、立て直すことができるのかもしれない。遠い国から日本に来た友人に、そんな大切なことを教えてもらった。もみじ饅頭はどうにかご近所や知り合いに配り終え、夫はしばらくは食べたくないと言っている。マイクさんは、次にどの街を旅するのだろう。

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