「タワマンに住みたいな」
妻のミキに突然そう切り出したのは、結婚して3年目のことだった。
「そろそろ俺たちも次のステージに行ってもいいんじゃないかなって。それがタワマンに住むことなんだ」
ミキは小さな会社の社長だ。若い頃から起業して、今ではちゃんと軌道に乗せている。
「芸能人でも、無理して高い家賃のところに住むことでさらに売上が上がったりするらしいぞ。駅前に立ってるタワマン、あそこまだ空きがあるんだって」
ミキは嬉しそうに「見に行ってみようか」と言ってくれた。
実は俺はもうモデルルームを見に行っていた。
「名義はもちろん俺でいいよ。支払いだけ手伝ってくれたら」
「もちろん協力して払うよ」
ミキは何も疑わずに頷いた。
その日の夜、俺はリオにLINEを送った。
「タワマン買えそうだよ」
「え、本当?」
「あいつアホだからさ。ちょっとおだてたら買おうか。だってちょろすぎて笑い止まらんわ」
リオは俺の愛人だ。ミキとは絶対にバレてはいけない関係だった。
「契約したら即、離婚してやるんな。あの銭逃げ女がごねたら無理じゃない?」
「大丈夫だって。ああいう女はプライドが高いから泣きついたりすがったりしないもんなんだよ」
俺たちは完璧な計画を練っていた。ミキの貯金は3億ある。1億のタワマンを買っても痛くも痒くもない。LINEの履歴は必ず消す。写真もだ。タワマンの鍵をもらうまでは、会社以外ではミキに合わせない。もし探偵でもつけられたら、すべて終わるからだ。
数日後、俺はミキとマンションギャラリーに行った。
「地方のタワマンって8000万くらいなんだね。1億ちょいじゃなかった」
「それなら最上階しかないだろう。でも、忘れ物したら30回まで戻るのだるくない?」
「3階が空いてたからそこにしようかと思うんだけど」
「はあ? そんなのタワマンでも何でもないだろう」
「2階は駐車場だし、将来子供が走り回っても気を使わなくていいし。良くない?」
「いやいやいや。なんで勝手に決めるんだよ」
「ごめん。でも1億超えたらさすがに賞の名義でローン通らないっしょ。8000万でギリギリだって言われたよ」
「マジか」
「私の名義にしとく」
「あ、言うな。そんなの男のプライドが許さない。ちょっと考えるわ。また連絡する」
その夜、またリオにLINEを送った。
「どうしよう。あのアホ女がタワマンの3階とか言い出した」
「はあ。そんなのそこら辺のアパートと変わんないじゃん」
「だろ? マジでケチりやがってさ。最上階がいいよ。じゃないとタワマンの意味ないもん」
「でもぶっちゃけ俺の年収だと8000万くらいが限度なのは本当っぽいんだ」
「そうなの? 年収1000万もあるのに」
「そうなんだよ。8000万のローンを組んだら月々の支払いが25万を超えるんだ。手取りが色々引かれて50万ちょいだから、半分も払うことになる」
「そんなんじゃ生活できないじゃん」
「だからあいつにマンション代を全部払わせるってわけ」
「そんなにうまくいくかな?」
「任せろって。俺には完璧な計画があるんだから」
リオは「し君と一緒ならどこでもいい。地下でも水中でもついていくよ」と言った。可愛すぎる。俺は一生この女を大事にしようと思った。
3週間後、ローンの本審査が通った。
「よかった。ミキが保証人になってくれたからだ。ありがとう」
「夫婦だもん。当然だよ」
ミキは保証人になってくれた。知らないだろうが、これもすべて計画通りだ。俺はミキに、リオが言ってくれた言葉をそっくりそのまま送った。
「俺は見えを張るためにミキと結婚したんじゃない。最上階の憧れはあったけど、俺が欲しいのはミキとの生活だから」
ミキはすごく喜んでいた。ああ、ちょろいわ。ちょろすぎて引くわ。
「ちょっとやめてよ。私が送った言葉をよそで使うなんてひどい」
リオにそう言われても、中身の入ってない空箱だからいいだろうと思った。
入居は1ヶ月後だった。俺はリオに、確実に離婚してから引っ越そうと言った。浮気がバレる奴らは本当に短絡的で頭が悪い。俺たちは賢く行く。
1ヶ月後、タワマンの鍵をもらった。そして、ミキに切り出した。
「悪いんだけど、離婚してくれないかな」
「へ? 何言ってるの? 家買ったばかりだよ」
「分かってる。でもミキとの未来が思い描けなくなったんだ」
「何それ?」
「本当に悪いと思ってる。謝って済む話じゃないと思うけど。タワマンは俺が住むよ」
「払えるの?」
「その前に大事な話がある。財産分与を要求する」
「は?」
「お前が起業してこの3年、俺は支えてきたよな。最初の1年はうまくいかなくて赤字だっただろう。だったら2年目以降の会進劇は俺の功労と言っても過言ではないよな。だから半分を要求する」
「ちょっと待ってよ」
「争うならそれでも構わないけど。基本は切犯だし、お前に勝ち目はないぞ」
「だったらそっちの預金も半分だよね」
「俺の口座はすっからかんだ。は、男には色々と付き合いがあるんだよ」
ミキはなぜこのタイミングなのかと問いかけた。俺は「家を買うってことは将来をじっくり考えるよな。その時にゾっとしたんだ。なんでミキとこの先ずっと一緒にいるのは無理だと気づいた」と答えた。
ミキは案外あっさりと離婚を受け入れた。
「分かった。手続きしておく。財産を隠しても無駄だからな。弁護士会紹介という方法を使えばお前の資産を調べることができるんだ」
ミキは「色々と現金化しないといけないものもあるから3ヶ月くらい時間が欲しい」と言った。株とかそういうやつだ。俺は「いらないなら私は助かるけど」と言った。いや、綺麗に切犯すべきだ。
3ヶ月か。まあ仕方ないな。
ミキは「今の家はそのまま住んでくれていい? 俺はタワマンに引っ越すから」と言った。ミキは頷いた。
その夜、リオに連絡した。
「やっと終わったよ。あいつと縁が切れた」
「本当終わったの?」
「うん。全然揉めなかった。財産分与ゲット」
「すごい。すぐに引っ越そう」
「うん。鍵は俺しか持ってないし、あいつに妨害することはできない」
「何から何まで完璧じゃん」
俺たちは2人の生活を楽しみにしていた。ただし、振り込まれるのは3ヶ月後だった。ミキは株を持っていて、現金化するのに時間がかかるらしい。その間のローンは、3ヶ月だけちょっと節約することになる。その後は手取りまるまる生活費にできるんだし、我慢しようと思った。
3ヶ月後、ミキから振り込みが完了したと連絡が来た。離婚届も提出しておいたらしい。ミキは「私も来週にはこの家を出ることにしたの。思い出がありすぎて辛いから」と言った。
俺の銀行口座には1億5000万が入った。
「本当に長かったね」
「もう頑張って米やし料理作らなくてもいいよ。リオが退職して1馬力だったから少し大変だったけど、もう大丈夫」
「こんな素敵なタワマンに住んでるのに食べ物も生活も質素すぎて泣きそうだった。でもやっと憧れのタワマンキラキラライフがスタートするんだね」
8000万を一括返済しても、まだ7000万も残る。新婚旅行でハワイに行こう。結婚式もしたいけど、それはもうちょっと落ち着いてからだ。3年しか経ってないとさすがに親や友達も引くから。
翌日、俺はミキに礼を言うLINEを送った。
「ミキー元気か? 一応俺から礼言っとこうと思ってさ。タワマンのローン一括返済ありがとうな」
「え、何それ? 私1円も払ってないけど」
「そうじゃなくて結果的にお前のおかげってこと。財産分与してくれたから一括で返済できるからさ」
「あ、そう」
「で、実はちょっと言えてなかったんだけど、最近運命的な出会いがあって再婚したんだよ」
「そうなんだ」
「お前と離婚して大正解。はい。もう全部終わったから言うけど、財産分与目当てで離婚したんだよな」
「何それ?」
「そのおかげでタワマンも買えたし、リオもすげえ喜んでる」
「良かったね。本当にそう思ってるのか?」
「もちろん」
「余裕ぶって惨めにならないように演技してんだろう」
「違うけど」
「社長だかなんだか知らないけどさ、女のくせに起業して俺の年収追い抜いた辺りからずっとむかついてたんだよ」
「言ってくれたらよかったのに」
「情けなくて言えるわけないだろう。1年目にお前が赤字を垂れ流して落ち込んでる頃はまだ可愛げがあったし俺が優位だと思えたけど、そこからがマジで気に入らなかったわ」
「そっか」
「新しい妻はお前と違って控えめだし、従順な専業主婦として俺を支えてくれる。家事を分担しようとかケチ臭いことも言わないし、最高に幸せだわ」
「おめでとう」
「最後までそうやって強がるのか。これ以上何を言えばいいの? 泣いて悔しがればよかった」
「泣いても戻らないんでしょ?」
「そうだな。だったら諦める。幸せになってね」
ミキは「同情するなら保証人を外す手続きをさせて欲しいの」と言った。
「ああ、そっか。お前のまんまだったな。私単独ではできない手続きなのよ」
「でも新しい嫁は収入ないしな」
「ご両親に頼んだら? そんなに金持ってないと思うけど、ご自宅の土地があるでしょ。開発も進んでるし、値段上がってるはずよ」
「マジか。ありだな」
「別れた夫が新妻と住むマンションの保証人でいるのは、さすがに精神的負担が大きすぎるの」
「分かった。親に頼んでみる」
「お願いします。一括返済はその後がいいわ」
「そうなの?」
「信頼できる保証人があなたには2人もいることになる。その方が銀行の印象がいいそうなの」
俺は翌日、父に連絡して保証人になってもらった。父は快く引き受けてくれた。
「そういえばちょっと前にミキさんが挨拶に来てくれたぞ」
「え、なんで?」
「離婚したんだってな」
「あ、いや、言おうと思ってたんだけど」
「まあ男女のことだ。色々あるだろう」
「まあね。意外と傲慢な女でさ、心が広い俺も我慢の限界を迎えたって感じなんだよ」
「そうか、そうか。後で新しい住所を教えてくれ。色々送りたいものもあるし」
「了解。よろしくね」
翌週、ミキから電話が来た。怒鳴り散らす声だった。
「ああ、お前ふざけてんの?」
「ふざけてるのそっちね。着信300件って何なのよ」
「150万しか入ってないじゃんか」
「そうだよ。お前の余金は3億あったはずだぞ」
「あったね。どっかに隠しやがったな」
「うーん。正確にはもう使ったと言った方が正しいかも」
「勝手なことすんなよ。夫婦で築いた財産ってのは切犯するのが基本なんだよ」
「知ってる。それを隠すのは悪質だと見なされるんだぞ」
「そこまで言うなら切犯する」
「本当にいいの?」
「当たり前だ。さっさとよせ」
「いや、だとしたらよすのはそっちだから」
「は?」
「あれは銀行や投資家から借りたお金なの。要するにマイナスの資産ってこと」
「え、助かった。半分も背負ってくれるの?」
「いや、ちょっと待て。嘘だよな」
「本当だし証拠もあるよ」
「あれは株の売却に時間がかかるって話だっただろう」
「私株なんて一切言ってないんだけど」
「でも売るとか言ってたよな」
「なあ、あれはトレカ。トレーディングカードね。価値が出るかなと思って集めてたんだけど、定価で出したら8万くらいだったから売るのやめたの」
「3ヶ月かからないよな」
「まあ余裕を持って3ヶ月にしておいただけだよ。そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「じゃあお前の貯金って300万しかなかったってこと?」
「うん。創業1年目の時に結構借金抱えたから、役員報酬はなるべく減らして事業資金としてプールしてるの。私貧乏社長なのよ」
俺は絶望した。ミキの貯金は3億ではなく、300万だったのだ。しかも、それ以外に借金がある。
「どうしよう」
「何を困ってるの?」
「タワマンのローンに決まってんだろう。一括返済がどうとか言ってたけど、やっぱりそういうことだったんだね」
「お前絶対に途中で気づいてたよな」
「なんか変だなとは思ってた」
「嘘つけ。保証人を外せって言ったのも、全部分かってたからだろ。そもそも夫婦でない私が保証人なのもおかしいでしょ。でも良かったじゃない? ご両親が力になってくれたんだし」
「そっか。俺が払えなくても実家の土地を売ればいいのか」
「それは無理じゃないかな。抵当権はついたまま誰かに貸すって言ってたし」
「意味わからないことを言うなよ。人に貸したら親父たちが住めなくなるだろう」
「だってタワマンに一緒に住むんでしょ。だったら家なんてもういらないじゃない。はい。お2人ともその気だったわよ」
ミキは離婚の挨拶に行った時に、俺の両親に「私が保証人を外れたら、多分頼んでくると思う。それで保証人になるんだから、一緒に住む権利くらいあるんじゃないですかね」と言ったらしい。両親はすっかりその気になっていた。
「ふざけんな。お前が余計なことを吹き込んだのか?」
「違うわよ。お父さんの土地を守るためにちょっとしたアドバイスをしただけ。人に貸してようが土地は売れるだろう。売れるけど、借りてる人があなたの先輩のたけしって方らしいわ。高校の時にヤンキーに絡まれた時に命がけで助けてくださった方なんだって。そのおかげでたけしさんは義足になったって聞いた。その方がご実家を改装して子供食堂を開く予定なんですって。そんな素敵な計画を奪うほど、あなたはクズじゃないとみんな信じてると思う」
「くそ。まさかお前最初から知ってたのか?」
「何よ?」
「俺がリオと一緒になろうとしてた計画だよ」
「知らなかった」
「じゃあなんで?」
「途中まではウキウキでタワマン買う予定だったよ。でも私が1人でモデルームを見に行ったことがあったでしょ? あの時に担当の方に言われたの。『旦那さんといらしてたのは妹さんだったんですね』って。仲のいい兄弟で羨ましいです。って。いや、念のためお母さんにも聞いたわよ。生き別れた妹さんとかいますかって。その時に思った。この人は私以外の人とこのマンションに住もうとしてるんだって。3億の口座を見られたのは分からなかったけど、途中でもしかしたらそうかなって思った」
「完璧だと思ったのに」
「LINEこっそり見たこともあったけど全部消されてたし」
「そうだよ。完璧にやり遂げる計画だったんだ」
「残念ながら、離婚してる時に浮気してたという証拠はない。でも1かバチかで訴えてみるわ。離婚して暇だし」
「お前アホなの? 俺の状況分かってる? 給料の半分がローンに消えてる状態なの。これ以上どうしろって言うんだよ。その上親と同居だと。お前だって知ってるだろ、うちの母親の癖の悪さを」
「うん。リオさんって人とは気が合うといいね。私とは会わなかったから」
「あのバカは誰とも会わねえんだよ」
「後のことは知らないのでご自由に。私も引っ越しの準備で忙しいの」
「遠くにでも逃げる気か」
「おたくのマンションの最上階よ、と言いたいところだけど、そんな定番の落ちじゃないわ」
「じゃあどこだ?」
「言う必要がないから言いません。じゃあさようなら」
数日後、リオから連絡が来た。
「し君、ごめん。ちょっと大事な話があるから、仕事終わったらすぐ帰るね」
家に帰ると、リオはこう言った。
「私出てく」
「え?」
「なんかお父さんとお母さんが来て家を見に来ただけかなと思ったら、荷物もどんどん運ばれてきてさ。同居するなんて聞いてないんだけど」
「いや、じゃ、しかもお母さんがこんな人だなんて思わなかった」
「何か言われた?」
「前の嫁もひどかったけど、今回もポンコツね、とか顔も頭も容量も悪い女に息子は任せられないとか。初対面でそんなこと言う人いる?」
「いるんだ。前の嫁もそれで実家には寄りつかなかった」
「お父さんはまだマシだけど、お母さんの言いなりだし何の役にも立たない」
「でもさ、部屋は4つあるわけだし、1部屋くらい貸しても良くない?」
「は? リオのことは俺が守るから」
「何言ってんの? 結局一括返済もできなかったんでしょ。あんたの元嫁がポストに何か手紙入れてて、支払い苦しいと思うけど裁判もするし慰謝料払えとか、むかつくことばっか書いてあったの」
「あいつ……」
「カツカツの生活なんてしたくない。でもさ、リオもパートとかして、親父もまだ元気だし働いてもらえばローンの足しになるじゃん」
「なんで私が働かないといけないの? タワマン3階とか逆に恥だし。マジで出ていくわ」
「え、ちょっと待ってよ。席入れる前でよかった。リオを張るために結婚するんじゃないって言ってくれたじゃないか」
「あれ? 適当に言っただけだから」
「1人じゃ払えない。助けてくれ」
「知らねえよ」
数分後、俺はミキに電話した。
「お前のせいで何もかも失った」
「家族は残ったでしょ?」
「じじいとババアだけじゃねえか」
「あなたの育った家では、地域の子供たちが集まって楽しくご飯を食べてるわ」
「それが何だ?」
「誰かの笑顔が残った。私も裏切りから解放された。浮気は許せないけど、アホな男と結婚せずに済んだ。それぞれが何かをちゃんと得たと思うよ」
「俺の話をしてんだよ」
「自分が自分に残すものは、自分で見つけてください」
「頼む。一緒に住んでローン払ってくれないか?」
「やだ。眺めは微妙だけど、ジムもあるし結構住みやすいよ。全力でお断りします」
その後、ミキは慰謝料請求を諦めかけていたらしい。証拠がなかったからだ。しかし、リオが願ってくれた。消したと言っていたはずのLINEはすべて保存されており、ミキにスクリーンショットを送ってくれたのだ。ミキは1円割り引いて、199万9999円を請求した。
「ちょっと安くしすぎたかもしれません」
とミキは言った。俺は弁護士にかなり切れてきたようだが、親に借りて払った。今は返済に追われている。本当になんであんな計画を立てたのか分からない。ただ、ミキは両親に家賃10万を要求したらしいが、「お前が先に実家に住んだ20年分を払え」と言われて泣く泣く引き下がったようだ。
食費や光熱費を差し引いて手元に残るのは15万。そこから慰謝料300万の分割支払いと、タワマンの引っ越しの費用や家具、家電などの分割支払いが重くのしかかっている。しばらくは苦しい生活が続きそうだ。
ミキは、今は普通のマンションに引っ越して、ひたすら仕事に打ち込んでいる。裏切られるのは辛いが、せめて自分だけは今後の人生を誠実にまっすぐに生きていくつもりらしい。
俺は何もかも失った。愛人も、金も、そして自由も。



