「母さん、明日の結婚式場を予約したよ。1000万、ありがとう。払ってくれたおかげで、ちゃんとした式ができる。父さんも感謝してたぞ」
電話の向こうから、かつての夫、拓人の声が聞こえた。私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「え? 何の話? 私があなたの結婚式場を払ったの?」
「どうしたんだよ、ボーッとして。俺が感謝してやってるんだから、素直に受け取れよ」
「ちょっと待って。あなた、結婚したの?」
「そうだよ。相手は会社の社長令嬢だ。俺にふさわしいお嬢様だろ?」
拓人が結婚する。離婚してから5年。私は複雑な気持ちを飲み込みながらも、彼に話しかけた。
「もうそんな年になったのね。27歳だろ?」
「ああ。それより母さん、口が達者になったな。一緒に住んでた時は、まともに口も聞いてくれなかったくせに」
「当たり前でしょ。私はあなたの母親じゃないもの」
「ああ、そうだったな。お前は再婚相手で、俺は前の奥さんの子供だから、ややこしいよな」
彼の口調は、どこか馬鹿にしていた。私は何度も彼に「母親になりたい」と思っていた。でも、彼はいつも私を拒絶した。
「そんなに私のことが嫌いだったの?」
「嫌いとかじゃない。ふさわしくないんだよ。俺の母さんは、もっと美人で自慢できる存在だった。お前みたいな地味でつまらないおばさんは、母親じゃない」
その言葉に、私は何も言えなかった。昔から分かっていたことだ。でも、それでも私は諦めずに彼に接してきた。しかし、彼の中では私はただの「他人」だったのだ。
「でも、そうやって結婚式場を払ってくれたんだろ? 感謝してるぞ。母親とは思わないけど、使い勝手のいい存在だとは思ってる」
「その使い勝手のいい存在って、やめてくれない? それに、私はあなたに感謝されるようなことは何もしてないわ」
「何言ってんだよ? 1000万も払ってくれたんだろ?」
「払ってないわよ。他人の結婚式なんて、払うわけないでしょ」
「はあ? でも父さんが、お前が払ってくれるって言ってたぞ」
その言葉に、私は違和感を覚えた。拓人の父、元義父である篤史が、どうしてそんなことを言ったのか。私はすぐに彼に電話をかけることにした。
電話はなかなか通じず、やっとつながったのは10分後だった。
「拓人さん、結婚式の話はどういうこと?」
「おいおい、どうしてお前の方から電話してくるんだよ。こっちは忙しいんだ」
「あなたが1000万を払うって言ったから、私が驚いてるのよ。何それ」
「ああ、そのことか。どうせお前が払ったことにしておけばいいだろ。謝礼は気にしなくて結構だ」
「ふざけないで。私は何も払ってないし、そんなお金があるわけもない。あなた、今のお給料で1000万も払えるの?」
「俺が必死で稼いだんだよ。子供のためと思えば、何でもできるんだ」
「あなたの取り分がそんなにあるわけないでしょ。結婚していた時から、あなたはお金を使い込んでいたじゃない」
「うるさいな。もう5年も前の話だろ。俺は今、どうやって金を作ったか知らないけど、お前は俺の顔を立ててくれればいいんだよ」
「立てるも何も、そんな話はないわ。1000万は大きすぎるし、私がそんな金を出すわけがない」
「お前は本当に空気読めないな。まあいい、俺の方から父さんに説明しておくよ」
「そうして。それで、式には招待されてないの?」
「来るなよ、頼むから。お前が来たら気まずいだけだ」
「行く気はないわ。それに、お父さんは来るんでしょ? 離婚してからずっと連絡をくれなくなったから、嫌われてるんだと思ってたわ」
「そりゃそうだろ。お前みたいなのが家族になったこと、父さんも恥ずかしかったんだよ」
私はそう言われて、胸が痛んだ。篤史さんは、私にとって本当の父親のような存在だったのに。
電話を切ってからも、何かが引っかかっていた。私は篤史さんに直接確かめたいと思った。しかし、彼は私のことを拒絶していて、なかなか連絡を取ることもできなかった。
結局、私は篤史さんの家を訪ねることにした。久しぶりに会った彼の顔は、私を見ても全く嬉しそうではなかった。
「お父さん、どうして拓人さんに私が式代を払ったなんて嘘をついたの?」
「お前、あのバカがそんなことを言ったのか?」
「え?」
「俺はそんなことは一言も言ってない。あいつ、何勝手なことを言ってるんだ」
私は混乱した。どうやら篤史さんは何も知らないようだ。そして、もっと驚くべき事実を知った。
「それよりもお前、知ってるか? 拓人がお前の悪口を俺に吹き込んでいたんだぞ。お前が俺を騙して金を奪おうとしたとか、お前が俺達を裏切ったとか。そんな話ばかりだったんだ」
「そんなこと、あるはずないわ! 私がお父さん達を裏切るなんて!」
「あいつは昔からそういうやつだ。自分が悪くないのに、周りのせいにする。それに、お前には本当に申し訳ないと思ってる。俺も勝手に信じちまって」
そう言われて、私はようやく理解した。拓人は、私との離婚の原因を自分に置くのではなく、私のせいにするために、篤史さんに嘘の情報を流していたのだ。
それだけじゃなかった。拓人の目的は、もっと深いところにあった。
「お前も覚えてるだろうが、俺はお前のことを本当の娘のように思ってた。だから離婚すると聞いた時、お前たちを引き離したくないと思ったんだ。でも、あいつは俺に嘘をついてお前を悪者にした。そして、俺を騙して、お前をこの家から追い出そうとしたんだ」
私はその事実に衝撃を受けた。拓人の行動は、単なる逆恨みでは済まなかったのだ。彼は私から大事な家族を奪おうとしていたのだ。
「お父さん、私、どうしたらいいの?」
「もう何も心配するな。俺はお前の味方だ。それに、あいつに今までされてきたことを、なにもなかったことにはさせないぞ」
私は篤史さんの言葉に救われたが、心の中では怒りが込み上げていた。
「絶対に許さない」
私はその決意を胸に、弁護士を訪ねた。
「工藤さん、今回はご相談ありがとうございます。立山法律事務所の立山です」
「はい、お久しぶりです。前回は離婚のことで相談させていただきました」
「覚えています。それで、今回はどのようなご相談でしょうか?」
「元夫に、行き過ぎた行為をされました。慰謝料を請求したいのです」
「なるほど。詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
私は抑えながら、全てを話した。拓人の嘘により、いわれのない非難を受けたこと。私を「親ではない」と拒絶したこと。そして、私の名前を勝手に使い、結婚式場を払ったことにしたこと。さらに、私の育ての親である篤史さんを欺いたこと。
弁護士は静かにうなずいた。
「分かりました。婚姻関係が終了していたとしても、婚姻中に相手が不貞行為をしていた場合、慰謝料を請求できます。あなたの元夫には、十分な請求根拠があります」
「彼は新しく結婚しようとしています。彼にはお金がないと言っていましたが、1000万もの結婚式を挙げようとしているんです。彼は会社のお金を着服している可能性が高いんです」
私はそのことを告げると、弁護士は驚いたように目を見開いた。
「それは重大な事実です。詳しく調査させてください」
弁護士は、拓人が経理部長として働いている会社に確認を取った。すると、やはり不正に会社のお金を自分の口座に移していたことが発覚した。さらに、彼は以前からギャンブルで使い込んでいたことも分かった。
「どうしてくれるんだよ、お前のせいで!」
数日後、拓人から怒りの電話がかかってきた。
「私のせい? あなたが不倫をして、会社のお金を着服したのは、あなたのせいでしょ?」
「世の中そんなに単純なもんじゃないんだよ。俺は息子のために金が必要だったんだ!」
「息子のために? あなたはただ自分が偉く見せたかっただけじゃないの?」
「うるさい! 黙れ!」
「もう黙りません。あなたは私から大事なものをたくさん奪った。私の家族ごっこ、私の人生、あなたのせいで私はここまで苦しんできたんだから」
そう言うと、拓人は何も言えなくなった。しばらくして、彼の声が震え始めた。
「もういいだろう。これ以上、俺を追い詰めるな。俺はもう不幸なんだから」
「あなたは自業自得よ。私はもう知らない。さようなら」
私はそう言って電話を切った。彼の状況はその後、さらに悪化した。
拓人の婚約解消が決定した。相手の社長令嬢の家から、結婚を取り消されたのだ。理由は、彼の父が逮捕され、父親が犯罪者になるということは、大企業の令嬢と結婚するにあたって、大きなマイナスになるからだった。
そして、逮捕されたのは、拓人の父だけではなかった。拓人自身も、会社のお金を着服した罪で逮捕された。執行猶予はつかず、彼は刑務所に送られた。
「どうしてこうなったんだよ…」
拓人はそう言いながら、刑務所に収容されていった。私はその知らせを聞いても、何も思わなかった。彼が自分の行動で招いた結果だった。
一方、私はというと、離婚後に新しい職場で出会った夫と再婚し、幸せに暮らしていた。
「本当に良かったね、この家に来られて」
「うん、あなたと一緒にいられることが、何よりの幸せだよ」
私はそう言って、夫の手を握った。あの時、どん底まで落ちた時も、必ず幸せはあると信じていた。それは、嘘じゃなかった。私の人生は、私自身が選んだ道で変わっていった。
拓人は刑務所から出た後、多額の賠償金を支払う義務を負うことになった。そして、彼は今もどこかで絶望的な生活を送っていると聞く。
でも、私はもうあの人のことはどうでもよかった。私の未来は、私が大切にしている人たちと紡いでいく。
私は夫と一緒に、これからも幸せに暮らしていく。



