「ねえ、LINEでは返事してくれるのに、家の中ではどうして無視するの?」
出産してから三か月、夫の陸は家で一切口をきいてくれなかった。
「いきなりなんだよ。お前こそ、子供のことしか見てないじゃん」
「それは当たり前でしょ。無視する理由は何?」
「口を開けば『おむつ変えて』『風呂入れろ』って、うんざりなんだよ」
「は? それが理由で無視してたの?」
「お前の話すことなんて、どうせ『手伝って』ばっかりじゃん」
「手伝ってっていうか、協力ね」
「同じだろ」
「ねえ、今飲み会なんだけど」
「その飲み会、もう少し減らせないかな?」
「なんで? お小遣いの範囲内だし、相手は野郎だけだし。減らさなきゃいけない意味がわかんないんだけど」
「三か月間ずっとワンオペだから、きついんだ」
「育休もらって家にいるくせに、何がきついんだよ。一日中、乳と寝かしつけ、時々おむつ交換。食べる時間も寝る時間もなくて、今にも倒れそうなの」
「効率ある。寝てる間にやればいいじゃん」
「あの子、抱っこじゃないと寝ないのよ」
「音部すればいいじゃん」
「首は座ったけど、腰はまだだから無理だよ」
「じゃあ、抱っこしたままご飯作ればいいだろ」
「そんな危険なことできるわけないでしょ」
「ああ、言えばこういう言い訳ばっかりすんなよ。できないんじゃなくて、やろうとしないからだろ」
「お願いします。協力してください。もう限界なの」
「もう三か月も経ってるのに、そんな弱音を吐くのか。ダメな母親だな」
「まだ出産して三か月だよ」
「お前が出産直後だろうと、働いてる俺の方が疲れてんなよ」
「全部とは言わないから、分担しよう。私としては、皿洗いしてくれるだけでもすごくありがたいんだけど」
「はあ。一家の大黒柱の手を汚す気か」
「むしろ綺麗になるかもよ」
「俺は手が荒れやすいから却下だ」
「じゃあ、なんならやってくれるの?」
「ゴミ捨てならやってやるよ。玄関に出しとけよ」
「え、まとめるところからやってくれないの?」
「なんで出勤前に手を汚さなきゃいけないんだよ」
「出す前が一番手間なんだけど」
「出してもらえるだけありがたいと思え」
「そうだね。ありがとう。じゃあ明日からよろしく」
「たく、できない嫁を持つと苦労するわな。今週ずっと飲み会だから飯いらない。助かるだろう」
「分かった」
「ああ、俺っていい旦那でパパだよな。じゃ、早く寝ろよ」
三日後。
「陸、お願い助けて」
「なんだよ。飲み会ってこの間行ったよな」
「高熱が出て、体中の節々が痛くて、寒気がすごいの」
「え、何? インフル? おいおい、マジか。移すなよ」
「多分違う。胸がすごく硬くて痛いから、乳腺炎かも」
「どっちにしろ、お前の体調管理不足じゃん」
「食べ物には気を使ってたから、疲労のせいだと思う」
「どうしようもないよ。言い訳すんなよね。どう助けろって」
「病院に連れてってほしい」
「それは無理だな。酒飲んだから」
「は?」
「じゃあせめて、星を見てくれない? 熱出ても子供は見れるだろう」
「眠いみたいでずっと泣いてるの」
「抱っこしてやれよ」
「してるよ。でも腰がすごく痛いし、鳴き声も頭に響くし、すごく辛いんだよ。今日は本当に助けて。今夜だけ、流星をお願いします」
「なおさら無理。無理だって。俺が抱っこしたら泣くじゃん。やっぱママじゃなきゃダメなんだって」
「泣かせてもいいから、とりあえず抱っこしてあげて」
「とりあえず座ったまま抱っこしてるんだけど、やっぱり立たないとダメみたいで、もうずっと泣いてて」
「何やってんだよ。近所に迷惑だろう。早く泣き止ませろ」
「うち角部屋だし。お隣さんはママ友で理解あるから、泣いてても気にしないって言ってくれたよ」
「いやいや、隣は俺の会社の先輩が住んでるところでもあるからな。なおさら迷惑かけられねえわ」
「私がちゃんと謝っておくから。だから今日だけお願い」
「今一番いいところだから無理。母親なら自分でどうにかしろよな」
五分後。
「サラ、龍星君ずっと泣いてるね。大丈夫?」
「隣まで聞こえた? ごめんね。すぐ泣き止ませるから」
「あ、いやいや、そんなつもりでLINEしたんじゃないの? 二人が心配でLINEしたのよ。ねえ、本当に大丈夫? 何か困ってるなら正直に言って」
「裕子、ありがとう。実は今、乳腺炎で動けなくて」
「え、それは大変」
「龍星君、抱っこできてないんじゃない?」
「座ったまま抱っこはしてるんだけど、嫌みたいで」
「私が抱っこするよ。だから鍵だけ開けといてくれる?」
「本当にいいの? 迷惑じゃない?」
「お世話になってるんだから、これくらい。じゃあ今から行くから待っててね」
「ありがとう」
翌日。
「検査結果どうだった?」
「一週間の入院だって。ちょっと無理しすぎたみたい」
「そっか。龍星君、どうしよう?」
「私のお母さんに頼んでみるよ。高齢な上に遠方に住んでるから気が引けるけど」
「大丈夫だって。自分の子供のピンチよ。私だったら心配で駆けつけるわ。とにかく、さやのお母さんが来るまでは私が見ておくから」
「本当に何から何までありがとう。すごく助かった」
「そんなのはいいから、まずは自分の体優先しなさい。それにしても、旦那さんはどうなってるの?」
「まあ、なんか忙しいみたい」
「私の夫と同じ部署よね。今は半期じゃないって聞いてるわよ」
「なんか付き合いとかで毎晩飲み会に行ってて、だから夫には頼れないんだ」
「何それ? 自分の奥さんが大変な時に、毎晩飲み歩いてるなんて。何も協力してくれないの?」
「家じゃ会話もしてくれないし」
「無視されてるの?」
「LINEでしか会話してくれないんだ」
「なんで?」
「色々と頼まれたくないからじゃないかな」
「信じられないんだけど」
「でも、ゴミ出しはやってくれるって」
「ゴミ出しなんて家事のうちに入らないわよ。ミルクは? おむつは? 寝かしつけは?」
「それは私の仕事だからって、ノータッチなの? 信じられない。昭和時代の亭主関白の化石か何か? 今は令和なんですけど」
「裕子、私の代わりにそんなに怒ってくれてありがとう」
「私も倒れかけたことがあるから、気持ちはよくわかるわ。育児って、協力する人がいないと孤独で辛いわよね」
「分かってくれて嬉しい。裕子がお隣さんじゃなきゃ、きっと心もダメになってた」
「さやは頑張ってる。だから私はさやの味方よ。何かあったら必ず連絡して。一人で抱え込まないでね」
「本当に裕子には感謝してもしきれないよ」
「感謝なんていいから。龍星君は私に任せて、さやは体を休めてね」
「うん。流星をよろしくお願いします」
「任せて」
五分後。
「陸、仕事中にごめん。実は一週間入院することになりました。龍星は今日だけお隣さんに頼んであります。明日からはお母さんが来てくれるから、よろしくね」
同時刻。
「週一先輩、仕事中にごめん。報告があって」
「いいよ。どうした?」
「実は、極度の疲労で倒れちゃって」
「え、大丈夫なの?」
「とりあえず入院することになったんだって」
「赤ちゃん生まれたばっかりでしょ。どうするの?」
「一日だけうちが見ようと思ってるんだけど、いい?」
「もちろん。あれ、でも陸君は父親だろう。お世話しないのか?」
「それがさあ、聞いてよ。さやから聞いた話、全く何にもしないんだって」
「ええ」
「陸君、職場では『俺が赤ちゃんのお世話全部やってます』って言ってたから、ちゃんとパパしてるんだなって思ってたけど、嘘よ。嘘」
「外面がいいタイプなのね。ちゃんとしてたら、さやが倒れるわけないでしょ」
「そっか。俺の方からもそれとなく聞いてみるよ」
「え、きつく言ってちょうだい」
「角が立たない程度にね」
五分後。
「陸、今いいか?」
「ちょうど営業周り休憩中なんで、大丈夫っすよ。先輩、どうしました?」
「いや、実はさっき妻から聞いたんだけど、奥さん倒れて入院したんだって。世話しないの?」
「心配無いっす。体調管理不足の嫁には、よく言って聞かせますんで」
「本当に心配してるなら、そんな言葉出てこないでしょう」
「愛の鞭っすよ。時には厳しくしなきゃ。それが夫のすることなの」
「俺だったら優しくするけどな」
「それは週一先輩の奥さんがしっかりしてるからっすよ」
「君の奥さんだって十分しっかりしてるけどな。龍星君はどうするの?」
「俺、今日の夜も忙しいんすよ」
「龍星君を思うなら、父親である君が面倒を見るべきだ」
「はあ、ちょっと厳しいというか。君も赤ちゃんのお世話をやってるって言ってなかった?」
「いや、まあ、俺が面倒見ると龍星は泣いちゃうんで」
「泣かれるってことは、面倒を見てない証拠だよ。本当はお世話してないんじゃないの?」
「してますよ。生まれつき相性が悪いんですよね」
「とりあえず今日は俺たちが龍星君の面倒を見るけど」
「マジっすか? ざっす」
「でもね、本当なら父親である君が見るべきだってこと、よく覚えといて」
「うす」
翌日。
「おい、さや、週一先輩に余計なこと言ったろ」
「入院してる私にかける言葉がそれ?」
「医者が直すんだから、心配しても仕方ないだろう。俺が流星の世話してないこと、ばらしたな」
「陸の同僚には何も話してないよ」
「とぼけんな。お前のせいで先輩に怒られたんだぞ。俺の評価を下げるようなことしやがって。大方、先輩の奥さんあたりにでも愚痴ったんだろ」
「子供を預かってもらうのよ。事情くらい話すでしょ」
「おら、やっぱばらしてんじゃねえか。もうお前は、近所のうちのことをよそに話すな」
「弱音を吐くことすら許されないの?」
「そうだ。母親なら強くあれよ」
「陸は何にも分かってくれないんだね。父親がいるのに、一人で赤ちゃんのお世話をする虚しさ。そこにいるのに、何度話しかけても無視されるこの辛さ。私、もう限界だよ」
「じゃあ最初から俺に話しかけるな」
「話すも何も、LINEでしか会話してないじゃない」
「家族としてるんだし、空気読めよ。LINEでも何でも、俺が嫌がることは言うな」
「分かった。じゃあ絶対話しかけない」
「そうしてくれ」
三日後。
「なあ、いつ退院すんの? 今日休みで、お母さん一日中家にいるからきついんだけど」
「さや、実家に帰るよう言っておけ」
「おい、昼間から寝てんのか? いい身分だな」
一時間後。
「なんで返事しないんだよ。主婦の分際で調子乗んなよ。もう知らん。入院費用も自分で払え」
三日後。
「裕子、先日は流星を見てくれてありがとう。おかげで明日退院できることになりました」
「少しは良くなったかしら?」
「うん。もう今すぐにでも龍星に会いたい」
「よかった。でも、このままじゃまた同じことの繰り返しよ。これからどうするの?」
「私、決めたの。もう陸には何も期待しない。話し合いもダメ。『話しかけるな』って言われたよ」
「はあ。何それ? 夫婦なのに話をしないとか、無理よね」
「だから、言われた通り何も話さないことにしたよ」
「じゃあ、お互い無言のままの生活を過ごすの? それは龍星君に悪影響よ」
「うん。だから、龍星のためにも実家に引っ越そうと思って」
「え? それはまた急ね。大丈夫なの?」
「お母さんにはもう言ってあるんだ。退院後、迎えに来てくれるって。で、必要なものだけ持って実家に帰るつもり」
「そう。寂しくなるけど、二人の幸せが一番だわ。どうか向こうに行っても無理はしないで、元気でね」
「ありがとう、裕子」
「そうと決まったら、うちも引っ越しの準備手伝うわ。力仕事はうちの夫に任せて」
「いいの?」
「本当に何から何までありがとう」
「困った時はお互い様よ。明日会えるの楽しみにしてるわね」
「うん。またね」
五分後。
「週一先輩、また仕事中にごめんね」
「いいよ。どうした?」
「実はさやが明日退院なんですって」
「本当にそれはよかった」
「陸はもちろんこのことは知ってるんだよね」
「それが、『話しかけるな』って言われたらしくて」
「なんだよそれ。ひどいな。自分の子供を育ててくれている人に言う言葉じゃない」
「私もそう思うわ。だからもう家を出るんですって。明日帰ったらすぐに荷物をまとめて実家に帰る」
「そうよ。そういうことなら、明日は俺も手伝うよ」
「え、いいの? 仕事は?」
「半日だけ休みを取るよ。さやさんには俺たちも世話になったからな」
「ありがとう。じゃあ明日は笑顔で送り出してあげようね」
翌日。
「さや、まだ帰ってないのか? 今日退院じゃないけ? 飲みから帰ったら、お母さんも龍星もいないんだけど」
五分後。
「なんで龍星のものだけじゃなくて、お前のものまでないんだ。まさかお母さんと一緒に実家に帰ったのか? さや。おい、『話しかけるな』って言ったからか。冗談だって。あんなの間に受けるなよ」
五分後。
「週一先輩、夜分遅くにすみません。起きてますか?」
「ちょうど寝るところだったよ。どうしたの?」
「実は嫁も龍星もいなくなってしまって。警察に捜索願い出した方がいいすかね?」
「その必要はないよ」
「え、何ですか? 行方不明になってるんすよ」
「あのさあ、なんで奥さんと龍星君のことが気になるの?」
「そりゃ気になるでしょう。自分の家族のことっすよ」
「妻から聞いたよ。『話しかけるな』って奥さんに言ったらしいじゃないか」
「確かに言いましたけど、よくある夫婦喧嘩す。そんなに深刻になることじゃないでしょう」
「じゃあ、なんで奥さんと龍星君はいなくなったのかな? それは心当たりあるんじゃないか」
「あ、もしかしたらやっぱり実家に帰ったのかも」
「どこに行ったにしろ、出て行かれるだけの理由が君にあるってことだよ」
「俺、嫁の実家に行ってみます」
「今からそれはやめた方がいい」
「家族のためなら何でもするのが男でしょう。ちょっと行ってきます」
「待って」
翌日。
「よくも私のお母さんを突き飛ばしたわね」
「あのババアが邪魔するからだろ」
「足を骨折したのよ。全治三か月の重症なんだから」
「え、マジ?」
「自分は散々無視しておいて、いきなり実家に押しかけてくるなんて、何考えてんの?」
「お前が勝手に出て行くからだろ」
「だからって、お母さんに怪我させることないでしょ」
「お前がさっさと出てくりゃよかったんだ」
「何をするかわからないのに、出れるわけないでしょ。この件は警察に相談する」
「そんな大事にするな。自分の大切な嫁と子供がいなくなったんだぞ。そりゃ探すに決まってるだろう」
「大切?」
「はあ。なんだよ。口こそ聞かなかったが、見守ってたつもりだ」
「見てただけで、妻と子が幸せになると思ってんの?」
「だって俺が手を出したら、何かと文句言うじゃん。ミルクは温度がどうとか、おむつも時間がどうとか、他にも色々ぐちぐち」
「当たり前でしょ。一人の人間を育ててるんだよ。しかも陸の子供だよ。赤ちゃんを目の前にして、少しはお世話しようとか、そういう気持ちも湧かないの?」
「いや、普通に愛情はあるよ。ただ、汚いのとうるさいのが無理だったんだ。だから、さやに任せてただけ」
「私だって最初から何でもできたわけじゃないよ。できるようにならざるを得なかっただけ。仕事だって同じことでしょ」
「それはそうだけど、育児って金にならないじゃん。その分、俺の方が疲れるんだってことは分かってくれよ」
「仕事と育児は比べるものじゃない。それに夫婦である以上、対等だと思うし、お互いを思い合って助け合うべきだと思う」
「確かに出産は痛かっただろうけど、それだけだろ。退院後の入院中は、赤ちゃんのお世話だけして、あとは上げ膳据え膳だったじゃん。いいよな」
「交通事故にあって全治二か月レベルの怪我と同じくらいのダメージを負ってるんだよ」
「でも育休申請して基本家にいるんだから、朝から仕事に行ってる俺と違って、だらだらできるじゃん」
「できるわけないでしょ。赤ちゃんのお世話は二十四時間なんだよ」
「気張りすぎなんだって。もっと気楽にさ」
「何があるかも分からないのに、目なんか離せないよ」
「子供なんて勝手に育つだろ」
「そんなわけないでしょ。ほぼ飲まず食わずの育児をしてきた結果、陸も知っての通り入院になったじゃない」
「それはお前が病弱すぎただけだろ」
「陸はしっかりご飯を食べて、お風呂にも入って、しっかり睡眠も取ってたもんね」
「そうだろ。だからお前の体調管理不足なんだよ」
「うん。誰のおかげでそんな生活ができたと思ってるの?」
「えっと、それはご飯もお風呂も私が準備したからだよね。夜寝れるのだって、私が夜泣きの対応をしてるから」
「ああ、ありがとうって言えばいいのか?」
「違う。毎日ケーキでも買えばよかったのか?」
「そういうことじゃない。呆れたわ」
「じゃあ俺は何をすればよかったんだよ」
「陸、父親の資格ないよ」
「待って、待って。これからちゃんと勉強するからさ。だから帰ってきてくれよ」
「帰るつもりはありません」
翌朝。
「週一先輩、おはようございます。早朝からすみません」
「おはよう。朝からどうしたの?」
「週一先輩の奥さんに頼めないですかね? 俺の嫁に帰ってくるよう言って欲しいんです」
「ごめんね。それは無理」
「何ですか? 俺、後輩でお隣さんなんだから、助けてくださいよ」
「俺たちがそこまで関わる理由はあるかな?」
「俺、礼ならするんで」
「君の家庭のことだよね。可愛い後輩のこと助けたいと思わないんすか?」
「今までの話を聞いて、僕が口出すことではないと思ってた」
「龍星を見たんだから、関係あるでしょう」
「確かに面倒は見たよ。改めて聞くけど、先輩に自分の子を押し付けたことはどう思ってるの?」
「ありがたいと思ってますよ。次、先輩が困ってたら俺だって何かしますから」
「あ、そう。じゃあ、うちの祖母が骨折して、もう介護状態なんだ」
「それは大変ですね」
「しばらく預けていいかな」
「え、会社の後輩でお隣さんってだけで、預けてもいいんだよね。だったら頼むよ。俺も妻も忙しいんだ」
「それはちょっと」
「結局君は、面倒なことがやりたくないだけ。助け合おうとか、そういう気持ちが皆無なんだよ」
「そんなことありません」
「じゃあ、なんで奥さんが出て行ったんだ?」
「あいつのわがままでしょ」
「おそらく一日話しても、何も伝わらないだろうね。痛い目に会って気づくしかない」
「嫌です。それを回避したいから相談してるんでしょう」
「生きてる世界が違う。俺の言葉が理解できないだろう」
「そんなこと言わないで、助けてくださいよ。俺、一人ぼっちで孤独なんすよ」
「そう言われても、よその家庭のことだからね。じゃ、僕はこれから出勤だから。遅刻しないようにね」
一週間後。
「なあ、今飲みから帰ったら弁護士から書類が届いてたんだけど、これどういうこと?」
「内容の通りです。離婚について、弁護士に代理人になってもらいました。今後、私への連絡は一切しないようにお願いします」
「いやいや、離婚の話くらい、人同士でしようや」
「あなたでは話にならないから、弁護士に頼んだんです。あと、これまで受けてきた精神的苦痛に対して、百万円の慰謝料を請求します」
「百万? 高すぎだろ。俺、何もしてないじゃん」
「そう。何もしなかったのが陸の罪だよ。無視ってのは、心をえぐられるの。話しかけても、言葉が宙に浮いて届かないのが、どれだけ苦痛かわかる?」
「納得いかねえ。絶対に分かれないからな。離婚したら、誰が俺の世話するんだ?」
「自分のことなんだから、自分でやりなよ」
「こんなの結婚詐欺だ」
「は?」
「龍星が生まれる前はおかずが三品もあったのに、生まれた後は一品だけ。俺を騙したのはお前だろ」
「そりゃ、私一人で赤ちゃんのお世話してたら、三品も作る時間なんかないよ。洗濯も掃除も、家のことは全部さやがやってくれてたのに、生まれた途端『お前もやれ』なんて、ひどくないか?」
「私は一人しかいないし、手も二本しかないのよ」
「俺への愛情はないのか?」
「ないから、離婚したいって言ってるんじゃない? いい加減理解してくれる?」
「だったらせめて、龍星には合わせろ。俺は父親だ。会う権利はあるはず」
「普通はね。でも、陸には合わせられない」
「なんで?」
「育児の実績なし。あるのは私への精神攻撃。何より、まだ乳児で環境変化に弱いから、ちょいちょい連れ出して陸に合わせられないの」
「俺、変わるから。だから離婚はしないでくれよ」
「もう遅いよ。今までだって何度も注意した。でも、陸が変わることは一切なかったよね」
「出産して変わっちまったな」
「変わらなきゃ、子供は育てられないよ。私はもう陸の妻じゃなくて、母親として生きるから。だから、私たちとの関係はもうおしまい。今後は何か言いたいことがあれば、弁護士を通してください」
「なんでこんなひどいことするんだよ。LINEだってずっと無視してたよな。返事がなくて、どれだけ辛かったか分かるか?」
「それが私が受けたよ。よかったね。これで永遠に無視できるよ」
「お願いだ。無視しないでくれよ」
「陸に言われた『話しかけるな』って言葉。これからも守り続けるね。さようなら」
その後、陸が勤めている会社でも、妻に逃げられた夫だという噂が流れ、居づらくなった陸は退職したそうです。その後、私の母を突き飛ばした件で警察から連絡があり、書類送検され、執行猶予つき懲役二年の判決となりました。人のことで文句があるらしく、弁護士に何度も連絡が来ているそうです。私の方にもLINEを送っているそうですが、ブロックしているので、一体何を送っているのやら。さらに実家にも何度も足を運ぶので、警察に相談しました。警察から警告を受けるも、必要な行為をやめず、執行猶予中のつきまといのため実刑となりました。両親は愚か、親族誰も面会に来ず、みんなから無視されてるそうな。まさに因果応報ですね。
私は子供が一歳になったのを機に職場復帰しました。最近、龍星は言葉を覚え始め、私を「ママ」と呼んでくれます。これからもたくさんお話をしていきたいと思います。



