「お前が悪いんだ。ちゃんとした親なら、もっと稼いで教育を受けさせてくれたはずだ」…

「お前が悪いんだ。ちゃんとした親なら、もっと稼いで教育を受けさせてくれたはずだ」...

目の前で息子が土下座をした。額が畳に擦りつく音がして、震える声で「助けてくれ」と繰り返した。借金のこと、弁当屋の失敗、取り立ての脅し――すべてを一気にまくし立てた。

茂彦は八十三歳。この手で一度も情けを請うたことはなかった。二十年以上、深夜のオフィスビルで誰も見ていないトイレを磨き続けた男だ。その誇りは、自分が何者であるかを示す唯一の証だった。

会社が倒産したのは数年前。今は月十万円の年金で、築四十年を超える木造の平屋で一人暮らしをしている。電気代を節約するため、日中もジャンパーを着たまま過ごす。床は歩くたびに軋み、雨の日は窓の隙間から冷たい風が入り込んだ。

あの日、息子の陽介が突然訪ねてきた。スーツを着て、額に汗をかきながら、テーブルに老人ホームのパンフレットを三冊並べた。どれも明るい写真で彩られていた。

「一人暮らしの年寄りを狙った犯罪が増えてる。家を売っ払って、ちゃんとしたところに入った方がいい。お金が余ったら俺が預かっておいてやるから」

茂彦は息子の目を見た。陽介の視線は落ち着かず、パンフレットと壁の間を彷徨っていた。茂彦は「考えてみる」とだけ言った。それ以上でも以下でもなかった。

息子が帰った後、茂彦は古いタブレットを引っ張り出した。パンフレットに書かれた施設の名前を検索すると、真っ先にニュースサイトの記事が表示された。入居者への虐待、夜間の無人状態、資格のない職員による医療行為、不審な死亡例が複数。内部告発で明らかになった事実。行政から業務改善命令が出ても、施設はまだ営業を続けていた。

息子がその施設を選んだ理由が、はっきりと見えた。長く生きられなくても問題にならない、書類の上では自然死として処理される――そういう場所だった。

茂彦はタブレットの画面を消した。月曜日からコンビニに通い、毎朝同じ時間に牛乳を買った。店員に顔を覚えてもらおうと思った。だが、レジには店員がおらず、セルフレジの横に立つ警備員は、老人が小銭を出す手間を疑うような目で見るだけだった。

近所に挨拶をしても、誰も返事を返さなかった。誰も立ち止まらず、誰も名前を聞かなかった。この町では、誰も茂彦を見ていなかった。

区の支援センターに電話したのは十二月の中旬だった。担当者の女性が三日後に訪ねてきて、生活状況を尋ねた。息子が施設を勧めてきたこと、その施設に問題があること、息子が何かを企んでいる気がすること。すべて話した。女性は手帳に何かを書き続け、最後に「認知機能に問題を感じることはありますか」と聞いてきた。茂彦は「ない」と答えた。女性は「状況を記録して担当部署に伝えます」と言って帰った。

その数日後、茂彦が買い物から帰ると玄関の鍵が閉まっていなかった。閉めたはずだった。毎日確認する癖がある。中に入ると、廊下の奥のセンサーライトが点滅していた。誰かが通った痕跡だった。

台所から声がした。陽介と、もう一人、見知らぬ男の声。男はスーツを着て、レーザー測定器で壁や窓の寸法を測っていた。胸のバッジには、不動産買い取り業者の名前があった。保険会社の点検と言ったが、茂彦には見え透いていた。この家の下見に来ていたのだ。

茂彦は部屋に引きこもり、襖を閉めた。陽介は「誤解しないでくれ」と叫んだが、聞こえないふりをした。

その夜から、陽介は家に住み始めた。ボストンバッグ一つを持って来て、一階の和室を使い始めた。茂彦は何も言わなかった。言うつもりもなかった。

四日目の夜、陽介が酒を飲んで酔い潰れた。茂彦は静かに起き上がり、廊下のセンサーライトが消えるのを待って台所に入った。陽介の鞄が椅子の下にあった。中を開けると、消費者金融三社からの借金の通知、撤退した弁当屋のフランチャイズ契約書、そして――不動産の売買契約書があった。買主の欄に自分の名前が印刷され、実印の押印があった。茂彦はそんな書類に実印を押した覚えがなかった。ハンコは、仏壇の引き出しにしまってあったはずだった。

翌朝、茂彦は書類の束をテーブルに置いた。陽介の手が止まった。長い沈黙の後、陽介は床に膝をつき、土下座をした。そして言った。「お前が悪いんだぞ。ちゃんとした親なら、もっと稼いで教育を受けさせてくれたはずだ」

茂彦は「出ていけ」とだけ言った。陽介の顔色が変わった。泣きもせず、ただ目だけが赤かった。次の瞬間、茂彦は椅子ごと床に押し倒された。陽介が馬乗りになり、胸元からハンコと通帳と鍵束を奪い取った。茂彦が手首に噛みつくと、陽介は声を上げて手を離したが、それでも奪ったものは離さなかった。

「ちょっと待ってろ。これで全部終わる」

陽介はそう言って走り去った。

茂彦は床に倒れたまま天井を見ていた。肋骨の辺りが痛んだ。カードや通帳を失ったが、鞄から抜き取った契約書は残っていた。全部失ったわけではなかった。

翌朝、茂彦は警察署へ行った。通帳とハンコを奪われたこと、暴力を受けたことを話し、偽造された契約書を見せた。担当の警官は書類を眺めてから、奥へ引っ込んだ。三十分後、年配の男性と一緒に戻ってきて、こう言った。

「息子さんから、先週、福祉関係の書類が提出されています。あなたの認知機能についての医師の診断書と、相談記録が添付されていました。成年後見の申し立てが家庭裁判所に提出されており、現在審査中です」

茂彦は言葉の意味を理解した。認知症の診断書。自分に見当たらない医師が書いた書類。区の相談員が書いた記録が、息子の後見申し立てに利用された。

「私は認知症ではない」と言った。警官は「その点は家庭裁判所の手続きの中で確認されることになります」と答えた。暴力については確認すると言ったが、通帳やハンコについては「成年後見の申し立てが継続中である以上、現時点で被害届を受理することは難しい」と言われた。

茂彦は警察署を出て、区役所に向かった。開示請求の手続きをして、控えをもらった。そこで初めて、陽介が一週間以上前から動いていたことを知った。

その夜から、家の電気が変だった。台所の蛍光灯が点滅し、翌日には完全に消えた。固定電話の回線も切れた。水道の蛇口を開けると、細い水が流れてすぐに止まった。偶然が三つ重なることはなかった。陽介が公共料金の引き落としを止めたのだ。

茂彦は公衆電話から、以前広報に載っていた相談窓口に電話した。弁護士に相談するには費用がかかること、費用の立て替え制度があるにはあるが、最短でも来週以降になることを聞いた。今夜どうするかの答えは出なかった。

家に帰ると、玄関前に見知らぬ黒い軽トラックが停まっていた。茂彦は裏口に回り、鍵が開いていることに気づいた。中に入ると、台所から声がした。陽介と、作業着を着た男たちが三人いた。一人はバールを持っていた。

「荷物をまとめてくれ。出て行ってもらう」と陽介が言った。顔には謝罪も懇願もなかった。ただ要件を済ませに来た人間の顔だった。

茂彦は廊下を後ろ向きに歩き、自分の部屋に入って襖を閉めた。押入れから出刃包丁を取り出した。使うつもりはなかった。ただ持っていた。襖が外側から叩かれ、バールで下の方を突かれる音がした。陽介の声がした。

「開けないと壊すぞ。お前が意地張ってるから、こうなってるんだ」

茂彦は答えなかった。暗い部屋の中で、膝の上に出刃包丁を置いたまま、襖の向こうの音を聞いていた。廊下のセンサーライトが、男たちの動きに合わせて点滅していた。百円均一で買ったあのライトが、今、部屋を取り囲む人間たちの動きを教えていた。

夜が更け、陽介の声が変わった。「助けてくれ。あいつらに首根っこ掴まれてる。サインしてくれれば全部終わる」とすすり泣き、そしてまた怒鳴った。「意地張ってないで、さっさと出てこい」

茂彦はその間、ずっと考えていた。自分が恐れていたのは死ではなかった。誰にも見届けられずに消えることではなく、自分の体と人生が、誰かの借金返済のために使われることだった。自分という人間が、最後まで自分のものでなくなること――それが一番恐ろしかった。

出刃包丁を畳の上に置いた。使わないと決めた。そして、押入れの下の床板を外した。十年前、床がきしむので自分で直した場所だ。妻が亡くなった後、家の権利関係の書類をそこに隠していた。鉄の金庫には、陽介がいつでもアクセスできることに不安を覚えていたからだ。

土地と建物の登記簿謄本の原本、権利書、遺言書の控え。陽介に家を相続させると書いたもの。それらを全て、アルミの鍋に入れた。灯油を注ぎ、マッチを擦った。

青白い炎が立ち上がり、書類はちじれ、黒くなり、灰になった。登記簿の文字が、権利書の印が、遺言書に書いた息子の名前が、すべて消えた。茂彦はその様子を最後まで見ていた。涙は出なかった。

炎が消えた後、茂彦は襖を開けた。廊下に煙の匂いが流れていった。男たちが驚いて後ずさり、陽介が走ってきた。

「父さん、何やってんだ!」

茂彦は何も言わなかった。畳の上の鍋を指差した。中には灰だけが残っていた。陽介は膝をつき、灰の中に手を入れて何かを探した。文字の跡を探していた。だが何も残っていなかった。

茂彦はボストンバッグに着替えを詰め、廊下に出た。男たちは誰も止めなかった。止める理由がなくなっていた。陽介は畳の上に座り込んだまま、灰に手をついて肩を震わせていた。茂彦はその背中を見た。何かを言おうかと思ったが、言葉が出てこなかった。

玄関に向かい、靴を履いた。一人の男が何も言わずに扉を開けた。

外は十二月の夜だった。冷たい風が顔に当たった。茂彦は振り返らなかった。四十年以上住んだ家、妻と暮らし、陽介を育て、深夜の仕事から疲れた体を休めた家。その家を、今、後にした。

道路に出て、駅の方向へ歩き出した。視野の右側は暗かったが、正面は見えていた。今夜どこで眠るかは決まっていなかった。財布の中の現金は少なかった。それでも足は止まらなかった。

手には灰の匂いがまだ残っていた。その手で、自分の人生に関わる書類を、自分の意思で燃やした。誰かに指示されたのではなく、自分で決めて、自分でやった。それだけが、今の茂彦に残っているものだった。

駅前の明かりが見えてきた。コンビニの看板が遠くに光っていた。茂彦はその光に向かって、歩き続けた。

Thumbnail